「やっぱり巨人といったら松井秀喜の存在はもの凄く大きかったよな。あの時の巨人は本当にプロ野球の中心だったよ。松井秀喜がメジャーに行ってしまってからその偉大さに気付いたなぁ・・・」

大切なモノこそ、無くしてから色々と気付くもんですよねぇ(心理)

ただ、松井秀喜が巨人から居なくなったら「巨人の人気は落ちるだろうなー」と私は思っていましたけどね・・・(汗)

なんか、こう・・・「肉の入っていないカレー」みたいな状態なるんですよ、松井秀喜が居ない巨人は!!

厚切りの牛肉のような人気と実力を兼ね備えていた松井秀喜ですが、成績は皆さんご存知の通り「巨人のゴジラ」ということで問題無いですよね?

「ちょっと『巨人のゴジラ』だけではアバウト過ぎて、ただの暴れん坊と捉えられる可能性もあるんじゃね?ゴジラはビルとか壊すし・・・」

うーん、そういう「破壊的」な打撃もあるので、相手投手は松井秀喜との対戦を「敬遠」していたのでしょう(シーズン最多四球4度受賞)

また、松井秀喜の打撃に関しては「惜しくも三冠王に届かなかった」成績ですが、並みの打者とは一線を画していましたね・・・要は凄いってことです!

そろそろ、松井秀喜の具体的な成績をお伝えしますが、とにかく「ゴジラ並」なので、東宝映画を観るような感じで読み進めていってくださいね!

では、松井秀喜の「ゴジラvsプロ野球」をご覧ください!!

松井秀喜の巨人の成績は主砲として東京ドームに無数の本塁打をまき散らした!!

一体、いくつのボールが看板に激突したのでしょうか・・・

無敵の本塁打王松井秀喜の伝説を、

  • 巨人の4番を目指して!プロ1年目から5年目
  • 不動の巨人4番!プロ6年目から10年目

の2つの伝説でお伝えします。

まずは、松井秀喜の巨人襲来1年目から見ていきましょう!

巨人の4番を目指して!プロ1年目から5年目

長嶋茂雄の熱望により巨人入りとなりました!

1992年、阪神に入団したかった松井秀喜ですが「長嶋茂雄」の「熱意」に押され、ドラフトで交渉権を獲得した巨人に入団することとなりました。

松井秀喜のプロ1年目ですが「打率.223、11本、27打点」と意外な結果となり、同時に「プロの厳しさ」を痛感することとなりました(洗礼)

しかし2年目からはプロのボールに順応していき、そして松井秀喜は巨人のクリーンナップを任されるようになり、4年目には「打率.314、38本、99打点」をマークし、ゴジラらしい結果を残しました!

また、5年目は西武から移籍してきた「清原和博」とともに松井秀喜は「MK砲」と呼ばれ「巨人軍重量打線」の要となり「打率.298、37本、103打点」を叩き出しました!

こうして松井秀喜の入団から5年間を振り返ってみるとまだ「無冠」なんですよね・・・(寂)

私が「無冠」である理由を考えてみたところ、他チームのからの「マーク」がキツかったからだと思います。

巨人戦のテレビ中継を観ていた私から言わせれば、「ヤクルト」と「中日」は特にマークがキツかったように見えました(中日の4打席連続敬遠とか)

まだこの時の松井秀喜は「20代前半」ですからね、私が太り始めた時期と同じなので、松井秀喜の成績も大きく太くなっていくはずです!!

不動の巨人4番!プロ6年目から10年目

爆弾を抱えてしまいますが、巨人の4番として試合に出続けました!!

プロ6年目(1998年)の春季キャンプに、松井秀喜は「左ひざ軟骨損傷」という「ひさ爆弾」を抱えてしまい、この傷が松井秀喜の野球人生に大きく関わってきてしまうのです・・・

しかし、ひざを痛めたからといって欠場することは無く、松井秀喜は開幕から4番として出場し「32打席無安打」などのスランプ期間もありましたが「打率.292、34本、100打点」の「本塁打王」と「打点王」の二冠を達成しました!

また、プロ8年目以降は「不動の4番」として巨人をけん引していき、8年目の松井秀喜は「全試合4番出場」を達成し「川上哲治」の記録に並ぶこととなりました(偉大)

川上哲治の現役の成績は神域!打撃未踏の地を次々と開拓した神技に刮目!!

そして、プロ10年目(2002年)に松井秀喜は「打率.334、50本、107打点」の三冠王・・・までとはいきませんでしたが「本塁打王」「打点王」の二冠を達成し、さらに「MVP」を獲得したので「ほぼ三冠王じゃん!」と私は思いました。

この年を最後に松井秀喜は「メジャー行き」を決意しますが、その際の会見で自らを「(巨人の)裏切者」と表現し、巨人対して何かやらかしてしまったような状態だったのです・・・

と同時に「巨人での松井秀喜の存在価値」は、まさに「偉大だった」ということを裏付けたのではないかと私は思いました!!

確かに松井秀喜のメジャー行き報道は一時期騒ぎとなりましたが、松井秀喜本人以外が「裏切者」っていうのはちょっとおかしいと思いますよね?

むしろ「今まで巨人を支えてくれてありがとう!」が正しい日本人としての発言ではないでしょうか!?

松井秀喜はプロ野球の「宝」であり、メジャー行きはとても悲しい出来事でしたが、きっと「巨人の監督」になって恩返しをしてくれるはずです!!

松井秀喜が巨人にいた10年間で、巨人は「リーグ優勝4回、日本一3回」という「常勝軍団」らしい成績を残すことが出来ました。

また10年間の通算本塁打は「332本」となっており、松井秀喜があと10年プロ野球で活躍していたら「野村克也」の「657本」に並んでいたことでしょう・・・

野村克也の現役の成績は文句なし!ON砲の陰で球史に刻んだ大記録とは!?

その圧倒的本塁打数を残した松井秀喜の打撃は「ゴジラ並のスイング」で成り立っていたのです!!

では、ボールを打ち砕くようなスイングで松井秀喜は、一体何を創生したのでしょうか!?

松井秀喜 巨人 成績

松井秀喜の巨人の成績は異次元のスイングから放たれる鋭角な弾道が物語っている!!

川上哲治と王貞治が融合したような弾道!!

松井秀喜は、打った瞬間にホームランだと分かる弾道をぶっ放すことで有名ですが、まさしく「弾丸」ではないかと私は思いました!

松井秀喜が「弾丸」を放つ理由の一つとして「驚異的なスイングスピード」が挙げられるのではないでしょうか!?

こんな話を聞いたことがあります。

東京ドーム専属のカメラマンが、

「特に松井のスイングは速くてね、なかなかシャッターを押すのが難しかったよ。」

と語っていたことから、松井秀喜のスイングスピードは「居合切り」と同じぐらいではないかと私は思っています!!

・・・何故、カメラマンが「速い」と言うと「居合切り」になってしまう理由は置いといて、実際の松井秀喜の打撃映像を見てもらうと分かる通り、マジで速いんですよ!!

・・・で、居合切りで思い出したんですが「王貞治」って「一本足打法」を会得する為に「刀」で練習していたんですね。

ということは「刀=居合切り」という答えは出来上がってきますよね?

また、打撃の神様と言われた川上哲治ですが「元祖弾丸ライナー」と言われていたので、これも松井秀喜の弾道と似ていますよね?

つまり松井秀喜という打者は・・・

「王貞治のような本塁打と、川上哲治のような弾道を併せ持った巨人で4番を打つ宿命を背負った選手!!」

ということになりませんかね!!??

巨人の主砲となるさだめに生まれた松井秀喜のスイングは「約束された最強の一撃」だということで納得してください!!

・・・約束と言えば、松井秀喜は高校時代から「プロ野球で活躍すること」を約束されていましたが、果たして、どのような伝説を残してきたのでしょうか!?

松井秀喜の圧倒的な成績は高校時代からすでに約束されていた!!

清宮もこのくらいのエピソードが欲しいですね。

松井秀喜の高校時代と言えば「5打席連続敬遠」という「社会問題」までに発展したことで有名ですよね。

もちろん、この他にも有名エピソードはあって、

  • 甲子園球場のラッキーゾーン撤去について「僕には関係ありません。」と発言。
  • 「柵越えしたものがホームラン」という哲学に基づき、ランニングホームランは通算本塁打数に含まれていない。
  • 10年では無く「20年に1人の怪物」
  • グラウンド周辺の民家にホームランボールが何度も直撃し「松井瓦保険」が誕生!
  • 実は外野手では無く、三塁手だった!!

などと、松井秀喜は怪物らしいエピソードが沢山保有していたのです!!

正直なところ、甲子園を騒がしたからといってプロ野球で活躍出来る保証はありませんし、ハンカチ王子のような「広告塔」に成り下がってしまった選手もいることですからね・・・

でも松井秀喜は「甲子園を騒がした」程度の枠に収まるような選手では無く、「社会現象」を巻き起こした「ジブリアニメ」のような、宮崎駿もびっくりな完全無欠の高校球児だったってことですよ!!

あとは、プロに入ってしまえば「長嶋流練習法」であっても、松井秀喜は「立派な」選手に育ち上がるという、一種の「出来レース」だったんだと私は思っています!

・・・しかし、長嶋茂雄の練習法は、本当に松井秀喜には伝わっていなかったのでしょうか?

私のような野球素人が、浅い視点でしか長嶋茂雄の指導法を見れていなかったのではないかと心配になってきました!!

その心配を払拭する為に、次の項で松井秀喜と長嶋茂雄について振り返って見ますので、これを読んでいるあなたは、浅いか深いか判断してください!!

松井秀喜 巨人 成績

松井秀喜と長嶋茂雄は二人三脚で巨人を盛り上げていった!!

長嶋茂雄の松井秀喜を4番にする「1000日計画」とは・・・

松井秀喜は長嶋茂雄とのマンツーマン指導により、球界を代表する4番になったと言われていますが、その過程を少し見ていきましょう。

プロ1年目の松井秀喜は、当時の打撃コーチであった「中畑清」からの指導は禁止されており、長嶋茂雄が直接指導していたと言われています。

しかし、1年目の松井秀喜はオープン戦の成績が「散々」だったので、一旦長嶋茂雄は中畑清に引き継ぐ形をとり、3年目までは「中畑清とのマンツーマン指導」が続いたそうです!

4年目の松井秀喜は4番に起用されるようになり、成長が著しかったので長嶋茂雄とのマンツーマン指導が再開されたのでした!

その練習法は基本素振りであり、長嶋茂雄の耳に適う「ビュッ」という音が素振りから聞こえない限り、練習が終了することは無かったそうです(厳)

練習は毎日続き、試合前はもちろん、試合後の23:00頃まで練習を続けていました!!

そして松井秀喜は8年目に「不動の4番」となり、「1000日計画」の予定は大幅に超えてしまいましたが、晩年の松井秀喜は「プロ野球で最も思い出に残るシーンは?」と質問され、

「長嶋監督と2人で素振りした時間」

と答えていたのです・・・(泣)

ハッキリ言って、長嶋茂雄の指導法は特別では無かったと思いますし「ビュッ」なんて音でどうやって判断してんだ?と思いがちですが・・・

「毎日、松井秀喜と一緒に練習に取り組んだこと!」

が、最大の「練習法」だったと私は思いました!

長嶋茂雄が毎日一緒に居てくれるということは「松井秀喜に対する期待の表れ」ですよね!?

松井秀喜はそれを感じ取って、長嶋茂雄との素振りに「誠心誠意」取り組んだのでしょう・・・

お気付きかと思いますが、この「1000日計画」の裏には中畑清の存在もありましたよね!

しかし、松井秀喜曰く「中畑さんは友達」と言っているみたいなので、中畑清の指導法はちゃんと成り立っていたのでしょうか!?

松井秀喜と中畑清の関係は「ただの友達」だった!?

友達でいいと思います(笑)

松井秀喜と中畑清の間で、こんな会話が生まれていました。

松井秀喜と中畑清の守備について

中畑「お前、高校時代サードだったんだろ?にしちゃサード下手だよ。」

松井「いやでも俺、中畑さんより上手くなると思う絶対。子供の頃中畑さん見て、うわっ、ヘッタクソだなぁ・・・って思ってたもん。」

(両者爆笑)

松井秀喜と中畑清の囲み取材が終わった時

中畑「うん、はい、オッケー」

松井に手を差し出す中畑

中畑「とりあえず、握手しよ」

松井「ありがとうございましたー」

と、中畑の握手を拒否する

(全員爆笑)

というコント並の会話が出来ているので、松井秀喜と中畑清は友達・・・いや「親友」で間違いなしでしょ!!

前項でお伝えした通り、中畑清とのマンツーマン指導があったからこそ、松井秀喜は中畑清と仲良くなれたのです!!

中畑清が指導していた際は、中畑清の自宅の地下室に呼んで素振りなどをさせていたみたいですが、練習が終わって中畑清が車で松井秀喜を送っていると、松井秀喜は助手席で「いびきをかいて爆睡」していたみたいです(笑)

この頃から、中畑清は松井秀喜に対して「コイツは大物だなぁ・・・」と思っていたそうです。

また、松井秀喜は「中畑さんからは何も学ばなかった」と「冗談」も言えているので、本当に「信頼し合っている」仲なんだなぁーと私は思いました。

松井秀喜 巨人 成績

松井秀喜の巨人の成績は超絶!巨人の人気と実力を支えた無敵のゴジラだぞ!のまとめ

最後まで読んで頂きありがとうございます。

松井秀喜の巨人時代の成績を見てきましたが、長嶋茂雄と中畑清と共にしっかりと練習してきた結果、ということが伝わったかと思います!

また、松井秀喜のスイングスピードについては「非科学的」なことを言ってしまいましたが、とにかくスイングスピードが速いってことは「本当」なので信じてください!!

やっぱりね、才能がある選手でも練習はしっかりとやっていることが身に染みたと思います!

野球ファンのあなたも「ダイエット」または「貯金」でもいいので、巨人時代の松井秀喜のように、毎日コツコツと目標に向かって進んでみるのはどうでしょうか!?