「えーっと、野村克也の監督時代の成績を見てたんだけど、ヤクルトの時が一番すごくて、あとはイマイチな感じだったな・・・・・・あ!実は名将じゃないんでしょ!?」
うーん、それは見方が浅いですね・・・数字しか見てない証拠ですよ!
確かに、野村克也の阪神監督時代は「3年連続6位」でしたが、ヤクルト監督時代は「4年目で日本一」に導いています!
また、楽天監督時代では「4年目で2位」になっていますので、野村克也の監督手腕が発揮されるのは「4年目以降」なんです!!
しかも、当時の阪神と楽天は「もの凄く弱かった」でしょ?
いくら野村克也でも、そんなチームを3年程度では強くすることは出来ませんからね!
「えー・・・うん、まあ、阪神はすげぇ弱かったのを覚えているけど、楽天は田中将大がいたから大丈夫だったんじゃないの?」
いやいや、田中将大だって1、2年目は微妙な成績でしたし3年目から良くなりましたけど、それが野村克也の「楽天監督4年目」となる訳ですからね!
「野村再生工場」というのは、基本的には「4年」待ってもらえると「良い成績」を出しますので、それが本当かどうか、野村克也の監督時代の成績を見ていきましょう!
野村克也は監督としても、とりあえず凄いのでこの先も見た方がいいですよ。
目次
野村克也の監督の成績はいつも再生からのスタートだった!!
4年待てば、2位以上が確定していました!
4年計画を見事に達成した野村克也の監督時代を、
- 南海、ヤクルト時代、監督1年目から17年目
- 阪神、楽天時代、監督18年目から24年目
の2つで見ていきます。
まずは、南海、ヤクルト時代の野村克也監督を見ていきましょう!
南海、ヤクルト時代、監督1年目から17年目
ヤクルト時代がまさに絶頂期でした!
野村克也は南海が「6位に転落した」1969年のオフに「選手兼任監督」に就任しました!
野村克也監督は1970年から8年間活躍し「就任4年目にはリーグ優勝」を達成し「Aクラス6回、Bクラス2回」という好成績で南海を上位に導きました!
また、野村克也監督の現役時代(特に南海)も素晴らしい活躍だったので以下のリンクからご覧ください!
野村克也の現役の成績は文句なし!ON砲の陰で球史に刻んだ大記録とは!?
南海の「選手兼任監督」終了から13年後、野村克也は「9年連続Bクラス」だったヤクルトの監督に就任しました!
野村克也監督は現役時代に会得した「相手のクセを盗む」ことをベースに作り上げた「ID野球」をヤクルトの選手に徹底的に畳み込み「3年目にはリーグ優勝」「4年目には日本一」を達成しました!!
野村克也監督のヤクルト時代通算成績は「Aクラス5回、Bクラス4回、リーグ優勝4回、日本一3回」と9年間でヤクルトを常勝軍団に導くことが出来ました!
南海、ヤクルト時代の野村克也監督はまさに「あっぱれ」です!
野村克也監督は、前任からチームを引き継いだ時は「ボロボロ」の状態であり、それを「勝てるチーム」に仕上げてしまうんですから「野村再生工場」は凄いですよねぇ~。
つまり、ダイヤの原石をしっかりとダイヤに加工することが出来たのが、野村克也監督ということです!
阪神、楽天時代、監督18年目から24年目
野村再生工場の稼働率も悪くなってきました・・・
ヤクルトの監督退任後の翌年、野村克也監督は「前年6位だった」阪神の監督に就任しました!
野村克也監督は「野村TOP野球(TOPとはTotal、Object lesson、Processの略)」をスローガンに掲げ、ヤクルトに引き続き「考える野球」を展開しましたが、思った通りに選手は機能せず「3年連続6位」となりました・・・
また監督20年目のオフに、野村克也監督が就任時に選んだコーチ陣が全てクビになり、監督本人は続投となりましたが「嫁の金銭トラブル」により、同年オフに監督辞任となりました・・・(泣)
そして、野村克也監督は2005年に97敗してしまった楽天(当然6位)の監督に就任して、21年目(2006年)は「6位」とチームを立て直せず、22年目(2007年)には「田中将大」を獲得しますが即戦力とはならず「4位」に終わりました・・・
監督23年目(2008年)には「5位」となり、24年目(2009年)は楽天初の「2位」に導くことが出来ました・・・が、野村克也監督は楽天の監督をクビとなってしまいました(つらい)
楽天ではギリギリ「野村再生工場」の力を発揮出来ましたが、野村克也監督は「田中将大の育成」「岩隈久志の復活」「嶋基宏の捕手育成」に成功しているので、私はこれらを最大限に評価したいです!!
野村克也監督は、阪神での順位は最悪でしたけど「井川慶」「赤星憲広」の成長が見られたので、後の阪神の大きな戦力になったことは評価するべきですね。
・・・まあ、あとサッチーが余計なことをしなければ「阪神優勝」の可能性もあったかもしれませんが(夢物語)
私は、野村克也に「最初から強いチーム」の監督をやらせたらどうなるか観てみたかったです。
実は、野村克也の南海時代に巨人から「選手兼任ヘッドコーチ」を打診され、本人は「了承」しましたが、当時の監督「長嶋茂雄」からNGが出たらしく、巨人行きは幻となりました・・・
長嶋茂雄の監督の成績は遅咲きだった!巨人軍終身名誉監督の実力と語録!!
「巨人、野村克也」が実現していたら、プロ野球界の歴史もガラッと変わっていたでしょうね・・・
それだけ影響力が強い野村克也ですが、影響力を確固たるモノに仕立て上げたのは「画期的な戦術」が影響していると私は見ています!
では、その戦術とはどういったものなのか、野球ファンのあなたと一緒に見ていきましょう!
野村克也の監督の成績は戦術のパイオニアだったからこそ優秀だった!!
当時のプロ野球界を改革していきました!!
私は、野村克也が野球の戦術として取り入れて、世に衝撃を与えたのは以下の3つと見ています。
- 投手のクイックモーションの導入
- リリーフ投手の確立
- ID野球の導入
まず、クイックモーションとは「ランナーの盗塁を防ぐ為」に行うものなのですが、これを導入したのが野村克也と言われています(凄い)
南海時代の野村克也には「福本豊」という「世界の盗塁王」が盗塁ばかりして、どうしようかと悩んでいた時期があり、色々と試行錯誤した結果、クイックモーションにたどり着くことが出来たのです!
野村克也の名案がきっかけでクイックモーションが広まり、他のチームも真似するようになったそうです。
つぎに、リリーフ投手の確立ですがこれは阪神からトレードで獲得した「江夏豊」に、
「プロ野球に革命を起こそう。」
と「リリーフ専用投手(抑え投手)」になってくれ!
と野村克也が江夏に説得したそうです(懇願)
この説得に応じた江夏は抑え投手として「19セーブ」を上げ「最優秀救援投手」を獲得し、後の「投手分業制(先発、中継ぎ、抑え)」を確立させる大きな出来事の一つとなりました!
どっちも凄い改革であり、現在のプロ野球では「当たり前」の話ですからね。
ラーメンに例えるなら「塩味」と「とんこつ味」を開発したのと同じ功績ですからね、野村克也の戦術は!
どっちの味もおいしいですから、そう考えると野村克也は「プロ野球最高峰のパイオニア」と言っても過言ではないですね!!
ちなみに野村克也が考案した「ID野球」については、以下の記事を見てください(懇願)
プロ野球の監督で歴代最強は誰だ!?監督の中の監督はこの男で決まりだ!
しかし、パイオニア野村克也にも、失敗談はあるのです・・・
それはとある投手の「野球人生を潰してしまった」らしいのですが、果たして真相やいかに!?
野村克也の唯一の育成失敗談!?伝説のスライダーを持つ伊藤智仁とは!?
その力を限界まで使ってみた結果・・・
伊藤智仁は野村克也がヤクルトの監督で指揮を執っていた時の選手で、プロ入り前からオリンピックで「1大会27三振のギネス記録」を達成するなど、プロ野球の未来を担うような選手でした!
伊藤智仁はプロ1年目から「驚異的な曲がりのスライダー」と「150km/h以上のノビのある速球」を武器に「防御率、0.91」をマークしていましたが、シーズン途中にケガで離脱してしまったのです・・・
伊藤智仁は「ルーズショルダー」という肩の病気を患っていたので、野村克也に対してコーチらは「登板間隔や投球回数をを調整しましょう」と提案しますが、野村克也はそれを拒否してしまい、伊藤を酷使してしまったのです!
結果、伊藤智仁はこのケガを機に、肩とひじのケガに悩まされながら9年間という、未来の大エースにしては「短い期間」で現役に幕を閉じてしまうのでした。
この伊藤智仁のケガに対して野村克也は、
「積極的に登板させた事によって彼の選手生命を縮めてしまった。申し訳なく思っている。」
と発言していますが、当の伊藤智仁は、
「野村克也監督を恨むことなんてないです。むしろチャンスをもらえた。気にもかけてくれた。」
と野村克也に対して「感謝の気持ち」を語っていました。
うーん、伊藤智仁の投球内容を観たら、酷使したくなる気持ちもわかるなーと私は野村克也に理解を示しました。
逆に珍しいんですよ、野村克也が「謝罪の言葉」を言うなんて。
伊藤智仁が「野村克也の中ではNo.1投手」だったからこその、野村克也の心からの謝罪だと私は思いました。
まあ、野村克也と伊藤智仁の間には確執が出来た訳ではないので、現在は心配することはないのですが、プロ野球を飛び越えて「芸人」と野村克也の間に確執があったことはご存知でしょうか?
それは・・・誰もが知っているダウンタウン「松本人志」だったのです!!
野村克也と松本人志の間には確執があった!?
野村克也の勘違いみたいでした・・・(笑)
これは「ダウンタウンなう」という番組での出来事でした。
この番組のゲストに野村克也が来て、松本人志と顔を合わせるなり、
野村「テレビの松本と普段と全然ちゃうな・・・」
松本「どういうことですか・・・?」
野村「こんな無礼な男がね、よく芸能界で生きていけるな!」
松本「ちょっと待ってくださいよ、全然無礼じゃないですよ!」
とひと悶着あり、実は野村克也は「松本が挨拶をしない!」という所に、ブチ切れていたらしく、松本曰く「人違い」ということで、話は落ち着ていたように私は見えました・・・
私の記憶が正しければ、野村克也とダウンタウンは何度か共演しており、楽しくトークしていたように見えたので、松本がそこで野村克也に対して「挨拶しない」とは考えにくいですね。
挨拶をしない(嫌い)のであれば、ダウンタウンの番組に呼ばないはずなので、これは野村克也の勘違いということで問題無いでしょう!たぶん・・・
そんな勘違いをしてしまう野村克也ですが、名言は色々と残してあるのでご安心してください。
最後は、野村克也の名言を見て「勘違いするけど、いいこと言うなぁ~」と感激しましょうか!
野村克也の名言は五臓六腑に染み渡る名言ばかり!!
これがプロ野球を代表する名将のお言葉です!!
では、野村克也の名言をじっくりと堪能していってください!
- 「どうするか」を考えない人に「どうなるか」は見えない。
- 失敗の根拠さえ、はっきりしていればいい。それは次につながるから。
- 組織はリーダーの力量以上には伸びない。
- 人を判断するときは決して結論を急がないこと。
- 相手の話を聴いてみる。それが第一歩。
私は、野村克也の言葉だけを見ると「理想の上司」って感じがしました。
上司に限ったことではないですが、会話をする中で必要なのは「相手の立場に立つ」ことが重要なのはご存知ですよね。
私たち日本人というのは「尊重し合う」というのが欠けると、すぐに関係性って破綻すると思うんですよ。
野村克也の発言を見ると、尊重し合う部分は選手、監督を通して「基本的」には出来ていたのかなーと思いました。
ただ「けなして選手をのばす」方針を取っていたみたいなので、野村克也の本心は選手には伝わっていないかもしれませんね・・・(汗)
野村克也の監督の成績は真の名将!弱小を強大に変える野村再生工場とは!?のまとめ
最後まで読んで頂きありがとうございます。
野村克也の監督時代を見てきましたが、監督手腕と新たな戦術の開発は、プロ野球でも5本の指に入る実力であり、私は「No.1監督」だと思っています!
しかしNo.1であっても、育成失敗談や人違いの勘違いなど、野村克也は「人間臭さ」も残しながら完璧を目指していったのでしょう!
80歳過ぎた現在でも、野球解説者として活躍していますが、年を取っても「野球に対する発言」は的を得ていますので、これからも今のプロ野球に鋭い意見をどんどんブチ撒けていってください!
野村克也氏の「ボヤき」を私は常に期待しています!!