「岩隈久志はさ、メジャーに行ってそこそこ活躍しているけどさ、プロ野球での活躍って正直微妙じゃなかった?特に近鉄時代なんて打線に助けてもらってばかりだったような・・・」

いや、岩隈久志は近鉄時代から「最多勝」を獲得するなど既に「エースの器」でしたし、楽天時代も「沢村賞」を獲得していたので、ちゃんと己の投球で結果を出した選手だと私は思いますよ。

ただ、岩隈久志の「防御率」を見るとプロ野球の通算が「3.25」だったので「完全無欠のエース」というには何かが足りない選手でしたね(汗)

「でしょ?やっぱり岩隈久志はダルビッシュ有や田中将大レベルと比べると一歩劣るような気がするんだよな・・・隠し味が無いカレーみたいな・・・」

要は、岩隈久志は見た目は美味しそうだけど、食べたら「うーん普通かな?」っていうカレーみたいな感じってことですよね?

うん、岩隈久志はそんな味の投手ってのはなんとなくわかります(笑)

ただ、全く食べられないカレーでは無く、十分に成績を残した投手ということになりますので、岩隈久志の味(成績)を堪能してみましょうか!

野球ファンのあなたにも、岩隈久志カレーを食べてもらって「岩隈久志の評価」をやってみましょう!

岩隈久志の近鉄と楽天の成績はチーム状況に左右されていた!?

素晴らしい活躍でしたが、メジャー行きには適していなかったような・・・

米国に不向きだった成績の岩隈久志のプロ野球時代を、

  • なにわのプリンス近鉄時代!プロ1年目から5年目
  • 杜の貴公子楽天時代!プロ6年目から12年目

の2つでお伝えします。

まずは、岩隈久志の近鉄時代を見ていきましょう!

なにわのプリンス近鉄時代!プロ1年目から5年目

孤軍奮闘ぶりを見せ付けました!

西武ファンだった岩隈久志は、1999年に高卒のドラフト5位で近鉄に入団しますが、1年目(2000年)はずっと二軍で2年目に一軍デビューを果たしますが「4勝2敗、防御率4.53」と、ほろ苦い結果となりました・・・

しかし岩隈久志は、プロ3年目(2002年)からは先発ローテーションの仲間入りとなり、4年目には「15勝10敗、防御率3.45」と頭角を現し始めました!

そして5年目(2004年)には、近鉄が「5位」という成績ながらも岩隈久志は「15勝2敗、防御率3.01」と「最多勝」を獲得し、低迷するチームの中で唯一の勝ち柱となっていきました!

私はてっきり近鉄の「いてまえ打線」に助けてもらっていたと思いきや、岩隈久志はチームが弱くなってきた時には、キッチリと結果を出していたんですね(汗)

こういった所が岩隈久志の「エース」と言われる部分なのかもしれません・・・

6年目からは楽天に移籍した岩隈久志ですが、そこでも楽天の成績に釣られず活躍を維持することは出来るのでしょうか・・・

杜の貴公子楽天時代!プロ6年目から12年目

一旦は辛酸をなめますが、そこから復活するのが岩隈久志なのです!

6年目(2005年)から新天地の楽天で投げることとなった岩隈久志ですが、楽天が「1年目のチーム」であることから色々と「粗」が目立ち、チーム成績は「38勝97敗、勝率.281」とぶっちぎりの最下位でした・・・(辛)

また、岩隈久志もそのチーム状況に釣られてしまい「9勝15敗、防御率4.99」で「最多敗戦」「最多被安打(218)」「最多自責点(103)」など、不名誉な成績を記録してしまい、しかも肩を故障してしまうのでした・・・

7年目(2006年)は肩のケガの影響で登板が減り、8年目は肩以外のケガで思ったような活躍ができず、シーズンオフには「右ひじの手術」を受けて、9年目に向けて不安要素を残してしまった岩隈久志だったのです(ボロボロ)

そして9年目には「21勝4敗、防御率1.87」の圧倒的な成績で「沢村賞」を獲得し、岩隈久志は楽天のエースとしての「力」を見せ付けることに成功しました!!

岩隈久志は9年目の成績がピークとなりますが、それでも12年目までに先発ローテーションを守り切り、メジャーへと旅立っていくのでした(6勝7敗、防御率2.42)

9年目の成績はまさに「圧巻」でしたが、それ以外は正直いって「普通のエース」って感じの成績だったので、私としては「メジャーに行ってどうするんだろう・・・」というのが本音でした(辛口)

ただ、そういう成績の数字でしかモノを言えない私のようなファンでは、岩隈久志の良さを「引き出すことが出来ない!」という警鐘が、メジャーでの活躍を示唆していたのでしょうね・・・

現在は、それを反省して「岩隈久志の良い所」を引っ張り出したつもりなので、もう少し見ていただくと「良い所」と出会えるはずです!!

同じ楽天だった「田中将大」のように「メジャーに行っておいで」と太鼓判を押せる活躍では無かった岩隈久志ですが、彼の投球術に迫れば判を押せるかもしれません!

田中将大の楽天の成績は神の子!無敗の男は闘志を爆発させ日本一に導いた!

次は、スタイル抜群の岩隈久志から放たれる、魅力的な投球術に注視していきましょうか!!

岩隈久志 近鉄 楽天 成績

岩隈久志の近鉄と楽天の成績は速球と縦の変化球で稼いだ数字!!

三振から打たせて取る投球に考え方を変えていきました!!

岩隈久志は、150km/h台の速球と縦に大きく変化する「縦のスライダー」や「フォーク」を中心に近鉄と楽天時代は戦っていました!

まず、近鉄時代の岩隈久志ですが「独自の投球モーション(二段モーション)」で、速球と縦のスライダーを中心に「三振」を狙っていくスタイルでした。

しかし、岩隈久志の近鉄時代の奪三振は「100前半」だったので、あまり成績には反映されていないように見えました(汗)

また、縦のスライダーの多投は、岩隈久志の肩のケガを引き起こしてしまった原因の一つとなっていたので、楽天時代からは封印となったのです・・・

そんな縦のスライダーを封印した楽天時代の岩隈久志ですが「打たせて取る投球」に変化させ、変化量重視の変化球からバットの芯をはずす変化球に変えていきました!

その結果岩隈久志は、速球、フォーク、スライダー、シュート、カーブなどを多彩に使っていき、打者からゴロの山を築くことが出来たのです!!

また、沢村賞を獲得した2008年の岩隈久志の「被本塁打数」はわずか「3本」であり、この年の投球回数(201.2)から見たら「もの凄い少ない」ということになりますね!

つまり、三振から打たせてアウトを取るようなった岩隈久志は「丁寧」な投球を心掛けるようになったので「失投も少なくなった!」ということだと私は思います!

この投球内容で岩隈久志は結果を出すことが出来たので、メジャーへ挑戦することなったのでしょう!!

挑戦と言えば「調整」と字が似ていますが、岩隈久志は「二段モーション廃止」を受けて、近鉄時代から培ってきた投球フォームを調整せざるを得なかったのです!

果たして、岩隈久志はどうやって二段モーション廃止と向き合ってきたのでしょうか!?

岩隈久志の投球フォームから見る二段モーション廃止に関して!!

なかなか答えを出すのが難しかったみたいですね・・・

まず「二段モーション」について、簡単にお伝えしますね。

二段モーションとは、

「投球時に足をいったん上げてから下げ、また上げて投球動作を行うこと」

を指すのですが、要は「足をブラブラさせて投げることは出来ません!!」ということです!

実際岩隈久志は近鉄時代を中心に、足を二回上げて投球を行っていたのでまさしく「二段モーションの使い手」だったのです!

しかし、プロ野球は「ルールの国際化」を目指すべく、曖昧となっていた二段モーションを「2006年から廃止」とし、岩隈久志は「投球フォームの調整」を強いられてしまいました・・・

岩隈久志の2006年は「投球フォーム調整」と「肩のケガの治療」でほぼ使ってしまいましが、2006年の開幕時に投球フォームが定まっていなかった岩隈久志にとっては好機だったのではないかと私は思います。

それは「肩のケガの治療」時間を「投球フォームの調整に割り当てる」ことが出来るはずなので、岩隈久志は他の二段モーション投手より、多くの調整時間を得たことになると私は断言します!!

・・・まあ、結果が出たのは2年後の2008年だったので、岩隈久志は2007年も「投球フォームがしっくりきていなかった」のでしょうかね(汗)

そんなしっくりきていなかった2007年ですが、とある出来事が発生していました。

・・・それは楽天のコーチが岩隈久志に激怒したのです!!

岩隈久志 近鉄 楽天 成績

岩隈久志と野村親子の関係性は悪かったと思います・・・

岩隈久志の考え方は、野村親子はには受け入れられなかったのでしょう・・・

これは、2007年8月23日の楽天対ロッテ戦での出来事でした。

4回3失点で降板した先発の岩隈久志ですが、降板後は7回途中までロッカールームに引きこもっていたことに当時のコーチ「野村克則」が激怒しました!

普通、投手は降板後もベンチに座ってしっかりとチームを応援するはずなのですが、岩隈久志はそれを7回までサボっていたことになりますよね!

この激怒した様子はテレビ中継されてしまい、岩隈久志も若干キレていたように見えたのですが、この引きこもっていた理由が「娘が発熱し、自宅に連絡していた為」の私情だったそうなのです・・・

また、野村繋がりで今度は父親である「野村克也」が、

「岩隈はエースのくせに100球未満で降板することが多い。エースの素質に欠ける!」

と言うような内容をサンデーモーニングで発言しており、元教え子の岩隈久志を批判することとなりました。

野村克也の監督の成績は真の名将!弱小を強大に変える野村再生工場とは!?

岩隈久志は「完投にこだわっても肩を消耗するだけ。自分の体は自分で守るしかない。」という持論がある為、比較的少ない投球数でも降板することが多かったみたいなのです。

以上のことから、野村克也と野村克則は「岩隈久志のマイペースな部分を受け止めることが出来ないので、岩隈久志に好意を持てない」と私は思いました。

1つだけの事例で、野村親子は岩隈久志を嫌いなれるのかって話なんですが、人の好き嫌いってそういう「些細なこと」から始まるのではないかなーって・・・

ちなみに私は、ベンチに引きこもってた件は「喝」で、投球数論は「あっぱれ」だと思いましたよ。

誰もが「金田正一」みたいに投げられる投手ではないので・・・

金田正一の現役の成績は記録更新不可!伝説の400勝投手の勝ちへの執念!

時には衝突もあった岩隈久志ですが、それにしてもスタイルがいいですよね(笑)

そこら辺のジャニーズより全然スタイルがいいんですが、最後に野球も出来てスタイルもいい岩隈久志の魅力を一緒に見ていきましょうか!

岩隈久志のスタイルの良さは「天は二物を与えてしまった」パターン!?

これからは記事のアイキャッチ画像に注目しましょう!

岩隈久志は、近鉄時代に「なにわのプリンス」楽天時代には「杜(もり)の貴公子」と呼ばれいたことから、見た目は「プロ野球選手離れ」しており、もうちょっと顔がよければモデルでも良かったような気がしました(余計なお世話)

また身長は約190cmもあり、私より15cmも大きいので、岩隈久志に「圧力」をかけられたら「降参」するしかないですよね・・・(恐)

まあ、そんなことは起きないので心配の必要は無いんですが、とにかく岩隈久志は「スタイルが良くて野球も上手い!」という、女性がほっとく訳ない人物だったのです!

そんなことから、岩隈久志は「西武の某コーチの娘」と21歳の時に結婚していたので、やっぱり「優良物件」はすぐに市場から無くなってしまう運命なのです・・・

お気付きの方もいるかと思いますが、私は記事のアイキャッチに「自作の選手の似顔絵」画像を貼っています。

もちろん岩隈久志を始めとする選手に対しては「誠心誠意」を込めて書いていますので「似ている似ていない」の問題は無視してください!(1選手20分ぐらいで書きます)

そして、その画像で岩隈久志が「イケメン」かどうかを判断するのも、いいんじゃないのかなーーーーと私は思いました。

岩隈久志 近鉄 楽天 成績

岩隈久志の近鉄と楽天の成績は完全では無い!だが速球と変化球は一流品だ!のまとめ

最後まで読んで頂きありがとうございます。

岩隈久志の近鉄と楽天時代を見てきましたが「そこそこ活躍しているけど、メジャーにいくのはちょっと・・・」って感じだと思いますが、メジャーでもキッチリ活躍しているのでご安心ください(汗)

また、岩隈久志はマイペースな一面もあることがわかりましたが、目上の人の意見ばかり鵜呑みにしているとケガしてしまうパターンもあるので、岩隈久志の考え方も「正しい」と私は思いました!

次の岩隈久志の記事は「メジャー編」となりますが、果たしてどんな投球術を披露してくれるのか楽しみですね!!

そして「プロ野球編」の岩隈久志カレーの味は、結局「美味しかった」ということになったのではないでしょうか!?