「うーん、ハッキリ言ってさ、メジャーに行った松井秀喜って微妙じゃなかった?ホームランも全然打ててないし、最後の方なんて代打扱いだったじゃん?メジャー行きは失敗だったよね!?」
確かにメジャーでの松井秀喜は本塁打こそは減りましたが、その反面「二塁打」の数が巨人時代より増えましたし、打点だって遜色ない結果でしたから一概に「ダメだ!」というのは厳しすぎではないでしょうか・・・
また、松井秀喜が代打扱いになってしまったのは「巨人とメジャー合わせて17年目以降」でしたからね、いくらゴジラだからといって「いつまでも無敵」って訳にはいきませんよ・・・
「わかるよ、メジャーのレベルが高くて、松井秀喜本来のパフォーマンスを保てなかったことは・・・でも、あのゴジラが中距離打者になってしまったことが寂しいなぁって思ったんだよね・・・」
寂しさを感じるということは、あなたは「生粋の松井秀喜ファン」ということですよね?
ということは、松井秀喜のメジャーでの活躍をもう少し素直に褒めてやるべきだと私は思いますよ!
そういった照れ隠しも、私がお伝えする松井秀喜のメジャーでの活躍を見て、是非、素直になってみてはどうでしょうか!?
ゴジラだって、優しくされたいはずです!!!
目次
松井秀喜のメジャーの成績は一流という勲章を授けても全く問題無し!!
メジャーに順応したことが最大の評価ではないでしょうか!?
メジャーでの生き方を見つけた松井秀喜の球史を、
- 名門ヤンキースに上陸!メジャー1年目から7年目
- メジャーで意地を見せろ!メジャー8年目から10年目
の2つでお伝えします。
まずは、松井秀喜のメジャー1年目から見ていきましょう。
名門ヤンキースに上陸!メジャー1年目から7年目
メジャーの選手としても一流になりました!
2002年12月19日に、松井秀喜は「ニューヨークヤンキース」と「約25億4100万円」の3年契約で合意しました!
松井秀喜は1年目(2003年)から「オールスターゲーム」に出場し、他の選手とのバット交換用に24本のバットを取り寄せましたが「誰とも交換できず」全て持ち帰ったみたいです・・・(悲)
松井秀喜の悲しいエピソードもあり1年目の成績は「打率.287、16本、106打点」と、本塁打こそ少なかったですが、100打点超えは「チャンスに強い証だ!」と私は思いました!
2年目の松井秀喜は「本塁打量産」に力を入れ、自身の「肉体改造」を行い、強靭な上半身を手に入れたことにより「打率.298、31本、108打点」の成績でゴジラらしさを取り戻しました!
また、3年目のシーズンオフには「4年間の契約延長(約61億8800万円)」となり、松井秀喜は「最高に幸せです」とコメントしました(打率.305、23本、116打点)
しかし、4年目(2006年)に「左手首骨折」や6年目に「古傷の左ひざの手術」などがあり、試合を休まないことで有名な松井秀喜のキャリアに大きな「穴」を開けてしまい、徐々に成績も振るわなくなってきました・・・
そして、7年目にヤンキースは「ワールドシリーズ制覇」を成し遂げ、松井秀喜は「ワールドシリーズMVP」を獲得し「本当の勝負強さ」を見せ付けます!!(打率.274、21本、90打点)
それでもヤンキースとの契約は延長されず、松井秀喜は次なるチームからのオファーを待つこととなりました・・・
やっぱり、本塁打による快音は少なかったですが、それでも松井秀喜は本塁打を打点に変え、フル出場すれば100打点近い結果を残すことをヤンキースの7年間で印象付けたはずです!
その実績が松井秀喜の「延命」の決め手となったので、もう少し、松井秀喜の足跡を辿っていきましょう・・・
メジャーで意地を見せろ!メジャー8年目から10年目
もう、心身共々限界だったのでしょう・・・
松井秀喜は「エンゼルス」「アスレチックス」「レイズ」の3球団を、1年ずつ在籍していましたが・・・
「調子の波が激しすぎると指摘される」「自分の打席で代打を出される」「マイナー落ち」「ファンからのブーイング」そして、10年目の成績が「打率.147、2本、7打点」などの屈辱を味わうことになりました・・・
そして、10年目の2012年12月27日に松井秀喜は「現役引退」を表明し、プロ野球に戻らなかった理由は「ファンの期待に応える自信を持てなかった」と話していました。
ヤンキースを抜けたあとの松井秀喜の3年間は「チャレンジ」という見方もあれば「蛇足」とも見れると私は思っています。
どちらが正しかったのかという答えは無いと思いますが、少なくとも、メジャー10年目で引退を決めた松井秀喜に対しては「お疲れ様。ゆっくり休んでください。」といってあげるのが本当のファンではないでしょうか!?
松井秀喜のメジャー10年間でしたが、決して陰に隠れるような成績では無く、特にヤンキース時代は「必要な存在」だったと私は思います!
自分の存在価値を示すことが出来た理由の一つとして、松井秀喜は「中距離打者」へ転向したことだと私は予想しています。
では、中距離打者として松井秀喜はどんな打撃を披露してくれたのか見ていきましょう!!
松井秀喜のメジャーの成績は中距離打者として活路を見出した!!
過去の栄光とは決別し、日本人の特技を見せ付けました!
松井秀喜はメジャーとプロ野球の違いを以下のように話していました。
- ボールが飛ばない
- 外側にストライクゾーンが広い
これらに対応する為に松井秀喜は「長距離打者」の看板を下ろし、メジャーでは「中距離打者」として生きていくことを決意しました!
まず「飛ばないボール」についての対策ですが、松井秀喜は「確実にミートさせる」打撃を行うようになりました!
松井秀喜が巨人時代に見せていた「右側へ大きく引っ張る打撃」だと、バットの芯を捉えづらく、ボールが飛びづらいということから、引っ張る打撃は避けるようになりました。
そして「外側に広いストライクゾーン」ですが、これは「逆方向(左側)へ流す打撃」を取り入れるようにして、同時に「左手首の強化(左手で箸を持つ」も行ったそうです(辛い)
また松井秀喜は「打てないボールは、打たなくていい」という「見切りをつける」選球眼も取り組んでいました。
以上のことを忠実に取り組んだ松井秀喜は、メジャー1年目から3年間は「3年連続100打点超え」を達成し、二塁打の数も巨人時代と比べると「倍近く」に増える結果となりました!
これは、松井秀喜が「チームプレイ」に徹するようになったんでしょうね。
やっぱり、メジャーリーグという大舞台で「シーズン50本」の本塁打を打つことは「アジア人」の松井秀喜では、やっぱり「非力」な部分が出てきてしまうと私は思うんですよ。
だからこそ松井秀喜は、日本人らしく不足している部分は「技術」でカバーし、その技術が打点に繋がるようになり、チームメイトからも、
「松井はゲームに勝つために必要なさまざまな武器をもっている。」
と、松井秀喜は評される存在となっていったのです!!
つまり松井秀喜は「技術大国日本」の底力を「野球」を通して伝えることが出来たということです!!
日本人代表メジャーリーガーとして活躍していた松井秀喜だからこそ、WBCには「日本代表」で出場して欲しかったのですが、それは叶いませんでしたね(泣)
では、松井秀喜がWBCを避け続けた理由に迫ってみましょう・・・!
松井秀喜がWBCを辞退した本当の理由に迫る!!
ヤンキースも悪いですが松井秀喜も悪いです!
松井秀喜は、第1回WBCの出場に対して「みんなが『WBCに出てください』という感じになれば、そりゃ、出ますよ。」と出る気満々だったのですが、大会が近づくにつれ、段々と返答が渋くなっていきました・・・
結局、松井秀喜のやる気満々発言から約2週間後「やっぱり出ないです」という返事を伝えることとなりました(え?)
この後、日本側は「王貞治監督」などが松井秀喜の説得を試みますが、王貞治監督宛に松井秀喜が「便せん15枚」の手紙を送り「正式な辞退」を伝えることとなりました。
松井秀喜がWBCを辞退した理由は「この時期(WBCは3月開催)にベストパフォーマンスを見せることが出来ない。」ということらしいのですが、噂では「WBCの大会の規模をナメていた」そうです・・・
結果、日本代表は第1回目のWBCを優勝で飾り、それに出場しなかった松井秀喜は新聞で「負け犬」と煽られてしまいましたが、結局、第2回3回のWBC全てを「辞退」することとなりました(残念)
こう見ると、全て「松井秀喜のせい」と思われがちですが、第1回目の辞退は「ヤンキースの圧力があった」と私は見ています!
実は、第1回目の開催年は2006年であり、松井秀喜は「4年契約の延長」をヤンキースからもらったばかりだったのです!
もしWBCに出場して、松井秀喜にケガなんかされたりして「せっかく契約延長したのに、ケガで試合に出られないのはおかしい!」ということをヤンキース側は避けたかったんだと思うんですよね!
結果、ヤンキース側は松井秀喜に対して「契約延長した理由は分かっているだろうな?」という言葉で圧力をかけたんじゃないのかなーと予想しています!
ただ、松井秀喜も最初からハッキリと言わなかったことも悪いので、ヤンキースと「五分五分」で悪いなーと思いました(痛み分け)
ちなみに2回目のWBCは「手首の骨折」、3回目は「WBCどころではない(この年は引退表明の年)」ということで松井秀喜は辞退したので、この辺は大目に見てやってください(願)
では、そんな松井秀喜はすっかり「メジャーの人間」になってしまったのでしょうか!?
巨人で監督はやってくれないんでしょうか!?
次を見れば、松井秀喜の「本音」がわかると思います・・・
松井秀喜は既にメジャーの人間となってしまったのか!?
プロ野球界の今後より、自分自身の今後を選んで欲しい!!
松井秀喜はメジャー引退後「ニューヨーク・ヤンキースGM特別アドバイザー」を務めており、2017年現在の去就は不明です・・・
無職でも全然問題ない松井秀喜ですが、実は、2017年1月に「次男」が誕生しており、現在は「子育て」に専念しているという噂なのです。
したがって、松井秀喜は子育てが落ち着くまでは、日本には戻って来ないのではないでしょうか!?
それが10年か20年かは定かではありませんが、松井秀喜が「すぐに巨人の監督になる」というのは、難しい話なんでしょう・・・
残念ではありますが、私としては松井秀喜には子育てに専念してもらいたいですし、相当キツかった野球から解放されている訳ですから、家庭と向き合える時間をしっかりと作ってもらいたいですね。
多分、巨人関係者から色々と圧はかけられていると思いますが、WBC辞退の回答のように「二転三転」せずに「子供と妻と一緒にいる時間を大切にしたいです!」と、松井秀喜はハッキリと言うべきです!!
そうすれば、恩師「長嶋茂雄」だって納得してくれるはずなので、松井秀喜は自身の幸せを追求していってください!!
巨人の次期監督は「斎藤雅樹」だろうと勝手に予想している私ですが、イチローは松井秀喜に監督をやってほしいと思っているのではないでしょうか!?
確かに「松井秀喜率いる巨人」対「イチロー率いるオリックス」の日本シリーズを見てみたいですが、その前に二人の関係性についておさらいしておきましょうね。
松井秀喜とイチローは互いを天才だと認め合っているはず・・・!!
天才と天才は若くして惹かれ合っていました・・・
松井秀喜とイチローの初対面は、1990年6月24日の星稜高校対愛工大名電の練習試合だったのです(意外と早い)
翌年には、愛工大名電の合宿所の風呂で一緒になり「プロ入り」に関して、松井秀喜とイチローは語り合ったそうです。
その後、プロに進んだ二人はリーグが違ったので、オールスターや日本シリーズでしか顔を合わせず、メジャーでも同じような感じでした。
また、松井秀喜のWBC辞退の報道が流れた時には「イチローとの不仲説」や「イチローの陰謀説」など、某スポーツ新聞レベルのガセネタが飛び交いました(笑)
でも、イチローが「9年連続200本安打」などの偉業を達成した際には松井秀喜が「称賛のコメント」を送っています。
しかも、松井秀喜が引退した際にはイチローが「ただただ寂しい」と「傷心のコメント」を送っていたので「この二人の不仲はねーなぁ」と私は思いました。
よくよく考えると「高校」「プロ野球」「メジャー」で顔合わせた選手って、松井秀喜とイチローぐらいなんじゃないですかね?
しかも松井秀喜とイチローは「偉大なる打者」ですから、こういった巡り合わせは「神のいたずら」に近い部分がありますよねぇ(オカルト)
例え「不仲」だったとしても、両者監督での「日本シリーズ」が決まった際には対戦しやすと思いますので、松井秀喜とイチローが無理に馴れ合う必要もないですよね(汗)
私としては、どっちでも大歓迎ということです!!
松井秀喜のメジャーの成績は立派!メジャーに上陸したゴジラの戦歴を見よ!のまとめ
最後まで読んで頂きありがとうございます。
松井秀喜のメジャー時代を振り返ると、巨人時代よりパワーダウンと感じてしまいますが、メジャーでやっていく上での「苦肉の策」の結果だと私は見ています。
その策の結果も、全員が納得いく結果ではなかったと思いますが、逆に松井秀喜の成績を超す日本人メジャーリーガー打者は、そう簡単には現れないのではないでしょうか?
もし表れた時は「バレンティンのシーズン60本」を超えてから、メジャーに行ってくれ!!と本音を吐き出したいと思います(笑)
そして、松井秀喜氏の活躍があったからこそ、プロ野球とメジャーに面白かった時期があった!と心に刻んでください!!