「星野仙一と言えばブチ切れ監督として有名だけど、現役時代の活躍ってあまり知られていないよね。俺もよくわかっていないから、色々と教えて欲しいんだけど。」

わかりました、星野仙一の熱き現役時代をお伝えしましょう!

星野仙一は中日のエースとして先発もこなしつつ、抑え投手も兼任していたので「初代最多セーブ投手」を獲得し、また「沢村賞」も獲得していた大投手だったのです!

マウンド上の星野仙一は、気迫あふれる投球内容で速球で押しまくっていたかと言うと、実は「変化球主体の技巧派投手」という肩書きが似合う投球内容でした。

「へぇ~それは意外だなー。てっきり内角ギリギリのビーンボールまがいのケンカ投法かと思いきや、堅実な投球だったんだ。でも、勝つための執念は凄かったんだろうね。」

そうですね、特に「巨人戦」で投げることになった星野仙一は「普段の1.5倍~2倍以上の実力」を発揮するほど「巨人に対して異常な執念」を持っていたそうです(怖)

星野仙一に「敵意」を持たせてしまった原因は、あの「川上哲治」が関わっているそうですが・・・

と、まあ選手時代も色々と話題があった星野仙一ですが、まずは、投手としての成績を振り返ってみましょうか。

闘将星野仙一の若き時代の成績は、選手に「鉄拳制裁」をブチかましても問題無いような「素晴らしい内容」だったのでしょうか!?

星野仙一の成績は先発と抑えの万能型投手として名を揚げた!!

肩やひじの故障がなければ、通算200勝は狙えたかもしれません!

実はケガに泣いていた星野仙一の球史を、

  • 燃える男の先発時代!プロ1年目から5年目まで
  • 燃える男の先発と抑えの二刀流時代!プロ6年目から14年目までの現役引退

の2つでお伝えします。

まずは、星野仙一のプロ1年目から見ていきましょう!

燃える男の先発時代!プロ1年目から5年目まで

先発投手としてはそれなりの結果を残しました。

星野仙一のプロ1年目(1969年)の成績は「8勝9敗、防御率3.12」と、中日の新人の成績にしては「合格」だったと私は見ています!

また、プロ3年目(1971年)にひじを痛めてしまい、プロ入り前の「肩の故障」も合わさり、速球を武器として使えなくなったので、星野仙一は「変化球主体」の投球に変えていったのです!

そのおかげもあってかプロ5年目(1973年)に「16勝11敗、防御率3.04」と言う成績を残し、中日のエースとして星野仙一という名を確立させていきました!

決して星野仙一「球界をけん引するような大投手」ではありませんでしたが「中日のエース」としてだったら役目を果たしていたんじゃないかなーと私は思いました(汗)

また、肩とひじに爆弾を抱えたまま先発投手として中日を支えてきた星野仙一ですが、この年代の「登板回数」は現在と比べると「約2倍」ですからね・・・

肩とひじの負担はハンパなかったと私は星野仙一に労わりの眼差しを向けますが、とにかく「打倒!巨人」という思いで上手くカバーしていったのでしょう(精神論)

ちなみに星野仙一が「巨人嫌い」になった理由は、後の項でお伝えしますので、ご期待ください(笑顔)

燃える男の先発と抑えの二刀流時代!プロ6年目から14年目での現役引退

抑え投手としても頭角を表しました!

星野仙一のプロ6年目(1974年)は、中日のチーム事情もあり「抑え投手」としての場面が増え「15勝9敗、10セーブ、防御率2.87」という成績を残し「初代最多セーブ投手」と「沢村賞」を獲得しました!!

またプロ9年目(1977年)には「18勝13敗、5セーブ、防御率3.52」を記録し、自己最多となる「18勝」をマークしました!

しかし9年目を境に星野仙一の成績は下り坂となっていき、プロ14年目(1982年)に「3勝5敗、0セーブ、防御率5.32」の成績と「私はついに燃え尽きました。」という言葉を残し、現役引退となりました・・・

10セーブでタイトルを獲得出来るということは、星野仙一の時代は「投手の分業制」がまだまだ確立されていない年代だったんですね。

また、星野仙一は「沢村賞」を獲得していますから、

「先発の成績としては不足している部分が多いけど、抑え投手としての活躍があったから授与しよう!」

と沢村賞選考委員会は判断したのでしょう・・・(汗)

私が選考委員だったら「却下」していましたが・・・(厳)

星野仙一の成績は正直いって「72点」ぐらいの内容だったと、私は判断しました。

しかし「肩やひじの故障が無く」「先発のみ」であれば「90点以上」となり「200勝」は達成していたんじゃないかと私は予想しています。

では、200勝の可能性があった星野仙一の投球術はどんなものだったのか、私と一緒に見ていきましょうか!

星野仙一 現役 成績

星野仙一の投球術は強気で速球一本かと思いきや変化球主体の技巧派だった!!

変化球でのらりくらりとアウトを積み重ねた投球術です!!

星野仙一は、前項で「肩とひじの故障の影響」により変化球主体の投球だったことはお伝えしましたが、実際に変化球のレベルはどんなものだったのでしょうか?

カーブとスライダーそしてフォークを変化球として投げていた星野仙一ですが、どの球種も「普通」のキレだったらしく、三振をとれるような球ではなかったそうです。

また、星野仙一のコントロールについてですが、1977年に「シーズン最多暴投」を記録しているので「普通以下」だったと予想されます・・・

・・・では、どのようにして、星野仙一は「沢村賞」投手になれるような成績を残したかというと・・・

それは「下柳剛のように打たせて取る投球術だった」と私は断定します!!

とにかく星野仙一は「コーナーをつく投球」「緩急のある投球」は出来ないと私は思っているので、「ストライク中心の変化球」を多投していたと予想します。

打者はバットに当たりはしますが、芯を捉えることが出来ていないので「ゴロ」や「フライ」が多くなってしまうんですよね(汗)

つまり、星野仙一の投球術とは「打者の打ち損じを誘発させるモノ!」だったと私はここに宣言します!!

星野仙一というキャラには不釣り合いな投球術ですが、これで「沢村賞」という結果を残していますからね(凄)

しかし、巨人戦になると星野仙一は上記のような投球術から「一線を画す」と言われていたそうですが、何故そこまで巨人が嫌いだったのでしょうか?

その真相を知るために次の項も見ていきましょうね。

星野仙一が巨人キラーになった原因は川上哲治にあった!?

ドラフトでの裏切り行為が原因!

星野仙一はプロ入り前に巨人から、

「田淵幸一を1位指名できなかった場合に外れ1位として指名する」

と言われ、実際のドラフトで「田淵幸一」を1位指名出来なかった巨人は、星野仙一を1位指名すると思いきや「島野修」という投手を1位指名してしまったのです。

このことに関して星野仙一は「ホシとシマの間違いじゃないか」とブチ切れてしまい、約束を破った巨人を目の敵にするようになったのです!!

その結果、星野仙一はV9時代の巨人(凄く強い)に対して「35勝31敗(勝率は歴代1位)」と勝ち越しを決め「巨人キラー」として球界に名を広めることになりました!!

・・・しかし、このドラフトでの巨人の裏切り行為はちゃんとした理由があったそうです!

当時の巨人監督「川上哲治」は星野仙一が「指名の時点で肩を故障している」という情報を聞いた為、指名を回避したそうです。(実際に肩は故障していた)

このことを川上本人から聞くことが出来た星野仙一は、ドラフト時に芽生えた巨人に対する「恨み」は消えたと言われています・・・

私がこの一連の騒動を見て思ったことは「星野仙一は巨人に騙された!」ということで問題無いと思います!

もし、川上哲治の言ったことが本当であれば「やっぱり指名しません、ごめんなさい。」と連絡を入れるはずなので、星野仙一は、やっぱり騙されてしまったのでしょう・・・

でも、いずれにせよ、星野仙一は「巨人キラー」として大成することが出来たので「ある意味良かった」という見方も出来るんじゃないでしょうか?

ピンチをチャンスに変えることが出来た星野仙一ですが、実は、宇野ヘディング事件でもピンチとなってしまったことはご存知でしょうか?

珍プレーとしてよくテレビで見かけるあの事件ですが、星野仙一がどのように関わっていたのか見ていきましょうか!

星野仙一 現役 成績

宇野ヘディング事件の被害者は星野仙一だった!!

10万円を損した星野仙一でした・・・(笑)

この事件は、1981年8月26日の中日対巨人の試合での出来事です。

先発投手だった星野仙一は7回までに2安打の「無失点」で巨人打線を抑えていました!

しかし、7回裏、2アウト一塁の場面で、巨人の打者を星野仙一はショートフライに打ち取りました・・・が、ショートを守っていた「宇野勝」が照明の光に目をやられてしまい、

ボールが宇野の頭にぶつかり、レフトフェンス方向に転がっていったのです!!

その間に一塁ランナーはホームインし、同時に星野仙一の「完封は消滅」してしまい、星野仙一はグラブをグラウンドに叩きつけるほど激高していたのです(怒り爆発)

一応、2-1で中日の勝利となった試合終了後のインタビューで星野仙一は、

「怒ったのは宇野に対してじゃない。完封がなくなったのが悔しかったんや!」

と言っていましたが、実はチームメイトと賭けをしており、完封できたら「10万円」を手に入れる予定だったのですが「宇野のせい」で10万円を損する形になってしまった星野仙一だったのです(笑)

試合終了後、星野仙一は宇野勝に「あとでカラダ空けとけ!!!」と「鉄拳制裁するぞ!!」と言わんばかりのブチ切れっぷりでしたが、宇野は「空いてません!!!」と返答し、宇野は惨劇を回避しました(笑)

私は素直に「賭けはよくないな」と思いました・・・

惜しくも宇野勝には裏切られてしまいましたが、星野仙一にそんなことはしない「親友」が「小田和正」であることは知っていましたか?

では、そんな二人の仲を少し覗いてみましょうかね。

星野仙一と小田和正は旧知の仲である!!

二人にはとある共通点があったのです!

星野仙一と小田和正の関係性ですが、星野仙一が現役時代の頃、小田和正がオフコース時代の頃に知り合ったと推測されます。

星野仙一は小田和正との仲について、

「売れてない頃のライブにも行ったことあるし、俺の名古屋の家で一緒にメシを食ったりもしたなぁ」

と言っており、また小田和正も星野仙一の「引退試合」で花束を渡したり、NHKの番組で共演したり、星野仙一が楽天の監督時代の始球式に出たりなど、現在でも二人は仲良しみたいですね。

私はこの二人の関係性を知って「なんか共通点が無い二人だなぁ」と正直に思いました。

しかし、とある有力な情報筋によりますと「小田和正は武闘派」と言われており、特にオフコース時代はそうとう「やんちゃ」だったらしいのです(怖)

と、いう裏の小田和正を知ることが出来たので、同じ武闘派の星野仙一と「波長が合わない訳が無い!!」と力強く断定できますよね!

二人は2017年で「70歳」なので「元気のある団塊の世代代表」として、これからも野球界と音楽界をけん引していって欲しいですね!!

星野仙一 現役 成績

星野仙一の現役の成績は巨人キラーの鏡!燃える男の闘魂投球は感情の爆発!のまとめ

最後まで読んで頂きありがとうございます。

星野仙一の現役時代を見てきましたが、性格にあっていない投球術と巨人キラーの原因、そしてブチ切れエピソードと、意外な発見が多かったんじゃないでしょうか?

私が思ってたより「鉄拳制裁エピソード」が無かったことは残念でしたが、次回の「監督編」で沢山あるといいなーと思っています(笑)

よく考えたら、いくらドラフト時に巨人から裏切られたからといって、その「恨み」をプロ野球人生に活かすことが出来た投手は、星野仙一のみだと私は思います!

ある意味「真っすぐ」な想いを巨人にぶつけた星野仙一の「信念の速球」は、プロ野球最速でしたね!!