「う~ん・・・長嶋茂雄終身名誉監督って肩書きは凄いよな。ハーバード大学を卒業して国会議員になった人より全然上だと思うんだけど、どうよ!?」
昔、400勝投手「金田正一」は「天皇」なんて呼ばれていましたから、長嶋茂雄はプロ野球界の「総理大臣」くらいの地位があると私は思っています!
そんな長嶋茂雄総理大臣ですが、過去に「2度」巨人の監督として采配をふるい、「リーグ優勝5回、日本一2回」という記録を残しました!
また、独自の野球理論に基づいた指導法は、多くの野球ファンの間で話題となりましたよね(笑)
「あーそうそう、なんか『ビシッ、バーン、バキッ』とか擬音が多い指導法だったよね。たぶん選手には伝わってねーんだろうなーと思ってたよ(笑)」
いやいや、それが意外と「松井秀喜」や「落合博満」にはニュアンスが伝わったらしく、ちゃんと効果が表れていたみたいですよ、まさしく天才同士の会話ですね(汗)
しかし、長嶋茂雄の1度目の監督就任時は「王貞治のようにアドバイスを無視した指導法」をとっていたらしく色々と物議をかもしたらしいです(意外)
そういった指導法で苦労が絶えなかった長嶋茂雄だと私は思いますが、実際に監督時代の成績はどうだったんでしょうかね?
野球ファンのあなたに長嶋茂雄の監督手腕をお見せします!!
目次
長嶋茂雄の監督成績は2度やって初めて実力が発揮された!!
前監督川上哲治との確執が分岐点だったかもしれません・・・
己の道を突き進んだら壁ばかりだった長嶋茂雄の監督時代を、
- けわしい道だった第一次巨人監督時代、監督1年目から6年目
- それでも我が道を突き進んだ第二次巨人監督時代、監督7年目から15年目の監督勇退
の2つの伝説でお伝えします。
まずは、長嶋茂雄の第一次巨人監督時代から見ていきましょう!
険しい道だった第一次巨人監督時代、監督1年目から6年目
名将、川上哲治からのバトンをちゃんと受け取らなかったばかりに・・・
長嶋茂雄の監督1年目(1975年)は、大改革の年でした!
長嶋茂雄監督は、前監督の川上哲治の「アドバイスは全て無視」して、自分の好きなようにコーチを揃えて1年目に臨みましたが「第6位」となってしまい、
「コーチ陣を一新したり、一体どういう野球をしたいのかがわからなかった。」
と選手から言われてしまう始末でした・・・(泣)
しかし、2年目3年目は「リーグ優勝」を達成し常勝軍団の面目は保ちましたが、その後はリーグ優勝することが出来ず、結局、野球ファンやマスコミからは「川上哲治待望論」出るようになりました(悲)
長嶋茂雄は世間の圧力に負けた形となり、監督6年目(1980年)で辞任となってしまいました。
うーん、これも「王貞治」と同じパターンで「常勝軍団巨人は常に優勝」という「大義名分」を長嶋茂雄も守ることが出来なかったからだと私は見ています。
あと、川上哲治のアドバイスを無視したのも良くなかったのでしょう。
「ほら、見ろ!ワシの言うことに耳を傾けなったからこんなザマなんだ!!」
と激怒していた川上哲治の顔が浮かびますね(激怒)
また、長嶋茂雄の監督解任は川上哲治の裏工作と言われているらしいです(陰謀説)
やっぱり野球は、きっちりとした「タテ社会」なんですね(怖)
それでも我が道を突き進んだ第二次巨人監督時代、監督7年目から15年目の監督勇退
長嶋茂雄は第一次の監督辞任後は「テレビ番組に出演し知名度アップ(面白おじさんとして)」や「川上哲治との和解」を経て、1992年10月12日に「第二次長嶋茂雄巨人軍監督」が誕生しました!
長嶋茂雄監督は「ドラフトで松井秀喜を引き当てる」「FAで落合博満を引き入れる」「現巨人監督高橋由伸の活躍」などの効果により「リーグ優勝3回」「日本一2回」を達成します!
長嶋茂雄の第二次の監督成績は1997年の「4位」以外は全てAクラスを収め、第一次の成績を上回ることが出来ました!
しかし、長嶋茂雄監督はあくまでも「最終的な決定権は自分」というスタイルを崩すことなく「カンピューター」と呼ばれた独自采配と「大型補強」により、再び「常勝軍団巨人軍」が復活することになったのです!
高橋由伸は監督としても天才なのか?若い感性で巨人を常勝軍団に導け!
そして監督15年目で長嶋茂雄は監督を勇退し、
「野球というスポーツは人生そのものです。」
と言葉を残しました!!
私は監督としての長嶋茂雄の功績は「松井秀喜を育てることが出来た」ことが一番大きいと思いました!
というか松井は入団当時から「完成品」に近いモノとなっていたので、長嶋茂雄という「スパイス」が上手いように効いたんじゃないのかーという独自見解をしました。
あとは大型補強で「誰が監督をやっても大負けしないチーム」を作り上げたのも、長嶋茂雄の「選手時代に培ったカリスマ」が効いていると私は思いました。
ただ、コーチ陣には相当迷惑をかけた(言うことを聞かないので)と私は思っていますので「ほんとに終身名誉監督か?」なんて思っているコーチもいるでしょう(恨み)
それでも、この時の巨人は凄まじい人気でしたし、巨人を中心にプロ野球が回っているのも子供の私でも感じ取ることが出来たぐらいですからね(汗)
長嶋茂雄は監督というより巨人の「象徴」だったのではないでしょうか・・・
長嶋茂雄は「王貞治」のように「自分の過ちを認める」ことは無く、ひたすら「我を貫き通した」と私は見ています。
長嶋茂雄の考えでは、監督という立場は成功しないと私は思っているのですが、強力な選手層と長嶋茂雄のカリスマが合致して、監督しての実力以上の結果を得ることができたのでしょうね・・・
「んじゃ、長嶋茂雄はほとんど運で勝ち上がってきたの?」
と疑問を持っているそこのあなた!!
次の項へ進めば「長嶋茂雄の天才的監督手腕」が明らかになりますよ!!
長嶋茂雄の天才的監督手腕は選手たちにどう響いたのか!?
色々な犠牲はありましたが、それなりに結果が出ているので文句ばかりも言えません・・・
そんな長嶋茂雄の天才的監督手腕を、以下にまとめてみました!!
- 代打、水野:投手の水野雄仁を代打に出して、水野はものの見事に犠牲フライを打ちました!
- 條辺の起用法:高卒選手の「條辺剛」をプロ2年目から中継ぎ投手として起用し、2年目3年目と活躍しますが、4年目以降は肩を故障してしまい、24歳の若さで引退しました・・・
- 長嶋流サイン術:長嶋茂雄は選手にサインを伝える際に「バントのジェスチャー」や「フォークだよ、フォークと声を出して投手に指示」などと独自的でした。
- 長嶋流打撃術:とある選手に「ダッ パーンッ」「ブワァー」と打撃指導し、変化球の対応は「パッ、サッ、タッ」と指導しました。
まだインターネットもそれほど普及していない「おおらかな時代」だったからこそ、長嶋茂雄の監督手腕は許されたのでしょう(寛大)
特に「條辺剛」の起用に関しては、いまだにネット上で話題が出るほど語り草となっています(ちなみに條辺は、今はうどん屋として大成しています)
また、長嶋茂雄には「戦術」というのが向いていなかったんでしょう・・・
第一次巨人監督時代に長嶋茂雄はチームスローガンに、
「クリーン・ベースボール(投、打の力量差がそのまま勝敗につながること)」
と掲げていたので、監督としては常にクリーン・ベースボールを念頭に采配をとっていたのでしょう!
「ウチは強いから、サインとかバレても問題ないよ!!」
と思っていたに違いありません!!
以上が、長嶋茂雄だからこそ出来た「天才的監督手腕」でした!
これだけの実績があれば、野球ファンのあなたも「運」だけでは長嶋茂雄の手腕を片付けることができないと、感じ取れましたか?
続いては、長嶋茂雄が監督として背番号「3」を披露した際の、とある現象について見ていきましょうか!
長嶋茂雄の背番号「3」の力は絶大だった!!
期待値以上の効果だったんじゃないでしょうか!?
2000年、長嶋茂雄は監督として初めて、背番号「3」のユニフォームを披露し、低迷気味だった巨人人気の起爆剤となったことは、ご存知ですよね?
また、この勢いのままに巨人は「リーグ優勝」を果たし、日本シリーズでは王貞治率いるダイエーと対戦し「ON対決」ということで注目の的となり、見事に巨人が日本一に輝くこととなりましたね!
しかし、この裏でこんな説が繰り広げられていたのです!
「長嶋茂雄の背番号3の経済効果は10億円!!」
という説ですが、これは「古くからの巨人ファンが背番号3になった長嶋茂雄に感動し、衝動的に背番号3のグッズを買ってしまうだろう!!」という球団関係者の予想らしいのです・・・
実際に10億円の経済効果があったとは、私の耳には入ってきませんでしたので「そこそこ売れた」程度に収まったと思っています(汗)
ちなみに「松井秀喜」がヤンキースに入団した際の経済効果が「約180億円」と言われていました(すげっ!)
こうして長嶋茂雄の「10億円説」を見てみると「実は10億円以上儲かってんじゃね?」と私の意見がコロコロ変わってしまいそうです(優柔不断)
長嶋茂雄の背番号3は巨人ファンにとってみれば「静岡県民にとっての富士山」のような「とても誇りに思うモノ」なんでしょう。
と、考えると「10億円」という金額は、はした金なのかもしれませんね!
10億円以上の価値がある長嶋茂雄は「正力松太郎賞」を受賞していたのですが、次はこの正力松太郎賞の価値について迫っていきますよ!
長嶋茂雄から見る正力松太郎賞とは!?
読売新聞いわく「日本球界最高の賞」らしいです。
正力松太郎賞とは「プロ野球の発展に大きく貢献した人物(監督、コーチ、選手、審判)に贈られる賞です。
長嶋茂雄は「1994年」に受賞しており、同じ巨人の選手では「王貞治」が「4回」で「原辰徳」が3回と、他の受賞者も合わせると巨人だけで「9回」の受賞があったのです。
私はここで「正力松太郎は読売新聞の創始者だから、巨人の選手ばかりにあげてんだろう!」と思ったので、調べてみたら「西武も9回」と意外と平等に授与していたんですね(笑)
しかし、長嶋茂雄の受賞が1回だけということが意外でしたねぇ・・・
やっぱり、監督時代の成績はあまり評価されていなかったみたいですね(悲)
と見ると「正力松太郎賞は厳しい審査を勝ち残った、読売新聞のコネが効かない賞」ということが立証されましたね!!
あながち「日本球界最高の賞」という肩書きは間違ってないなぁと私は思いました。
しかし、長嶋茂雄には「正力松太郎賞」以上の「語録」がありますから、1回だけの受賞を気にやむ必要はないのです!!
私は「ノーベル賞」と同等の「長嶋茂雄語録」と感じ取ることが出来ていますから、野球ファンのあなたにも「野球界のノーベル賞」を堪能してもらいたいので、次の項へとにかく進みましょう!!!
やはり最後のシメは長嶋茂雄の素晴らしき語録集を見るべきです!!
ある意味「ノーベル文学賞」ですね・・・(笑)
では、全野球界最高峰の長嶋茂雄文学を、たっぷり吸収しましょうか!!
- イギリスに旅行中「イギリスにはアメリカ人がいっぱいいるんだなあ。」
- 風邪が流行っているという話に「インフレが流行ってるからな、インフレインフレ。」
- ガルベスが「長嶋を男にする」と言いながら成績不振だった時「僕はまだ男にしてもらってないですよ。女の子のままです。」
- 「開幕10試合を7勝4敗で行きたい。」
- 「松井君にはもっとオーロラを出してほしい。」
私が一番気になったのは、ガルベスの発言ですね。
実際に長嶋茂雄は「男」では無く「坊主(ガルベスの暴投に対するおわび)」になってしまったので、監督かわいそうだなーと思いました(笑)
巨人ガルベスの成績と現在を直撃!投打と乱闘をこなす男の野球哲学とは!?
あとは、松井秀喜からオーロラが出ていたらメジャーでも「50本塁打以上」は堅かったんじゃないですかねぇ(あくまで予想)
でも、私は長嶋語録を触れ合って分かったことは「全く意味不明な発言ではない!」ということなんですよ!
うどんをそば!と言ってしまうような感覚だと私は捉えているので、ニュアンスさえ伝わればオッケー!というのが長嶋語録の持ち味なのです!!
私も中学生までは「ヒマラヤ山脈」を「ヒラヤマ山脈」で、最近までは「GoogleChrome(クローム)」を「GoogleChrome(チョロメ)」と言っていたので、長嶋茂雄には何か通じるものがあるなーと共感しています。
・・・言葉って難しいですね☆彡
長嶋茂雄の監督の成績は遅咲きだった!巨人軍終身名誉監督の実力と語録!!のまとめ
最後まで読んで頂きありがとうございます。
長嶋茂雄の監督時代を見てきましたが、あくまでも「我道」を進み、元監督であろうと耳を傾けないという「荒々しさ」にはビックリしました!
でも、結果的に歯車が噛み合って良い方向に動いて行くんですから、長嶋茂雄には「普通の人には無い、特殊能力がある!」と私は断言しますよ!
また「他人を笑顔に出来る発言」を星の数ほど持っていますので「長嶋茂雄終身名誉監督」という肩書きに合った素晴らしい監督時代だったと私は思っています!
現在、巨人は長島終身名誉監督時代を境に色々と下降中ですが、私は「一度沈めば、あとは上がるだけ」と見ているので、とにかく色々と経験(13連敗)してみるのもいいんじゃないですかね!
そして、長嶋茂雄終身名誉監督のように「信念を曲げず」に、高橋監督を始めとする巨人選手達には前に進んでもらいたいものです!!