「三冠王について調べていたんだけど、意外なことに王貞治じゃなくて落合博満が獲得回数が1位で、しかも「3回」も獲得しているんだよね?凄くね!?」
そうですね、単純に「すげー」です(笑)
もちろん、落合博満は「すげー」だけで片付けられるような選手では無く「首位打者」「本塁打王」「打点王」をそれぞれ「5回ずつ」獲得し、内3回は「三冠王」に輝いています!!
また、通算打率「.3108」で歴代7位、通算本塁打「510本」で歴代6位、通算打点「1564点」で歴代5位と、どの打撃記録を見ても落合博満の名前を見かける程、偉大な打者なのです!!
「これは・・・絶句するしかない記録ばかりだなぁ。見た目は中年のおっさんなんだけど、野球に対する記録は『国宝級』かと思っちゃうぐらいだなぁ・・・」
間違っちゃないですね「落合博満が国宝」という考えは、私は賛成しますよ!!
・・・まあ「国宝」はともかく「国民栄誉賞」は与えられもいいような気がしますが、落合の「オレ流」が強すぎたので授与は見送られたのかもしれませんね・・・(汗)
しかし、数多くのプロ野球選手の中で、これほどの成績と記録を残してきた選手は本当に「極稀」なので、希少価値が高い落合博満の「現役時代」を、振り返っていこうじゃないですか!!
野球ファンのあなたは、落合博満の「偉大さ」を再認識することでしょう・・・!!
目次
落合博満の成績は三冠王を三度も獲得する敵無しの打者だった!!
20年間のプロ野球人生で、後世に伝える成績を残しました!
そんな落合の華麗なる球史を、
- パ・リーグの記録はオレの物!プロ1年目からプロ8年目
- セ・リーグでも三冠王を獲る!?プロ9年目からプロ15年目
- まだまだやれた!?プロ16年目からプロ20年目の現役引退
の3部作でお伝えします!!
まずは、ロッテ時代のプロ1年目から8年目までを見ていきましょう!
パ・リーグの記録はオレの物!プロ1年目からプロ8年目
三冠王を三度獲得したのは、落合博満だけです!!
落合博満は、すでに「25歳」という年齢でロッテに入団し、プロ4年目(1982年)には「打率.325、32本、99打点」を記録し史上最年少(28歳)で「三冠王」を獲得しました!
しかし、この三冠王の成績は「物足りない」という世間の評価を受け入れた落合は「わかりました、もっと打てばいいんでしょ」と言わんばかりに、更なる高みを目指したそうです(凄)
その結果、プロ7年目(1985年)には「打率.367、52本、146打点」プロ8年目(1986年)には「打率.360、50本、116打点」という誰も文句が言えない成績を残し「2年連続三冠王」を達成しました!!!
そんな落合博満をロッテは「1対4のトレード」に出し、4人選手を放出させた中日に移籍することになったのです・・・
このトレードを受け落合は、
「私がいつミスター・オリオンズになったんだ。 そんなものになりたいと思ったことはないし、ならせてくれと誰かに頼んだこともない。」
と思ったらしく「落合をトレードに出したら監督をやります」といった「有藤道世(のちのミスター・オリオンズ)」を批判することになりました。
要は、有藤が「落合の存在は自分の存在を薄くするから、どこかに行って欲しい。」という何ともワガママに近い要望だったということですね(汗)
・・・しかし、三度の三冠王に輝いた落合博満ですが本当に立派ですね!!
特にプロ7、8年目の記録は群を抜いており、現在のプロ野球でこれだけの成績を残せる選手はいないと私は断言しますね、それだけ圧倒的な数字なんですから。
セ・リーグでも三冠王を獲る!?プロ9年目からプロ15年目
なかなか三冠を揃えるのは難しい!
中日に移籍してきた落合博満は、移籍初年度のプロ9年目(1987年)に「打率.331、28本、85打点」と好成績を残し、三冠王獲得の可能性を残しました!
しかし、その後の成績は三冠王に届く成績は残せず、プロ11年目(1989年)の「打率.321、40本、116打点」と「打点王」のみの獲得となり、この成績が中日でのピークとなりました(悲)
そして、プロ15年目(1993年)に落合博満は、FA宣言を行い、憧れだった巨人へ移籍するのでした。
・・・いや、全然衰えていないですよね、中日で三冠王が獲れなかっただけで、成績は「中日の4番打者」として機能していますよ!!
例えるなら、A5ランクの牛肉がA4ランクになってしまったぐらいの変化ですね!
このまま落合にはA4ランクを維持して欲しいのですが、どうなんでしょうかね・・・
まだまだやれた!?プロ16年目からプロ20年目の現役引退
A3~A2のランクに変化してしまいました・・・
プロ16年(1994年)に巨人へ移籍してきた落合博満ですが、やはり成績は衰えてきました・・・
その衰えの中でも、プロ17年(1995年)18年(1996年)には「打率.300超え」を達成し「まだいけるか?」という踏ん張りを落合はファンに見せ付けました!
しかしプロ18年には巨人退団、プロ19年(1997年)には日本ハムに入団しますが「打率.262、3本、43打点」と43歳の落合にはこれが精一杯でした。
プロ20年目(1998年)には59試合の出場に留まり、自由契約となり、落合博満20年のプロ野球人生に幕を閉じたのでした・・・
三冠王を三度獲得した落合博満でも、年齢による衰えには勝てませんでしたね(汗)
落合は、イチローのように毎日体を調整しているわけでは無く、中年太りが目立った体型でしたが、それでも巨人時代は打率.300を残せたので、野球は「体型」だけでは無いんだなーと私は感じました。
20年という長い現役時代だった落合博満ですが、これがもし、最初から巨人に来て「巨人で三度の三冠王」を達成していたら、球史・・・いや、歴史は変わっていたと私は見ています!
巨人は、「江川卓」の件がなければドラフトで落合を指名するつもりだったらしいので、落合の野球人生は幸運には恵まれてなかったみたいですね(悲)
ドラフトには恵まれなかった落合ですが、成績には恵まれていましたよね!
その恵まれた成績の裏には落合の「有言実行」が隠されているのです!!
果たして落合の言葉と行動とは、どんなものなのか一緒に見ていきましょう!
落合博満の成績は有言実行を行い偉大な記録を達成させていった!!
節目の記録は全て「ホームラン」だったのです!!
それを達成させる為には「類を見ない選球眼」が必要だったのです!
落合博満はプロ20年で通算「2371安打」打っているのはご存知でしょうか?
まあ、落合が2000本安打以上打っていることは野球ファンの誰でも知っていることですが、では、記録の節目に全て「ホームラン」を打っていることはご存知でしょうか!?
500、1000、1500、2000と全てホームランで達成していますが、全て「偶然」では無く「実力」つまり「狙って打っていた」のです!!!
私は、落合が2000本目を達成した1995年4月の阪神対巨人戦を観ましたが、達成した3打席目はとにかくいいボールが来るまでは、ひたすらカットしてファールで粘っていました!
最後は、左中間のホームランで決めるのですが、記録の決め手となったのは「落合のバットコントロールが凄いから」と一般的に言われていますが、私は落合の「選球眼」に注目しました!
落合博満は、打席に入ってから審判に対して「今の入ってた?」「今のは球1個分ズレている」「チョット低いな」と投球に対するの意見を言っていたのです(汗)
この落合の選球眼には審判も舌を巻いていたらしく、落合がストライクの基準になっていた部分もあったらしいです(驚)
結果、落合博満は「審判も驚く」選球眼とバットコントロールを駆使して、節目の安打をホームランにすることが出来たと私は予想しています!
落合は8年連続でシーズン最多四球数と歴代2位の最多四球数(1475個)の記録を持っており「敬遠」も含まれていますが、選球眼の良さも十分加味されていると私は思いますね。
こういった技術があるから落合は引退後のインタビューに「全て狙っていました。」と発言出来るカッケー男なのです!
そんなカッケー男落合は、守備もカッコよく決めていたのでしょうか?
実はエラーばっかりだったというオチではないか心配なので、早速見ていきましょう!
落合博満の守備は果たして三冠王に匹敵するような技術だったのか!?
確実に、そして堅実に行っていました!
決して「ザル守備」ではありません!!
落合博満は主に「二塁手」「三塁手」を守り、晩年は「一塁手」として守備をやってきました。
一般的なイメージだと「落合は怠慢な守備」だと思いますが、下手くそだった訳では無く「守備範囲がちょっと狭い」だけであり、巨人の阿部慎之助よりは上手かったように私は見えました(汗)
落合は一塁手として通算1497試合中12717守備機会があり、失策はわずかに58個で一塁手として歴代1位(700試合以上)の通算守備率.9954を記録しているのです!
また、落合自身も「指名打者」制度には批判的であり、指名打者での出場は通算2236試合中「17試合」のみとなっています!
私は落合がこんなに守備に固執しているのは「守備に付いて打席のリズムを作りたい」と、どこかで発言していたと思っているからです(曖昧)
ロッテ入団時は、シャープな体付きだったので二塁手を任せられたのでしょう。
ただ、中日時代からだんだん腹が目立ってきたので、三塁手、一塁手と負担が少ない守備位置へコンバートされたと私は見ています(汗)
落合博満の守備は三冠王に匹敵する内容ではありませんでしたが「打率.278、21本、62打点」ぐらいの守備はやれていたと私は太鼓判を押しますね!
ザル守備ではないことを証明出来た落合ですが、合わせて「巨人愛」も証明していきましょうか!!
巨人に入団するまでに遠回りをしてしまった落合ですが、何故そうなってしまったのか見ていきましょうか!
落合博満のトレードやFA宣言から見る巨人愛とは!?
巨人との縁をなかなか掴むことができなかった落合です・・・
落合博満は、巨人からドラフト2位で指名される予定だったのですが、江川事件(江川が無理して巨人に入団した事件)があって、巨人はドラフト会議出席を拒否した為、実現することはありませんでした・・・
また、ロッテ時代に「巨人からトレードの打診」を受けたみたいですが「巨人に落合と釣り合う選手がいなかった」ので、トレードは実現しませんでした。
しかし、中日へのトレードは実現してしまった落合ですが体育会系の「星野仙一」には「愛」を見出すことが出来ず体育会系嫌いの落合にとっては、星野の「喧嘩野球(すぐに乱闘する様)」は肌に合わなかったらしいです・・・(確かに)
そして導入されたばかりのFAを使い、巨人へ移籍し、
「長嶋さんを胴上げする為に来ました。」
という旨の発言をし、落合にとって待望の巨人入りを果たすのです!!
うーん、落合の「人格」もあり、成績は順風満帆でしたが、その中で球団と亀裂が走っていたように私は見えました。
やっぱり「オレ流」を貫き通すと、組織の中では孤立しやすくなります。
また、有名選手であるからこそちょっとした発言でもマスコミに大々的に取り上げられてしまい、余計な「誤解」が発生しやすくなりますよね?
そんな様々な衝突を繰り返しており、且つ40歳でFA宣言した落合を拾ってくれた「長嶋茂雄」は本当に落合にとって「救世主」だと私は思いました!
40歳の選手を「4番」で起用し続けた長嶋監督と、その気持ちに全力で応えていた落合博満は、もっと早い段階で出会っていれば本当に球史が変わっていたかもしれませんね・・・
同じ球史でも、もし落合がプロボウラーになっていたらどうなっていたんでしょうね?
唐突にプロボウラーが出てきましたが、実は落合はプロボウラーを目指していたらしいので、私とあなたで真相を突き止めてみましょうか!!
落合博満はプロボウラーを目指していた!?
しょーもないことでその夢は閉ざされました・・・(笑)
プロ入り前、落合博満は「東洋大学」に進学しておりそこで「体育会系のノリ」に嫌気がさし、半年で野球部を退部してしまい、大学も辞め故郷の秋田へ帰ってしまいました。
秋田のボウリング場でアルバイトをやっていた落合ですが、ボウリングの面白さに気付き「プロボウラーを目指す」ことになったのです(大汗)
しかし、プロテスト受験の日に「スピード違反」で捕まってしまい、罰金を支払って「プロテストの受験料が払えなくなった」ので、プロボウラーへの道は諦めてしまったのでした・・・
・・・捕まって良かったですよ、捕まっていなかったら落合博満は「プロ野球選手」じゃなくて「プロボウラー」になっていたんですから!!
いや、私自身がボウリングのスコアが低くてボウリングを軽視している訳では無く、落合が野球の道に進んでいなかったら「偉大なる記録」「中日の監督」「信子夫人との結婚」が全て無しになっていたんですよ!!
これは、落合本人にとってみても「相当な痛手」ですよね?ファンの皆さんどう思いますか!?
私は、秋田県の英雄はボウリングの球では無くて、野球の球を打つのが得意なんですから、ボウリングは「趣味」で止めておいてもらって本当に良かったと思っています!!
落合博満の現役の成績は凄すぎ!!伝説の三冠王は有言実行が出来る天才だ!のまとめ
最後まで読んで頂きありがとうございます。
落合博満の凄さは成績が全てを物語っており、これからのプロ野球には現れないんじゃないかなーと私は思っています。
それは、いい選手は「すぐにメジャーに行く」背景もありますが「オレ流」を貫き通せている選手が見当たらないからです。
オレ流は、自分の道が定まっているからこそ突き進めるものであり、右往左往しない「信念」を強く持つことが必要ですね!
落合博満のような技術よりも、落合博満の考え方を身に付けた選手が出てきたら、今のプロ野球はもっと面白くなるんじゃないかーと私は思っています!!
落合博満の監督の成績が驚異的!野球の情熱を選手に与え続けたオレ竜采配!
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