「うーん、AKD砲とか工藤とか松坂とかカブレラとかが居た時代の西武ライオンズは強かったなぁ・・・今の西武は・・・なんか、ねぇ・・」

いや、強かった西武ライオンズにすがってばかりだと、埼玉の西武ファンに怒られますよ!!

2017年現在の西武ライオンズだって強いですよ!!

球界屈指の左腕「菊池雄星」アーチスト「中村剛也」恐怖の先頭打者「秋山翔吾」現在売り出し中の「源田壮亮」などなど、西武ライオンズにはスーパー選手が沢山いるんです!!

だから、2017年現在の西武ライオンズは「西武黄金時代」に最も近い状態なのです!!

「ええぇ、ちょっと大げさなんじゃないの?流石にそこまでは仕上がってないっしょ?ちょっとひいき目なんじゃ・・・」

それは誤解ですね、私が若干ひいきにしているのは「DeNA」だけなんで、あとは正当なジャッジをしているつもりです!!

とりあえず強かった西武ライオンズの歴史を振り返ってみて、現在の西武に対する後ろ向きな考えを払拭していきましょうよ!!

ほら、ドラクエは「昔はこんなに売れていたんだ・・・最新作買ってみようかなー」って想いが芽生えてくるじゃないですか!?

西武ライオンズにも同じような感情が芽生えるように、まずは西武の歴史に深く刺さっているエピソードを見ていきましょうよ!

そうすれば、あなたも立派な西武ライオンズファンに早変わりなのです!!

西武ライオンズの歴史の中で一際目立っているはずのエピソードを見よ!!

西武には2度の王者時代があった!!

ちなみにペプシコーラは王者と関係ありませんが、以下のエピソードを見てください!!

  • 王者の風格!西武黄金時代!!
  • ライオンズの礎!野武士軍団!!
  • ライオンズとペプシコーラの関係性とは?

まずは、西武黄金時代から見ていきましょう!

王者の風格!西武黄金時代!!

当時のプロ野球界で、一番強かった球団じゃないでしょうか!?

西武ライオンズが「西武黄金時代」と呼ばれていたのは1982年から1994年と言われており、その13年間の成績は「リーグ優勝11回、日本一8回」というプロ野球界を牛耳る勢いだったのです!!!

そんな無敵の西武ライオンズを作り上げたのは「広岡達朗」と「森祇晶(まさあき)」の二人の名将でした!

広岡達朗は「軍隊式の管理野球」によって選手をもの凄く厳しく鍛え上げ、森祇晶は「広岡の管理野球を受け継ぎながら」選手を締め付けることは少なかったという指導法でした。

分かりやすく言うと、広岡達朗が無駄な雑草が一本も生えていない立派な土地を整備し、森祇晶がその土地に立派な西武ライオンズマンションを建てた!ってことで問題無いはずです!

広岡達朗の指導法は「川上哲治」に通じる所がありますが、その血反吐が出そうな指導に耐えた選手たちを一番褒めてあげたいですよね。

命令と実行には少なからず溝があると私は思っていますから(上司と部下の関係)

川上哲治の監督の成績はV9!もはや超える監督は皆無である超偉業を堪能!

また、森祇晶の場合は、選手にも恵まれた部分もありますし「秋山、清原、デストラーデ、工藤、潮崎、伊東渡辺久郭泰源東尾・・・」と、監督経験者が7人もいる選手層ですからね・・・(豪華すぎ)

「選手の面子も黄金時代だった」という側面もある西武ライオンズだったと私は見ています!

ライオンズの礎!野武士軍団!!

プロ野球戦国時代を勝ち抜いた、獅子のような集団!!

西武ライオンズの前身、西鉄ライオンズ時代に「野武士軍団」と呼ばれる選手たちが存在していました!

それは「稲尾和久」「大下弘」「中西太」「仰木彬」などの歴史に名を残した名選手たちであり、1954年から1958年の成績は「1位、2位、1位、1位、1位」で、しかも1956年から1958年は「日本シリーズ3連覇」を達成しました!!

上記で挙げた選手たちは、野武士のように「体力的、技術的に申し分ない」逸材ばかりであり、荒々しいプロ野球時代を勝ち抜いた「トッププレイヤー集団」だったのです!!

それを時代に合わせて「野武士」と表現したのでしょう!!

西武ライオンズは昔から、逸材となる選手が集まりやすい球団だったんですよ、きっと。

やっぱりね、ライオンズって名前は獅子ですから「俺も食物連鎖(プロ野球)の頂点に立ってやる!!」っていう気持ちで、意気揚々と入団してくる逸材が多かったんでしょう!!

現在の西武ライオンズにも「清原和博」のような野武士選手が入団してくることを期待したいです!(もちろん、内面もしっかりと鍛える前提で)

ライオンズとペプシコーラの関係性とは?

勝手にチーム名を考えてみました!

西武ライオンズが西鉄ライオンズの時代、野武士軍団に衰えが見えてくると、チームは低迷し、1972年、親会社の西日本鉄道はライオンズを手放すことになりました(悲)

そこで新たな親会社として名乗りを挙げたのが「ペプシコ日本法人(日本のペプシコーラの販売元)」でありますが、契約までに辿り着くことは出来ず、ペプシライオンズの誕生は幻となってしまいました・・・

と、流石に「ペプシライオンズはねーなぁ・・・」と思っているそこのあなた!

私が、ペプシとライオンズが組んだ際の「カッコいい」チーム名を考え付いたので、とりあえず見てください!

  • 案1:ペプシコーライオンズ
  • 案2:アンチレッドコーラーズ
  • 案3:炭酸ライオンズ
  • 案4:野武士コーラーズ
  • 案5:スーパーライオンズ

どうでしょうか??選ぶの難しいですよね??(甲乙つけ難い)

草野球などのチーム名に困っている方がいましたら、私にご連絡いただければ素晴らしいチーム名を付けますので、是非、ご検討ください!!!!

西武ライオンズの強かった頃のエピソードを中心に見てきましたが、昔からライオンズは強かったんですよ、予想通りです!

ただ、60年代70年代の西武ライオンズには全く触れていないので、そこが「暗黒時代」の可能性は十分にありますから、油断は禁物なのです!!

ということで、これまでの西武ライオンズの順位を見て、本当にずっと強かったのか確認していきましょうか!

西武 ライオンズ 歴史

西武ライオンズの過去の順位はパ・リーグの歴史で最高の結果を叩き出していた!!

やっぱり強いです、強豪チームです(笑)

では、パ・リーグの第一線を常に走っていたと思われる西武ライオンズの順位を見ていきましょう!

※1950年から2016年までの67年間の順位の合計

1位:21回(日本一13回)
2位:11回
3位:13回
4位:9回
5位:7回
6位:6回

そうですね、特に言うこと無く「西武ライオンズは強い」ってことが伝わるんじゃないですかね。

ちなみに弱いと言われていた、1959年から1981年の西武ライオンズを見てみると・・・

1位:1回(日本一なし)
2位:2回
3位:5回
4位:5回
5位:4回
6位:6回

という結果ですから、Bクラス(4位~6位)となる要因はこの期間にほとんど集約されていたことになりますね。

以上のことから、西武ライオンズは「1959年から1981年」以外はほとんど強かった、巨人に続く常勝軍団だった!ってことです。

巨人の歴史に迫る!栄光のV9から江川事件まで常に話題が豊富な球団!!

西武ライオンズは「連続Aクラス入り最長記録25年(1982年から2006年)」という「プロ野球記録」を持っていますから、誰もが知っている強豪チームで間違い無しですね!

西武ライオンズを褒めまくったところで、今度は永久欠番選手に目を向けてみましょう。

意外なことに背番号24「稲尾和久」1人だけとなっており、常勝軍団らしからぬ人数ですが、稲尾和久はとにかく凄い投手なので、現役時代の偉業を見れば「3人分」ぐらいあると思っています!

西武ライオンズの永久欠番である稲尾和久は歴史の中でも最高峰の投手だった!!

神様、仏様、稲尾様と言われても納得出来る成績を残していました!

稲尾和久は、現役時代「鉄腕」と呼ばれ1956年から1969年まで西鉄ライオンズで投げ続けました。

彼が「鉄腕」と呼ばれる理由は、入団1年目から肩が壊れるまでの8年目まで、先発投手としてシーズン平均「約66」登板という、現在では考えられない起用法で多くの勝利を収めたからです!

結果、稲尾和久は「シーズン42勝」という前人未到の成績を収め、今後破られることは「まず無い」記録を樹立したのです!!

また、稲尾和久が多くの勝利を得た要因は、キレがあり過ぎるスライダーとシュートを投げまくっていたからです!!

私が実際に稲尾和久の変化球を見たことがないので、例え話になってしまいますが、ヤクルトの「伊藤智仁」の全盛期のスライダーと同じレベルの変化球だと思います・・・

それを左右での変化球でやられた日には・・・まぁ、打てないですよね(笑)

肩の故障を恐れずにチームの為に投げ込んだ鉄腕と、プロ野球最高峰の変化球を持って、稲尾和久は通算防御率「1.98」という数字を残し、2012年5月1日に背番号24は「永久欠番」に指定されました!

「本当にそんな選手存在したの?」って言われても仕方が無いですよね、稲尾和久は。

今のプロ野球選手と比べてしまうと、どうも話が噛み合わないというか、悟空が初めてスーパーサイヤ人になった時と同じぐらいの衝撃があるんじゃないかなー・・・

と思ってしまうぐらい「別次元」の投手ですよね・・・

西武ライオンズに限らずですが、今後、稲尾和久を超える投手は現れないだろうし、神様、仏様の類なので、プロ野球界の「伝説」として語り継がれるのでしょう・・・(神話)

西武ライオンズの良い所ばかり見て来たので、今度は掘り返してはいけない黒歴史を触ってみましょうか・・・

西武ライオンズの枠を超えている「黒い霧事件」とは一体・・・!?

西武 ライオンズ 歴史

西武ライオンズの黒歴史、黒い霧事件とは・・・!?

長い事件なので、西武(西鉄)ライオンズを中心にお伝えしますね。

1969年、西鉄ライオンズに「八百長容疑」がかけられてしまい、投手の「永易将之」が「暴力団に依頼されて」わざと試合に負けていたのです!!

しかし、永易将之はマスコミの取材に対して「神に誓ってやっていない」と発言しますが、球団からは信じてもらえず、同年のオフに「永久追放処分」を受けてしまいます・・・

この事件を受けて、国会ではプロ野球と暴力団の関係性を「黒い霧」と表現し、実態を暴こうとする国会議員が出てきました!

これによって、世間からも「黒い霧」についての注目度が高まってしまい、雲隠れしていた永易将之を探し出し、再度真実を聞き出すことになったのです!!

結果、永易将之の口から・・・

「八百長については事実であり、西鉄から口止め料として合計550万円貰っていた。」

という言葉が出てきて、それを認めない西鉄球団との泥沼対決が始まり、結局、西鉄側が「認める」という形で西鉄社長、球団オーナーが辞任し、他にも多数の「黒い霧」に関わった選手が出てくる形となりました・・・

無いとは思いますが、プロ野球と暴力団ってまだ繋がっているんですかね?

テレビ中継で、たまに怖いおじさんがバックネット裏で応援しているのを見かけるので・・・

・・・この問題は難しいので、明るい話題に切り替えましょうね!!(強制終了)

最後は、西武ライオンズの炎獅子(えんじし)ユニフォームの魅力に迫りましょう!!!!

西武ライオンズの炎獅子(えんじし)ユニフォームは連勝記録を塗り替える起爆剤となっていた!!

巨人が13連敗なら、西武は13連勝だぜッ!!

2017年4月8日に西武ライオンズから「ライオンズ フェスティバルズ 2017」で着用するユニフォームが発表されました!

その名も「炎獅子(えんじし)ユニフォーム」というカッコいい名前なんですが、実はこのユニフォームには名前負けしない「ある力」が秘められていたのです・・・

それは炎獅子ユニフォームを着た西武ライオンズは「連勝する!」ということが判明したのです!!

2017年7月21日から獅子の如く「13連勝」を達成し、球団記録の「14連勝」まであと一歩の所まで迫っていたのです!!(2017年8月10日現在、13勝2敗)

結果「炎獅子ユニフォーム」は、連勝を呼び寄せる起爆剤となり、着用は期間限定となっていましたが再度着用が検討されるようになりました!!

2017年だけに留まらずこれからも着用し続けた方がいいですよね、かなりの縁起物だと思いますから(獅子の力)

「ちなみ」になんですが、私としては「西武ライオンズ」のチームカラーに合っていないような気がするんですが、やっぱり、連勝しているから大目に見た方が良いでしょうか・・・?

西武 ライオンズ 歴史

西武ライオンズの歴史は百獣の王の如く!だが獅子が猫になろうとしている?のまとめ

最後まで読んで頂きありがとうございます。

西武ライオンズの歴史を見てきましたが、とにかく強かったんですよ!それだけです!!

黒い霧事件やペプシの合併ご破算などを経験して、西武黄金時代を迎えた訳ですが、現在の西武ライオンズはちょっと微妙ですよね(汗)

でも、炎獅子ユニフォームの効果を見てもらいましたから、2017年が実は「西武ライオンズ飛躍の年」になるんじゃないかと私は思っているのですよ、辻監督のおかげで!

西武辻監督の成績に注目しろ!獅子をBクラスという檻から脱出させるぞ!!

ユニフォームの力だけでは無く、実力者揃いの西武ライオンズなので、必ず、パ・リーグの頂上で咆哮する獅子に戻ってくれるはずです!!