「うーん・・・2017年の高橋監督率いる巨人だけど、7月の時点で自力優勝が消滅しちゃったんだよね。前任の原辰徳の時にはこんなことあったっけなぁ・・・」
原辰徳時代の巨人は、采配に色々と文句を付けられていましたが、オールスター前の段階で「自力優勝消滅」ということは聞いたこと無かったですね。
というか、原辰徳は巨人の監督の中では「好成績」だった監督の一人ですよ!
第一次と第二次にわかれて、原辰徳は監督として指揮を執りましたが「Aクラス11回、Bクラス1回」と、あのV9監督「川上哲治」だって「Aクラス13回、Bクラス1回」だったのです!
したがって、原辰徳は川上哲治に匹敵する名監督だったのです!!
「えーーー???それは、褒め過ぎでしょ!?原辰徳の場合はギリギリでAクラスが多かったし、あと世間をにぎわせた迷采配だって結構あるでしょ?」
・・・うん、そこは否定出来ないですね、私も「原辰徳は勘で采配しているのか?」と疑問に思ったこともありました。
ただ、そこは「長嶋イズム」を原辰徳が受け継いでいるので「避けられなかった」采配だと私は思いました(汗)
しかし!!
原辰徳は「リーグ優勝7回、日本一3回」も達成している監督ということは間違いないので、実際の成績を巨人ファンのあなたにも見てもらいましょうか!!
原辰徳の監督しての成績は、師である長嶋茂雄の成績を超えているのかを・・・!
目次
原辰徳の監督としての成績は長嶋茂雄以上の成績だったのか!?
監督の成績は長嶋茂雄とほぼ互角であり、原辰徳は師匠と肩を並べることが出来ました!!
長嶋茂雄と同じぐらいの監督手腕だった原辰徳の監督時代を、
- 笑顔が多かった第一次巨人監督時代、監督1年目から2年目まで
- 笑顔が少なくなった第二次巨人監督時代、監督3年目から12年目
の2つでお伝えします。
まずは、第一次巨人監督時代の原辰徳を見ていきましょう!
笑顔が多かった第一次巨人監督時代、監督1年目から2年目まで
「ジャイアンツ愛」を原辰徳監督は笑顔で表現していました!
しかし球団側には、愛がよく伝わらなかったようです・・・
原辰徳監督は長嶋茂雄前監督から引き継ぐ形で、2002年から巨人の監督として指揮を執り始めました。
原辰徳監督の1年目の結果は2位のヤクルトに「11ゲーム差」を付けて、ぶっちぎりで「リーグ優勝」「日本一」を決めました!
2年目もこの調子で行くと思いきや、ヤクルトと「同率3位」となり、本当にギリギリでAクラスだった原辰徳監督は、この年で監督をクビになってしまいました・・・(早)
クビになった理由は、上記の成績と「巨人フロントとの確執」と噂されていますが、当時の巨人オーナー「渡邉恒雄」は「人事異動」と発言していました。
原辰徳監督は「左遷」という形で一旦監督業から離れることになりました(休み)
原辰徳監督が2年目でクビになった件ですが「こりゃはえーな」と私が思うぐらいだったので、結構思い切った判断だったなーと感じました(汗)
3年目も続行かと思いきや「確執」問題があったので、ナベツネが問題に対して便宜をはかったのでしょうね(権力)
1、2年目の原辰徳監督は「松井秀喜」や「高橋由伸」などと「笑顔」でベンチでグータッチしていたので、巨人の権力に負けずにやっていたと思いきや、第一次巨人監督時代は悲しい形で幕を閉じてしまいました・・・
笑顔が少なくなった第二次巨人監督時代、監督3年目から12年目
勝負の鬼に変わることを決意しました!
2005年のオフ、前任の堀内恒夫から「勝てない巨人」を引き継いだ原辰徳監督ですが、監督3年目(2006年)にチームの悪い流れを打開することが出来ず「4位」となり、不安が残る再スタートとなりました(暗雲)
しかし、原辰徳監督は暗雲を吹き飛ばす勢いで、監督4~6年目には「リーグ優勝」を達成し、6年目は「日本一」を達成するなど「常勝軍団巨人」の復活が見え始めました!!
その後の原辰徳監督の成績は「悪くても3位」と常にAクラスを維持するようになり、第二次巨人監督での成績は「リーグ優勝6回、日本一2回」という素晴らしい成績を残し、12年目(2015年)には監督勇退となりました!
第二次の原辰徳監督には「笑顔」がほとんど無く、半ギレ状態でグータッチしている場面が多かったように私は見えました(怖)
また「坂本勇人」が打撃不振だった時には「ポップフライ病」と独自の観点で症状を発見し、「内海哲也」に対しては「突発性四球病」と難病の可能性を示唆していました(苦笑)
選手を小バカにしていた原辰徳監督ですが、これは「激励」の表れであり、こんなことを言ってもちゃんと試合で起用していた辺りを見ると「ツンデレ」ということで問題ないと私は思いました(笑)
そのツンデレ(勝負の鬼)が効果を発揮して、原辰徳監督が「強い巨人」に導くことが出来たのでしょう!
長嶋茂雄が、
「Aクラス12回、Bクラス3回、リーグ優勝5回、日本一2回」
であり、原辰徳が、
「Aクラス11回、Bクラス1回、リーグ優勝7回、日本一3回」
と、原辰徳は長嶋茂雄とほぼ互角と言っていいような成績を残しました!
ただ、原辰徳の方がリーグ優勝と日本一の回数が多いので「勝ち」という見方もありますが、ここは優劣をつけずに「引き分け」という遺恨が残らない方法で決着を付けましょうね。
原辰徳がここまでの成績を残したのは「巨人の戦力」と「原采配」だと私は思っているのですが、次はその「原采配」に注目してみましょう。
野球ファンの間では色々と「問題提起」されてきた原辰徳の采配ですが、果たしてあなたはその采配を見てどう感じるのでしょうか!?
原辰徳の監督としての采配は失敗を恐れない大胆なものだった!!
成功していれば、原辰徳は名将となったのでしょう・・・
前項で原辰徳の監督としての成績を見てもらいましたが、名将に等しい活躍だったのに、野球ファンの間ではあまり名将として扱われていませんよね?
それは原辰徳が「奇策」と言われても仕方ない采配をとっていたからです!!
その奇策の中で、特に私が印象に残っていた「とある策」を紹介します。
これは、2014年7月11日の阪神対巨人戦の6回表、1アウト2、3塁での出来事でした。
阪神は代打に「西岡剛」を出し、巨人は2ストライクまで西岡を追い詰めた後、
「巨人のレフトがショートとサードの間に入って、内野5人の外野2人」
と原辰徳は特殊守備シフトの指示を出し、外野は「センターがガラ空きの状態」になりました!
ここで原辰徳は「西岡は絶対に転がしてくるから、内野に5人置けば確実にゴロは取れる!!」と計算していたはずですが、実際は・・・
「西岡が誰もいないセンター方向に打球を飛ばし、2点タイムリーヒットとなってしまう」
原辰徳の思惑を見事にかき消した結果となりました・・・・・・・
原辰徳は何故「競馬で月100万円稼ぐ」みたいな方法をとったのでしょうか(超謎)
もちろん、これが成功したら「やっぱり原は巨人の名将だぜ!」と巨人ファンも大喜びだったのですが、誰もが予想していた結果通りになってしまいましたからね!
これは原辰徳の「自殺点」ということになりますね(厳)
勘が「長嶋茂雄」より優れていなかったので、原辰徳はこういった結果となってしまいましたが「チャレンジ精神」だけは評価してもいいかなーと私は思いました(温情)
原辰徳のチャレンジと言えば、WBCでとある挑戦(というか我慢)をしていたみたいですが、その我慢がどのようにWBCの結果に繋がったのでしょうか?
その我慢の裏には、あの「イチロー」が関わっていたのです!!
原辰徳のWBCでの監督はとにかくイチローを信じ続けた!!
決勝戦でイチローが原辰徳に応える形となりました!
2009年「第2回WBC」で日本代表が優勝したことは、野球ファン間では当たり前の話ですが、この大会はイチローがとにかく不振だったのです。
イチローの打率が決勝戦までで「.200前後」となっており、それでも「1番、イチロー」を起用し続けた日本代表監督原辰徳はイチローにこう言ったそうです。
「バントはするな。俺はイチローが見たいんだ!」
とバントを3回連続で失敗していたイチローにゲキを飛ばし、イチローは、
「原監督の言葉が無かったら(心が)折れていた。」
と思うことが出来たイチローは、決勝の対韓国戦では6打数4安打、延長10回に決勝点となった2点タイムリーを放つ活躍で、日本代表の連覇に貢献することができました!
うーん、いいですね、原辰徳はこういった「熱い会話」が唯一無二の特技だと私は思いました。
「イチローが見たいんだ!」なんて言われたら、イチローだって「んじゃ、俺の実力見せてやるよ!!」とやる気が湧き出てくるはずなんですよね!
だから、原辰徳の監督しての発言は「優れた選手の力を引き出す言葉」であると私は予想しています!
その言葉は原辰徳が「野球に対して真摯に向き合っている」という姿勢の表れですよね。
本当に、素晴らしいです。
野球が大好きな原辰徳ですが、ニコニコしながらグータッチしたり、半ギレしながらグータッチしたり、色んな表情を見せてきましたが、そんな彼の精神状態を私は探っていきたいと思います!
グータッチをしていた本当の理由が明らかになりますよ!!
原辰徳のベンチでの表情とグータッチは精神状態の表れだ!!
原辰徳の野球に対する姿勢の移り変わりを表情で追いましょう!!
まずは、原辰徳がグータッチを頻繁に行う理由は、
「ちゃんと拳と拳が合うように集中することと、選手との強い意思疎通を図る為。」
と言われていますが、それは笑顔が少なかった「第二次巨人監督時代」の原辰徳の考えだと私は思いました。
「第一次巨人監督時代」の原辰徳は、ほとんどニコニコしてグータッチで選手を迎えていましたよね?
笑顔が多かった理由は「この戦力だったら、適当にやってても余裕で優勝だろ?」という原辰徳の驕(おご)りからきていると思われます。
また、第二次の原監督は弱い巨人を引き継いだことになったので「ここでヘラヘラしていたら、巨人を優勝させようという気持ちが選手やファンにに伝わらない!」と気持ち改めたと私は予想しています。
つまり原辰徳の試合中の表情は「野球に対して真面目に考えるようになった」原辰徳の姿勢を表していたと断言します!!
しかし、グータッチは原辰徳がヘラヘラしていた第一次でもよくやっていましたが、これは「選手と仲がいいアピール」をしたかったのではないでしょうか?
第一次の巨人の売り文句が「ジャイアンツ愛」だった為、原辰徳がジャイアンツ愛の一環として、グータッチをやっていたように見えたので、私に上記のような無粋な予想をされても仕方ないですよね・・・
原辰徳の成長のおかげで、巨人は強くなることが出来ましたが、高橋由伸監督にもそういった「決断の時」が訪れて欲しいものです(願)
高橋由伸は監督としても天才なのか?若い感性で巨人を常勝軍団に導け!
原辰徳は、表情で己の決断を表すことが出来ましたが、もう一つ大きな決断をしていたそうです・・・
・・・それは「禁煙」だったみたいですが、原辰徳は実際に禁煙に成功したのか私と一緒に見てみましょうか!!
原辰徳は禁煙することで真の監督に近づいた!?
現役時代は吸っていたくせに・・・
原辰徳は、第一次巨人監督時代から「禁煙トレーニング」を始め、2003年12月31日をもってタバコから卒業したみたいです・・・
また、第二次巨人監督時代の原辰徳は、巨人の選手、スタッフの喫煙者全員に「禁煙令」を出し、現在では「ほとんど」の選手とスタッフが禁煙に成功しているみたいです。
原辰徳はタバコを吸うスポーツ選手に対して、
「アスリートとしての自覚が欠けている」
と上から目線の発言をしていました(汗)
まあ、原辰徳も昔は「自覚が欠けている」アスリートの一人でしたからね(笑)
現役時代から「非喫煙者」だったら身に染みる一言だったのですが、この発言はイマイチだと私は思います(笑)
でも、なんだかんだ言って禁煙に成功した原辰徳は凄いと思いますし、禁煙出来るからこそ、監督という立場にも自信がついて、思い切った采配がとれる!という訳ですね!
私はタバコを吸わないので、吸っている人の気持ちは全くわからないのですが、現在では日本全体が「禁煙」みたいな感じになっていますよね。
東京では路上喫煙は禁止ですし、会社だってわざわざ外に出ないと吸えない所だって沢山あると思います。
原辰徳は社会の流れに合わせて、上手く禁煙できたことになりましたね。
原辰徳の監督の成績は名将の域!巨人のブランド力を維持した名采配とは!?のまとめ
最後まで読んで頂きありがとうございます。
原辰徳の監督時代を振り返ってきましたが、監督しての成績は優秀でしたが「一般人には理解できない采配」があるので、なかなか「名将」とは呼べない、といったところでしょうか!?
ただ、その采配で助かっている場面もありますので「ダメ監督」という訳では無く「時には奇跡を起こす監督」というのが原辰徳には相応しいでしょう!
原辰徳監督の真の実力を知るためには「ロッテ」や「オリックス」辺りの監督をやるとわかってくると思いますので、是非、原辰徳氏にはご検討の程、お願いいたします!!