「巨人時代の上原浩治って、松坂大輔以上の怪物新人だと思ったけど、なんか途中で調子崩しちゃって微妙なプロ野球人生送ってたよね?」
上原浩治は新人の時から「エース級」の活躍でしたし、その後も巨人のエースとしてチームを支えてきたので微妙ではないと思いますよ(汗)
プロ1年目と4年目には「沢村賞」を獲得していますから、上原浩治は巨人の先発陣の中では「格上」の存在だったと私は見ていました!
ただ、メジャー行きまでの4年間は上原浩治にとって「試練」の日々だったのかもしれません・・・
「あー・・・抑えをやってた時は、上原浩治が全然ダメだったように見えたんだけど、やっぱり抑えというポジションはもの凄く重責だったんだろうな・・・」
いや、上原浩治は抑えでもそれなりの成績を残していましたよ(汗)
しかし、一番問題だったのは、抑えを終えた翌年の上原浩治だと私は思っています(泣)
一種の「スランプ」状態になってしまうのですが、それでも上原浩治はメジャー行きを目指すんですからね、まさしく「雑草魂」ですよ!!
そんな「雑草魂」の上原浩治の成績を振り返っていく訳ですが、巨人入団当初から「メジャーに近かった」男の生き様を見ていきましょう!
上原浩治を見て分かって頂きたいのは、常に向上ばかりしないのが人生であり、そしてプロ野球なのです!!
目次
上原浩治の巨人の成績は先発と先発以外で明暗が分かれてしまった!!
様々な経験が気持ちに表れるようになったのでしょう・・・
しかし、それでも挑戦することは諦めませんでした!!
踏まれても起き上がる男、上原浩治の巨人時代を、
- 輝かしい先発投手時代、プロ1年目から6年目
- どん底からメジャーへ、プロ7年目から10年目
の2つでお伝えします。
まずは、上原浩治のプロ1年目から見ていきましょう!
輝かしい先発投手時代、プロ1年目から6年目
巨人のエースとして、有り余る才能を存分に発揮しました!!
上原浩治はプロ1年目(1999年)に「20勝4敗、防御率2.09」で「最多勝」「最優秀防御率」「最多奪三振」「最高勝率」「最優秀投手」「新人王」「沢村賞」などのタイトルを大量に獲得し「新人離れ」した結果を残しました!
しかし、上原浩治はプロ2年目、3年目に「下半身のケガ」により思った通りの成績が出せず、特に3年目は「10勝7敗、防御率4.02」という「エース失格」の成績を残してしまうのでした・・・(悲)
それでも上原浩治は腐る事無く、プロ4年目(2002年)には「17勝5敗、防御率2.60」の成績で「沢村賞」を獲得し、また5年目、6年目には「16勝、13勝」を記録して、エースとして返り咲くことが出来ました!
途中ケガがあって全てが順調ではありませんでしたが、新人時代の成績を筆頭に、上原浩治は巨人のエースの地位を保つことが出来たんじゃないでしょうかね。
やっぱり1年目の上原浩治が凄すぎて、ここで上原浩治の記憶が止まっている巨人ファンも多いのではないでしょうか・・・
どん底からメジャーへ、プロ7年目から10年目
雲行きが怪しくなってきました・・・
それでも上原浩治は目標を変えませんでした!
7年目(2005年)の上原浩治は、開幕前に「メジャー行きを表明」しますが、巨人側に認めてもらえず、球団との対立が明らかになってしまい、成績も「9勝12敗、防御率3.31」と全てが裏目に出てしまったシーズンでした。
また、9年目(2007年)に「抑え」に転向した上原浩治は「4勝3敗32セーブ、防御率1.74」という好成績でしたが、私は大事な場面(CSとか)で打たれるシーンが印象的だったので、上手くいっているように見えませんでした・・・
そして、10年目(2008年)に突入した上原浩治は、開幕早々に「メジャー行き」を表明し、この年がプロ野球最終年となりました。
有終の美を決めたかった上原浩治ですが「スランプでの二軍行き」や「中継ぎでの失敗」などがあり「6勝5敗、防御率3.81」という微妙な成績でしたが、それでもメジャー行きを断念することはありませんでした!
正直言って、私は上原浩治のこの成績では「メジャーで失敗する!」と強く思っていたのですが、実際に上原浩治は「メジャーで立派な抑え投手」として活躍していましたからね、本当にすいません・・・・
本人の「雑草魂」が結果に表れるようになったと私は思いますが、本当に「精神的」な部分が上原浩治のスランプの原因だったのでしょう・・・
その辛いスランプを乗り越えたからこそ、上原浩治はメジャーでも「沢村賞」並みの活躍をすることが出来たと私は思っています!
巨人時代の上原浩治は、徐々に成績が下がってしまったという表現で合っているとは思いますが、下がりっぱなしにしなかったことが、一番評価されることではないでしょうか?
何事も上げるのは難しいですが、下げることは非常に簡単ですからね!(実体験)
見事にV字回復を達成した上原浩治ですが、巨人時代は常に「素晴らしい制球力」を発揮していたことはご存知ですよね。
次は、上原浩治の生命線ともいせる「制球力」について見ていきましょう!
上原浩治の巨人の成績は寸分狂わぬ制球力が要だった!!
歴代1位の制球力は上原浩治の特権である!!
投手の制球力を表す指標として「与四球率」という項目がありますので、与四球率で上原浩治の素晴らしさを見てもらいたいと思います!
まず、与四球率の求め方ですが「(与四球×9)÷投球回」となっていますので、上原浩治の該当する通算成績を当てはめてみると・・・
なんと「約1.20」!!
ちなみに、プロ野球では「3.0」ぐらいであれば「普通」とされており「2.0」で「エース級」と言われているので、上原浩治の与四球率は「破格のエース級」ということになっているのです!
また、これを歴代の「与四球率ランキング(投球回数1000回以上)」に当てはめると・・・
1位 上原浩治 1.20
2位 土橋正幸 1.21
3位 武田勝 1.38
4位 大崎三男 1.41
5位 高橋直樹 1.48
と、堂々の1位であり、上原浩治は歴代の猛者たちの上に立つ最強の「精密機械」だったのです!!
何故、上原浩治はこれだけの制球力があって、巨人時代の終盤はスランプに陥ってしまったのでしょう・・・
あくまで予想ですが、入団2年目にやってしまった「下半身のケガ」をかばう余りに、下半身の踏ん張りが効かなくなってしまい、球威が無くなってしまったのではないかと私は見ています。
そこに上原浩治の「制球力」の良さが合わさってしまい「威力のないストライクボール」を多投することになり、そのボールが恰好の的にされてしまったと私は思っています!
しかし、メジャーでの上原浩治はしっかりと「克服」していたので、巨人ファンの皆さんはご安心してください(安堵)
では、ここで再び、輝かしかった上原浩治の新人時代を見返してみますが、この当時はもう一人の怪物新人が居たことはご存知でしょうか?
・・・そう!あの「松坂大輔」がデビューしていた年でもあったのです!!
上原浩治は松坂大輔を超える最強の新人投手だった!!
真の平成の怪物は上原浩治ではないのか!?
松坂大輔と言えば、奇しくも上原浩治と同じ1999年にプロ野球デビューしたのですが、新人というか怪物に近い成績だったことはご存知だと思います。
しかし!!
松坂大輔と上原浩治の1年目の成績を見比べてみたところ「上原浩治の方が上だろう!!」と私は思ったので、あなたにもその結果を見届けてもらいたい所存です!!
上原浩治 20勝4敗 防御率2.09 与四球24 奪三振179
松坂大輔 16勝5敗 防御率2.60 与四球87 奪三振151
あなたはこの成績を見て、上原浩治はどこが松坂大輔より勝っていると思いましたか?
そうですよね、コントロール!つまり「与四球」の数ですよね!!
松坂大輔は、上原浩治の「3倍以上」のフォアボールをやってしまっていることになりますから、投手としてはあまり褒められたものではありませんよね(汗)
しかし、松坂は155km/hという速球があったので、多少ボール球が多くても成り立っていたということになります(荒れ球)
上原浩治の速球は140km/h後半でしたけど、私は結構「ノビのある球」だったと認識しているので、速球も松坂といい勝負なんじゃないでしょうか!?
あと、与四球以外の成績でも全て上原浩治の勝利なんで「平成の怪物新人対決」は、上原浩治の圧勝ということを、是非、心に染み込ませてください!!
松坂大輔に完勝した上原浩治ですが、彼の野球に対する想いというのはとても「強い」ものだったんです・・・
特に「卑怯」な投球は決してやりたくなった上原浩治は、ある時、苦渋の決断をしなければなりませんでした・・・
上原浩治はマウンドで涙を流すほど野球が大好きだった!!
チームメイトの為とは言え・・・
これは、新人1年目の上原浩治がチーム最終戦で遭遇した出来事でした。
対戦相手はヤクルトであり、ヤクルトには本塁打42本の「ペタジーニ」がいて、巨人には本塁打41本の「松井秀喜」がいました。
ヤクルトペタジーニの成績と現在は?野球選手と愛妻家は両立出来たのか!?
ヤクルトは、松井秀喜に対し「一貫して四球」を続けており、松井に本塁打王を取らせないようにと必死でした。
これを見て巨人ベンチも、先発投手だった上原浩治に「ペタジーニには敬遠」のサインを出し、ペタジーニの3打席目は敬遠することとなりました。
この敬遠に上原浩治は「マウンドを蹴り上げ、目に涙を浮かべていました・・・」
ペタジーニと勝負させてもらえないことに、上原浩治は悔しさを感じてしまったとされています。
「なんだ、泣くことはねーだろー」と思っている方も、上原浩治が、
「究極の負けず嫌い!」
という投手であれば、納得してくれるでしょう!
とにかく上原浩治は「野球が大好きで、敬遠などの卑怯なことはしたくない!」と上原浩治自身が言っていたのですから、ペタジーニに対する敬遠は、かなりキツかったと私は思います(辛い)
こういった純真な想いこそが、上原浩治をメジャーでも活躍出来るような選手に成長させたのではないでしょうか!?
野球に対して熱い想いをもっている上原浩治ですが、その想いを「巨人の首脳陣」として発揮することは無いんでしょうか?
2017年の巨人はとにかく緊急事態なので、上原浩治は高橋由伸監督を助けてやって欲しいのです!!
上原浩治は盟友高橋由伸を救えるのか!?
コーチ兼任選手でお願いします!!
2017年6月9日、巨人は「球団ワースト1位」となる「13連敗」から脱出することが出来ました!!
Yahooニュースのコメントには「もっと連敗しろ!!」などの激しい意見も多い中、上原浩治が自身のTwitterで「巨人…良かったぁ」「自分も頑張ります!!」とつぶやいたのです!!
私はてっきり、古巣巨人とは仲が悪くなっていたと思っていたのですが、こうやって巨人の安否を気にしてくれる上原浩治は、高橋由伸監督にとって「救世主」になるんじゃないのか!?
と思っているのです。
実は、上原浩治と高橋由伸の生年月日は同じであり(1975年4月3日)、現在でも連絡を取り合っていると言われているぐらいの仲なのです!(盟友)
ここは上原浩治が「男気」を見せて、2018年は巨人で「コーチ兼任選手」に就任するのはどうでしょうか!?
2017年現在の巨人の抑えは不安定な部分があるので、上原浩治のような実績のあるメジャーリーガーが試合を締めてくれると、巨人の人気と成績が上昇することは間違いなしですよ!!
高橋由伸監督も上原浩治投手コーチの力を借りたいと思っているはずなので、是非、実現させてください!!!
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上原浩治の巨人の成績は沢村栄治並!沢村賞2度受賞の男が見た栄光と挫折!のまとめ
最後まで読んで頂きありがとうございます。
上原浩治の巨人時代を見てきましたが、沢村栄治並みの栄光と、ケガをした桑田真澄並みの挫折を体験してきたのでしょう。
巨人桑田真澄の成績と現在に迫る!野球と共に生きてきた男の生き方を学ぶ!
それでも這い上がって、メジャーという新しい希望に辿り着くことが出来た上原浩治は本当に「雑草魂」の持ち主ですよね!!
巨人のコーチになってほしいという思いは、巨人ファンなら誰でも持っていると思っていますが、現実的には難しい話ですよね・・・
それでも、高橋由伸監督は上原浩治の「巨人入り」を期待しているはずなので、我々野球ファンも後押しをしていきましょう!!