「野茂英雄がメジャーに行ったときは色々と騒がれていたよなぁ。でも、多少なりともメジャーでは結果を残してきたし、日本人選手がメジャーで評価されるようになったよな。」

そうですね、野茂英雄が長い間メジャーで「投げ続けた」からこそ、日本人選手のメジャーへの道が大きく開かれたのでしょう。

その反面、将来有望な選手はメジャーに行ってしまい、日本球界が「寂しくなる」傾向が強くなりましたね(泣)

ただ、野茂のようにメジャーに行くことが「裏切り行為」などでは無く、真の野球ファンであれば「頑張って来いよ!」と見送るべきですよね!

「俺の本音はずっと日本にいてほしいんだけど、その選手の可能性を潰す訳にはいかないもんなー。野茂だって成功することが保証されてメジャーに行った訳じゃないでしょ?」

確かに、野茂の日本での成績は「完璧」という訳では無く、野茂の周辺やファンも「良い所」と「悪い所」をしっかり分析していましたからね。

その為、渡米した最初は「マイナー契約」で、しかも年俸は「約900万円」という「低評価」からのスタートだったのです。

しかし野茂はそこからメジャーに昇格し、トルネード投法を武器に「功績」を作っていきました!

果たして、野茂が作り上げた「功績」は一体どういったものだったのか、一緒に見ていきましょうね!

野茂英雄の成績と年俸から見る彼の偉大な功績

野茂はメジャーで投げ続ける「意地」を捨てなかった!

だからこそ、「日本人選手」とメジャーとの接点が増え始めたのです!

野茂はメジャーで2度の「最多奪三振」と2度の「ノーヒッター」を達成し、タイトルや記録にもある程度恵まれました。

また、年俸は2004年度の「約900万ドル」が最高で、日本にいた頃よりは高い金額を貰っていましたが、「メジャーでトップレベル」の年俸ではありませんでした。

そして、野茂のメジャーでの通算成績が「123勝、109敗、防御率4.24」と結果的には「それなり」の成績になりました。

その結果を踏まえると、野茂の「落ち目」の時期は何度かあったと私は思います。

何故、そのタイミングで「プロ野球」へ戻って来なかったのでしょうか・・・

それは野茂の「意地」だと私は思っています!!

野茂は14年間もメジャーで投げ続けていました。

正直いって野茂は「ボロボロ」だったのでしょう・・・(泣)

7回の移籍を繰り返して「限界」まで野茂は投げ続けたのですから!

野茂が「限界」まで投げ続けることによって「プロ野球より、メジャーで投げ続けてよかった」と体に染み込ませたかったのではないでしょうか。

野茂が体に染み込ませる一番の理由は、プロ野球で「監督と近鉄との確執」があったからです。

その事がメジャーに来た理由でもあり、やっぱり監督と近鉄を「見返してやる!」という部分は少なからずあったのでしょう。

結果、「意地」を見せ付けることで、野茂の活躍にも繋がり「日本人選手」のメジャー行きへの切符が増えたことは間違いないですね!

そんな「意地」を全面に出した野茂のメジャーでの成績は、実際にどういった内容だったのでしょうか。

野茂のメジャーでの年俸も合わせて、一緒に成績を見ていきましょうね!

野茂英雄 成績 年俸 メジャー

野茂英雄のメジャー時代の成績と年俸は評価に値する!

決して「失敗」ではなかった野茂英雄のメジャーリーグ!

そんな野茂の実績を、

  • これが「The Tornado」の成績だ!
  • これが「The Tornado」の年俸だ!

の2つで紹介していきます。

ちなみに野茂はメジャー時代に「The Tornado」という愛称で呼ばれていました

まずは野茂のメジャーでの成績から見ていきましょう

これが「The Tornado」の成績だ!

野茂英雄のトルネード投法は、メジャーでも三振が取れることを証明しました!

野茂の注目すべき成績は「奪三振」です!

野茂は、手術やケガなどの影響が出ていたシーズン以外には、「投球イニング数以上の奪三振」をシーズン単位で記録していました。

これは野茂が1試合(9イニング)投げて「1イニングに1回以上は三振を取っていた」ということになります。

結果、野茂の奪三振率(1試合の平均奪三振数)は8.73と、メジャーで歴代19位と好成績を残しました!

野茂が三振の山を築いた要因は、トルネード投法から放たれる「速度以上にノビのあるストレート」と「落ちたと一目瞭然にわかるフォーク」の2つになりますね。

特にフォークように縦に落ちる変化球は、メジャーでも投げる投手は少なく、馴染みのない球種だった為、野茂は多くの三振を取ることができました。

この野茂のフォークが、現メジャーリーガー「田中将大」へのヒントになり、田中が得意とする縦に変化するスプリットで「メジャーでも三振がとれる」というキッカケを与えたのではないでしょうか。

これが「The Tornado」の年俸だ!

野茂英雄の年俸はあまり評価されていない?

野茂の最高額の年俸は前項でお伝えした通り、2004年度の「約900万ドル」です。

2004年の為替レートを考慮すると平均1ドル110円なので、900万×110=・・・

「約9億9000万円」の年俸になりますね!

プロ野球から見ると「超高額」になりますが、メジャーの平均年俸が「約5億円」で、プロ野球の平均年俸が「約4000万円」なので、メジャーからみた日本の年俸は1/10以下ということは・・・

野茂の最高年俸を、プロ野球の年俸に換算すると「約8000万円」ぐらいの年俸になるんじゃないでしょうか(汗)

そうなると「野茂ってあんまりもらってねーな」ってことにならないですかね(笑)

成績に見合った年俸だったかどうかは微妙なところがありますが、野茂英雄は2人目の「日本人メジャーリーガー」だったので、「この東洋人はやれんのか?」という心配から「過小評価」されてしまった部分はあると私は思います。

野茂自身の売りである「奪三振」がメジャーで通用することがわかっただけでも、私は野茂英雄のメジャーリーグ挑戦は「成功」だったと思います。

年俸はあまり振るわなかった部分もありますが、当時の日本人メジャーリーガーの実績を考えると、年俸額に「大きな間違い」はなかったのでしょう。

まあ、野茂本人は「お金」の為にメジャーへいった訳ではないですから、そんな金の心配ばかりする必要はありませんよね。

私は、自分自身の貯金額を心配しないといけないので・・・(悲)

自分の将来には悲観的になってしまいましたが、野茂の近鉄時代は楽観的になっても問題無い成績でしたよ!

そんな未来が明るかった野茂の近鉄時代の成績を一緒に見ていきましょうね!

野茂英雄の近鉄時代の成績と年俸はもちろん高評価だった!

成績と年俸は良かったのですが、野茂と近鉄との関係性が・・・

そんなつらい近鉄時代の実績は、

  • 「ドクターK」の成績は大旋風を巻き起こす!
  • 野茂は年俸の「金」では無く、メジャー行きへの「切符」を選んだ!

の2つになります。

まずは近鉄時代の成績から見ていきましょう。

「ドクターK」の成績は大旋風を巻き起こす!

野茂のトルネード旋風はまさに圧巻の一言!

しかし、人間関係の不満は、トルネードでは吹き飛ばせませんでした(悲)

野茂の日本での全盛期はデビューの1990年から1993年であり、その間に、

「沢村賞1回」「新人賞1回」「MVP1回」「最多勝4回」「最優秀防御率1回」「最多奪三振3回」などのタイトルを大量に獲得しました!

その中でもやはり「奪三振率」は異常であり、全盛期(1990年~1993年)の通算奪三振率は「10.36」と1試合で平均10個の三振を取っている計算になります!

そんなことから野茂は「ドクターK(奪三振の多い投手)」と呼ばれるようになりました!

こんな成績を残したら私だったら「プロ野球はちょろいな」と調子に乗ってしまいますよ(笑)

しかし野茂は成績におごることなく、プロ野球でやっていこうとしたのですが、監督と近鉄に対して「不満」があったこともあり「メジャーへ挑戦」することを決意するのでした!

野茂は年俸の「金」では無く、メジャー行きへの「切符」を選んだ!

近鉄とマスコミが野茂を袋叩きにしてしまいます・・・

野茂のプロ野球での最高年俸(1994年度)は「約1億4000万円」です。

この時すでに野茂は「メジャーへの挑戦」を考えていました。

野茂自身の肩の故障、近鉄との不穏な関係が重なり、プロ野球にいる必要はないと決断したのでしょう。

野茂はメジャーへ行く為には「任意引退」する必要があり、近鉄側が「任意引退」を要求するような交渉が必要だと考えました。

その結果「複数年契約」「代理人契約」を要求して、その当時どちらも「誰も使用していない契約」だったので近鉄側が「大激怒」してしまい、野茂に対して任意引退を要求しました。

結局、近鉄から退団した野茂はメジャーのドジャースと「マイナー契約、年俸980万」で合意することになります。

しかし、このやり取りをマスコミにチクった近鉄は、マスコミと共に野茂を徹底的にこき下ろします!

「絶対に失敗する」「チームのことを考えていない」「自意識過剰だ!」「野茂は根暗だ!」などの罵詈雑言を連発しました!

確かに私も野茂のやり方は「きたない」と思います(汗)

素直に「メジャーに行きたいんで近鉄を辞めさせてください」と言えば良かったと思います。

しかし当時の野茂にはそういったことを「言えない」「言いたくない」事情があったのかと私は察しています。

そうなると野茂は「強引」な手を使ってでも、メジャーに行きたかったのでしょうね。

そこまでの信念があれば、1億4000万円という年俸を蹴ってでも、980万円の年俸でやることは、野茂にとって苦ではなかったのでしょう。

野茂は近鉄を見て「プロ野球ではやっていけない」と思ったのでしょうか。

プロ野球での成績が良かったばかりに、こういった経緯でメジャーに行くことは本当に残念な出来事でしたね(悲)

野茂も悪いですが、それ以上に近鉄とマスコミはダメです!!(怒)

そんなマスコミのバッシングに耐えながらも、野茂のトルネード投法はメジャーでも通用することがわかりました。

果たして野茂のトルネード投法は、どういったところに魅力を感じるのか見ていきましょうか。

野茂英雄 成績 年俸 メジャー

野茂英雄のトルネード投法は天上天下唯我独尊!

竜巻のように荒々しい投球だが、誰も真似出来ないのがトルネード投法!

何故、野茂がトルネード投法をするようになったのかというと「球に勢いがつくから」という単純な理由でした。

その結果、野茂は打者の手元で浮き上がるような、ノビのあるストレートを投げれるようになり、三振を取れるストレートを確立させました!

しかし、その反面「コントロールが悪い」ということも浮き彫りになりました。

原因はあくまで予想ではありますが、トルネードは一旦体をひねるので、野茂が捕手から目をそらしてしまう瞬間ができてしまいます。

そうすることで、捕手のミットの位置が一瞬不確定になってしまい、野茂がコントロールし辛いのでは無いかと私は予想します。

野茂は、プロ野球、メジャーでもコントロールの悪さは多方面から指摘されていましたから、トルネード投法をやめない限り、コントロールの上達は難しかったのでしょうね。

リスクを背負ってでも投げ続けたトルネード投法には、やっぱり野茂の「意地」があったんでしょう。

「意地」を張り続けることは、トルネード投法と同じように誰にも真似出来る訳ではないですし、トルネードだけ真似しても「意地」の部分が無ければ、ニセモノのトルネードしか生まれないですよね。

万能の投球術ではなかった野茂のトルネード投法ですが、その投げっぷりを見て、野球ファンのアナタは「魅了」されたはずです!

人々を魅了させることが出来るトルネード投法ですが、実は野茂はある人物から「どうにかならんのか」と注意を受けていたことがあるのは知っていましたか?

その人物がメジャー行きを決断させた張本人であることが果たして本当か、一緒に見ていきましょうね!

野茂がメジャーを決断させた理由には意外な人物が関わっていた!

選手は、監督を選ぶことが出来ません!

野茂はそこを悩んでいました!

1990年、野茂は近鉄に入団して、「投球フォーム」を変えないというのが入団条件でした。

入団時の監督は「仰木彬」であり、野茂に対して「自己の調整法に任せる」ということで野茂に「ああしろ、こうしろ」とは言いませんでした。

ところが1993年から監督が「鈴木啓二」に代わり、鈴木は野茂に対して「ああしろ、こうしろ」と言い始め「投球フォーム」にもケチをつけることになりました(汗)

鈴木は野茂の四球が多い部分と、自分が現役時代に200勝を達成した大投手であることを自負しており、良かれと思って野茂に干渉したのでしょう(汗)

「ひたすら走り込め」という鈴木の精神論が、自分にあった練習を取り入れる野茂の持論を潰してしまったことになります(大汗)

こういった鈴木の部分が嫌になり、野茂はメジャーへの活路を見出したのではないでしょうか(泣)

確かに嫌ですね、自分の考えと違う上司がいるっていうことは。

どこの「組織」にも考えられる話ではありますが「部下が、上司を選べない」システムがあるからこそ、上司は部下に対してある程度「寛大」でいて欲しいんですよね!

決して「甘えさせろ」という訳ではなく、部下の話も聞いて欲しいという意味です。

頭ごしに「ダメだ、俺の言う通りにしろ!」という発言は「上司と部下」の関係が「破綻」していると私は強く思います!

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まとめ

最後まで読んで頂きありがとうございます。

野茂は日本で指導者に恵まれなかったからこそ、メジャーリーグへ挑戦することが出来ました。

そのおかげで、今は多数の日本人メジャーリーガーが活躍をしています!

これは野茂の「ケガの功名」と言っても問題ないですよね(笑)

野茂の野球人生は本来は「日本で活躍するんだ!」という意思が強かったのかもしれません。

でも「人間関係」という誰もがぶち当たる壁に行く手をはばまれ、壁を壊せないとわかったので違う道を見つけ出したのでしょう。

野茂英雄選手の野球人生に「間違いは無かった」と拍手を送ります!!