「松坂大輔がプロ入りした時は凄い盛り上がりだったよな。西武に大物ルーキーが入団したのって清原以来なんじゃないの?とにかく破格の新人だったことは間違いないだろ!」
うん、松坂大輔は「平成の怪物」という異名を高校生の時から持っていましたから、注目度はハンカチ王子以上だったと私は記憶しています!
また、その注目度以上の投球内容と成績を叩き出したので、松坂大輔は新人時代からずっと注目されてきた一流投手ということで間違いありません!!
特に松坂大輔は1年目に「155km/h」の速球で、日本ハムの「片岡篤史」から三振を奪ったシーンは、多くの野球ファンの脳裏に焼き付いているのではないでしょうか!
「そうだね、あの155km/hは松坂大輔を怪物と位置付けた素晴らしい1球だったと思うよ。もちろんその1球だけでは無くて、1年目の成績も怪物並みだったよな。」
確か松坂大輔は1年目で「最多勝」取っていましたよね、もちろん「新人王」もですが(汗)
1年目から西武の勝ち頭となっていた松坂大輔ですが、メジャーに行くまでに素晴らしい成績を収めていたので、今回は松坂大輔の「プロ野球時代の栄光」に迫っていきましょうか!
まずは、松坂大輔が西武の為に全力投球をした、プロ野球8年間の成績を見ていきましょう!!
目次
松坂大輔の成績は常に西武をAクラスに維持させた大黒柱の役目も担っていた!!
西武にやってきた怪物は、勝ちとエースの責任を背負いマウンドで投げ続けました!
西武の怪物エースだった松坂大輔の球史を、
- 3年連続最多勝!プロ1年目から4年目
- メジャーへの旅立ち!プロ5年目から8年目
の2つでお伝えします。
まずは、松坂大輔のプロ1年目を見てみましょう!
3年連続最多勝!プロ1年目から4年目
ルーキーとは思えない勝利数でした!!
松坂大輔は1998年に堂々のドラフト1位で西武に入団し、プロ1年目(1999年)には「16勝5敗、防御率2.60」という新人にしては出来過ぎの成績を残し、同時に「最多勝」「新人賞」に輝きました!
2年目の松坂大輔は「14勝7敗、防御率3.97」の成績で「最多勝」と「最多奪三振」を獲得し、勝ちと三振が取れる選手であることを示しました!!
また3年目は「15勝15敗、防御率3.60」で「最多勝」「最多奪三振」と「沢村賞」を獲得し、松坂大輔は球界のエースとして認められた結果を残しました!
しかし、4年目に松坂大輔は「右ひじのケガ」により前線離脱をしてしまい、登板回数も減ったことから「6勝2敗、防御率3.68」とイマイチな結果となってしまいました・・・
やはり松坂大輔は、3年連続最多勝を達成したことが素晴らしく、しかもそれが1年目から続いていたということに私は驚きを隠せませんでした!
また、3年目には沢村賞を獲得し大投手の仲間入りと思ったんですが「15勝15敗」で「最多敗戦」も達成していたので、正直言って、松坂大輔の沢村賞は「おまけ」で取ったものだと私は思いました(汗)
メジャーへの旅立ち!プロ5年目から8年目
防御率が改善されていきました!
松坂大輔のプロ5年目(2003年)は「16勝7敗、防御率2.83」で初の「最優秀防御率」を獲得し、これまで平均3点台だった防御率を減らすことができ、翌年も「防御率2.90」で「最優秀防御率」を獲得しました!
そして7年目は「14勝13敗、防御率2.30」で、8年目は「17勝5敗、防御率2.13」とエースらしい成績を残し、松坂大輔はメジャーへ旅立っていきました。
松坂大輔は8年目にキャリアハイの成績を残しメジャーへ行くことが出来ましたが、その松坂大輔がいた8年間の西武の成績を見ると、
「1999年~2006年:2位、2位、3位、1位、2位、1位(日本一)、3位、2位」
と「常にAクラス」を維持しており、松坂大輔の力がいかに強力だったのか、わかりますよね?(松坂が居なくなった2007年は5位)
怪物松坂大輔は、やるべきことをやってメジャーに行ったことになるのかなーと私は思いました。
松坂大輔の西武時代の成績を振り返ってきましたが、注目すべきところは「勝利数」だと私は思います!
勝利数が多いということは、それだけ松坂大輔がチームの中心に立って、西武を引っ張っていったという証なのではないでしょうか?
では、その証はどうやって示すことが出来たのか、松坂大輔の豪速球に注目して真実を探っていきましょう!
松坂大輔の投げる球は、本当に怪物並みだったのでしょうか!?
松坂大輔の西武の成績はルーキー時代から速球を中心に奪三振を狙っていった!!
球の回転数は一級品!!
松坂大輔は「安定した下半身」のおかげで「三振を奪える速球を投げられていた」と言われていましたが、高校時代の松坂大輔は「サボリのマツ」と言われる程練習嫌いだったそうなのです(笑)
なので松坂大輔は、ひたすら走りこんで手に入れた下半身を持っているのでは無く「下半身の使い方が上手い、凄くセンスのある投手」だったと私は思っています(汗)
そのセンスがプロ1年目から輝き始め、松坂大輔の速球は凄いことになっていたのでしょう・・・
また、報道ステーションのスポーツコーナーで、投手の投げた球の回転数について紹介していたことを私は思い出しました。
当時は「藤川球児」が阪神の守護神として火の玉ストレートを投げていた時代だったので、藤川球児を中心に回転数について色々と数字を紹介していました。
具体的な数字は忘れてしまいましたが、結果として、
藤川球児 > 松坂大輔 >> 一般の投手
という比較で、球の回転数が紹介されていたはずなので、松坂大輔の球の回転数は「一級品」であることが示されたのではないでしょうか!?
その高回転数の速球に加えて、松坂大輔のスライダーも「菅野智之」並みの変化量だったので、なかなか打ち崩すのが難しいことは伝わってきましたよね!
「いい速球と変化球もっているのに、なんで、ダルビッシュ有より成績が低かったんだ?」
と思っているあなた!
実は、松坂大輔は「制球力」があまり良くないんですよね・・・
・・・といっても、松坂大輔は腐ってもプロ野球選手ですからね、全く制球力が無い訳ではないはずなので、どのくらいのレベルだったのかを見直してみましょうか!!
松坂大輔の成績で最も悪いのは制球力だが果たしてどのくらいのレベルなのか!?
松坂大輔は野茂英雄の流れを受け継いでいる!
松坂大輔は「制球力無い、ノーコンだ!」だと言われていることは耳にしたと思いますが、松坂大輔がシーズン中に最も与四球を取ってしまったのは、3年目(2001年)の「117個」となっています。
ちなみに、プロ野球歴代1位の与四球のシーズン記録は、1939年に達成した「亀田忠」の「280個」なので、松坂大輔なんてまだまだ可愛いものだと思いました(子犬みたい)
しかし、こんなレジェンド記録と比較してもピンと来ないので、誰もが知っている「野茂英雄」と比較して見ましょう!
野茂英雄の与四球のシーズン記録は「148個」となっており、パ・リーグ記録となっています。
また野茂英雄のプロ野球通算5年での与四球数は「588個」で、松坂大輔は通算8年で「504個」となっておりますので、
「野茂英雄の方がノーコンだった!!」
ということがわかりましたね!!
でも、野茂英雄がノーコンという事実より松坂大輔は、
「コーナーに球を投げられなくても、甘いコースに速球やスライダーを投げていれば、ポカポカ打たれるような球は投げていなかった!!」
ということを私は知って頂きたいのです!!
野茂英雄だって、プロ野球でもメジャーでも活躍した選手ですから、松坂大輔は「野茂英雄の三振を取れる荒れ球」と同じ球を持つ選手になるんじゃないかと私は予想しています!
そして、松坂大輔は1年目で「与四球87個」でしたが、8年目では「与四球34」だったので、制球力の向上が見られますよね。
この調子で、松坂大輔はメジャーでも「制球力抜群の豪速球投手」に進化しているはずなので、松坂大輔のメジャー編を期待しましょう!
楽しみが1つ増えたところで、今度は松坂大輔のやらかした話を見ていきましょう(苦笑)
合わせて、西武の新人教育にもメスを入れていきますよ!
松坂大輔の駐車違反から考える西武の新人育成とは・・・!
清原で学ばなかったのでしょうか・・・
2000年8月、松坂大輔は「50km/hオーバーによる運転免許停止」を食らっていました(呆)
車でも速球のようにスピードを出す必要は無いんですが、松坂大輔の問題行動はここからなのです!
実は免停を食らっているのにも関わらず、同年9月13日に「球団名義の車で駐車違反」を起こしてしまったのです!
球団は松坂大輔を守るために西武広報課長の「黒岩彰」を警察に出頭させますが、マスコミに「身代わり出頭」させたことがバレてしまい、松坂大輔は「道路交通法違反」と「無期限の自宅謹慎」を食らってしまいました(当然)
これにより松坂大輔の身代わりとなった黒岩と球団社長の「小野賢二」は辞職することとなり、当の松坂大輔は一ヶ月足らずで謹慎が解除されてしまったのです(激甘)
うーん、松坂大輔に対する処分が甘いですよね、いくら西武のドル箱選手だからといって。
普通だったら「2000年のシーズンは家で大人しくしてろ!」が当然の処分だと思うんですが、やっぱり松坂大輔の経済効果に西武は目がくらんでしまったのでしょう・・・
新人で有能な選手を甘やかす傾向がありますよね、西武ライオンズには。
「清原和博」なんて最もいい例ですよね?
私は西武での清原の待遇があったからこその「現在の清原」だと思っているので、松坂大輔だってそういうことをやらかしてしまう可能性だって出てくるぞ!って話ですよ!!
松坂大輔は「サボりのマツ」と言われていたぐらいの「自己管理が不得意」な選手だったので、西武がちゃんと察知していれば松坂大輔の「黒歴史」を防げたかもしれませんね・・・
でも、一番悪いのは松坂大輔ですけどね、免停食らっての駐車違反はちょっと意味がわからないです(笑)
そんな世間知らずな一面もあった松坂大輔ですが、1年目は本当に素晴らしい成績を残していたんですよ!
では、その松坂大輔の成績に匹敵する、新人王投手は果たして存在していたのでしょうか!?
気になると思いますので、最後の項も見ていきましょうね。
松坂大輔より優れていた高卒ルーキーの新人王なんて過去に存在していたのか!?
堀内恒夫より優れていた選手が居ました!!
私は「高卒ルーキー」「1年目」「新人王」の3つの条件で、松坂大輔の「16勝5敗、防御率2.60」という成績より格上の選手を探すことにしました!!
野球ファンのあなたであれば、1966年の「堀内恒夫」の「16勝2敗、防御率1.39」が頭に浮かんでくると思っているのですが、実は、堀内より格上の選手は存在していたのです!!
それは南海ホークスの「宅和本司(たくわもとじ)」ではないでしょうか!!
彼の経歴を簡単に紹介しますと、1954年に南海に入団し1年目に「26勝9敗 防御率1.58」という、絶対に高卒ルーキーでは無い成績を残しました!!
2年目も「24勝11敗 防御率2.42」の圧倒的成績を残しますが、3年目は「6勝5敗、防御率2.28」とダウンし、その後は「1勝も出来ないまま」プロ8年の野球人生を終えてしまうのです・・・
花火みたいな選手でしたが、松坂大輔とこの年代の選手を比べるのは「酷」な部分がありますが、野球はタテ社会ですから、先輩を称えるのも悪くはないと私は思います(いいわけ)
約40~50年前の選手と比べないと、松坂大輔より格上の「高卒ルーキー」がいなかったことが見えてきましたが、そう考えると松坂大輔はやっぱり「平成の怪物」だったんですね。
これからのプロ野球に松坂大輔を超える「高卒ルーキー」が誕生することを私は心から祈っております!!
松坂大輔の西武の成績は正に怪物!高卒ルーキーの枠を超えた豪速球を見よ!のまとめ
最後まで読んで頂きありがとうございます。
松坂大輔のプロ野球時代を振り返ってきましたが、怪物らしい成績と怪物らしい速球で西武をけん引してきた投手だったことは間違いありませんでしたよね!
また、怪物であるが故に甘やかされてしまった部分もありますが、松坂大輔は反省してメジャーを目指せる大投手に進化したのです!
ただ、2017年現在の松坂大輔を見ると「メジャーで何があったんだ!?」というくらい変わってしまいましたが、それは次回触れていきますのでお待ちくださいね!
でも、メジャーでの出来事があったとは言え、松坂大輔の西武時代の成績が無効になる訳ではないことを心に刻んでおいてください!!