「たまにテレビとかに出てくるあのおじいちゃんいるでしょ?400勝投手の・・・確か金田正一だったと思うけど、結構ビックマウスな感じだから、嘘だったんじゃねーかなぁ。」

うーん、金田正一の現役時代の成績や他選手の発言を参考にしてみると、金田正一の発言に嘘は無し!と思ってもらって大丈夫なんじゃないですかね(汗)

ただ、現在の金田正一は多少自分の偉業に脚色している部分が見えます・・・

例えば「ワシは180km/hの速球だった!!」とか・・・(笑)

「すげぇ!!そのうち200km/hになりそうな勢いだな(笑)。あと、金田正一の成績を見てみたんだけど、とりあえず・・・今の投手には超えることが出来ない成績だよ、これは・・・」

そうなんですよね、金田正一は「通算400勝」を始め「完投数」「奪三振数」などの通算記録が全て「歴代1位」となっており、どうやって記録してきたんだ!?

と、疑問が出るくらいの数字を金田正一は叩き出していたのです!!

それは、金田正一が「当時では考えられない調整法」で、自己管理をしっかりとしていたことが理由の一つに挙がっています!!

したがって、金田正一は「ただのビックマウス爺さん」では無く、しっかりと実績を残してきた「偉大なる投手」の一人だったのです!!

・・・では、金田正一の偉大なる現役時代の記録を、野球ファンのあなたと一緒に見ていきましょうか!!

金田正一の現役の成績はどのようにして400勝を積み上げたのか!?

常識外れの投球回数で、圧倒的な成績を残した結果が、通算「400勝」に繋がりました!

誰も入ることが出来ない「聖域」を作り上げた金田正一の球史を、

  • 勝ちは全てワシのもの!国鉄時代、プロ1年目から15年目
  • ワシを見習え!巨人時代、プロ16年目から20年目の現役引退

の2つでお伝えします。

まずは、国鉄時代の金田正一を見ていきましょう!

勝ちは全てワシのもの!国鉄時代、プロ1年目から15年目

実力と権力を使って、無数の勝ち星を取っていきました!!

金田正一は高卒で国鉄スワローズに入団し、プロ1年目(1950年)の初登板は「押し出し四球でサヨナラ負け」となってしまいましたが、それでも国鉄側は金田正一を「即戦力」を認めてました!

プロ2年目(1951年)には「22勝21敗、防御率2.83」と20勝を達成し、金田正一はこの年から14年連続で「シーズン20勝以上」を達成したのです(凄すぎ)

また、プロ7年目(1956年)から9年目(1958年)の3年間で「3年連続沢村賞」を受賞する成績も残し、特に9年目の「31勝14敗、防御率1.30」という成績は「特にヤバい」と私は思いました(汗)

金田正一は、国鉄時代の15年で「353勝」というとんでもない勝ち星を収めますが、その裏では「ピッチャーわし」といって、勝手に登板することあったらしく、チャンスがあれば常に勝ちを狙っていたみたいです(苦笑)

この時代は、現在のように投手分業制ではなかったので「打てない、守れない」国鉄にとっては、金田正一は「救世主」であり、普通の投手以上に「登板」していたのではないかと私は予想しています。

また、国鉄時代の金田正一の平均登板数は「約54」という「現在のプロ野球の先発投手の倍」登板していたことになるので、よく肩やひじを壊さなかったなぁーと驚きました。

ワシを見習え!巨人時代、プロ16年目から20年目の現役引退

金田正一だってちゃんと練習していたんだぞ!

金田正一は「B級10年選手制度(のちのFA宣言)」を使い、プロ16年目(1965年)に巨人へ移籍しました。

巨人時代の金田正一の立場は「選手の手本となるような振る舞い」を求められていたので、成績に関してはあまり期待されていませんでした(それでも16年目には「最優秀防御率」を獲得)

「か、金田さんが、俺たちよりもキツイ練習をしている・・・!」

と印象付けることが出来た金田正一のおかげで、巨人選手全員の士気が上がり、伝説の「V9達成」に繋がったと言われていました!

そして、プロ20年目の1969年10月10日の中日戦で「通算400勝」を達成し、金田正一は同年に「現役引退」となりました!

また、巨人の生え抜きでないのに金田正一の背番号「34」は「巨人の永久欠番」に指定されたので、金田正一の「存在感」がいかに凄かったのかが、伝わってきましたよね!

巨人在籍時には「練習好きの長嶋茂雄」が驚くぐらい練習していたみたいなので、金田正一はやることをやって「好きなことを言っていた」選手になるんじゃないかなーと私は思いました(汗)

私は、国鉄スワローズという「弱小チーム」に入団することが出来たからこそ、金田正一は「ワンマン」を大いに発揮することが出来たので、400勝を勝ち取ることが出来たと思っています!

金田正一がプロ1年目から巨人に入団してしまったら、300勝前後の勝ち星となっていたんでしょうね・・・

まあ、それでも十分に凄いんですが・・・(笑)

では次は、その凄さの軸となっていた金田正一の速球に関して見ていきましょう!

本当に180km/h出ていたんでしょうか!!??

金田正一 現役 成績

金田正一の現役の成績は豪速球を武器に力でもぎ取った結果だ!!

180km/hは気のせいだったが、160km/h近くは出ていた!!

金田正一の現役時代の最大の武器だったのは速球であり、打撃の神様「川上哲治」や大打者「野村克也」などが口を揃えて「金田の速球は凄かった」と言っていました。

では、実際に何キロ出ていたかというと、金田正一の弾丸の速度を計るスピードガンで速球を計ったところ「約159km/h」は出ていたと言う話を聞いたことがあります。

なので、暫定的ではありますが金田正一の速球は「約159km/h」ということにしておきましょう(汗)

私は現役時代の金田正一の投球を観たのですが、打者が三振しているときは、ほぼ「ボールの下」を振っていました。

このことから、私は金田正一の速球は「相当ノビ(球がホップする感じ)がある球」だったのではないかと予想しています!

金田正一本人は、自分の速球を見て「これは180km/h出ているに違いない」と、思いながら「最多奪三振」を10回も獲得したのでしょう!

また、金田正一の通算の奪三振数は「4490奪三振」のプロ野球歴代1位で、2位は「米田哲也」の「3388奪三振」となっていますので、金田正一の速球は「三振を取れる非常に優れた球」ということになりますね!!

金田正一は引退後のインタビューで、

「高めの球を振らすことが我々(投手)の最高の快感よ!」

と発言していたので、言葉通りに「有言実行」出来ていた部分は、脱帽すべきことだと私は深く心に刺さりました!

速球を武器に打者を扇風機にさせていた金田正一ですが、実は打者としてもそれなりに優秀だったのです!

投手だからといって、打者の役目を疎かにしていなかった金田正一の打撃について見ていきましょう!

金田正一の現役の成績は打者として敬遠されるほどの実力だった!?

投手として歴代1位の打撃力を見せ付けました!!

金田正一は、素晴らしい投手成績の他に打者としても記録をもっており「投手として出場して打った本塁打数(36本)」が歴代1位の成績となっていたのです。

また、17歳2ヶ月で打った「プロ初打席の本塁打」は史上最年少記録となっており現在も破られていません!

そして極めつけは「通算8度の敬遠」を受けていることであり、これはどう見ても「強打者」の証ではないかと私は思いました!

これほどまでに金田正一が投手として本塁打を量産出来た訳は、日頃の「下半身中心のトレーニング」が功を奏したのではないかと私は見ています!

投手にとっても下半身の強化は必要ですが、打者にとってもそれは同じことであり、腕の力だけではなかなかホームランを打つことは出来ませんし、下半身の力(腰の回転など)が必要となるのです!

結果、日頃から尋常じゃない程のトレーニングを重ねてきた金田正一だからこそ出来た「離れ業」だったのではないでしょうか!?

あと、無理なトレーニングをしても体が壊れなかったことと、そのトレーニングに耐えられる「強靭な精神力」があったのでしょう・・・

金田正一は、投手の中では「大谷翔平」と「桑田真澄」の間の打撃力を持っていたのではないかと私は予想しています!!

検索 桑田 巨人桑田真澄の成績と現在に迫る!野球と共に生きてきた男の生き方を学ぶ!

打撃も優れていた金田正一ですが、人間の核となる「性格」はどうだったんでしょう?

国鉄時代は「金田天皇」なんて呼ばれていましたけど、天皇であれば「相当な人格者」だと私は思っているのですが、果たして私の思いは通じていたのでしょうか・・・(心配)

金田正一 現役 成績

金田正一は球界の天皇だったからこそ400勝を獲得できたのだ!!

監督以上の存在、それが金田天皇だったのだ!!

金田正一は国鉄スワローズ時代、チームで一番の月給(100万円)を貰っていたらしく、月給以上に「発言力」も監督以上にあったそうです・・・(普通の選手は10万くらい)

味方が守備でエラーをしたらグラブを叩きつけたり(いわゆる下柳剛)、監督が降板を指示していないのに勝手に降板したりと「俺様一番」が非常に強く・・・

球場が狭い所でホームランを打たれた際には「こんな狭い球場で投げれるか!」などと、とにかくやりたい放題の金田正一だったのです!

こんなことから金田正一はいつしか「天皇(自分の意見が何でも通るから)」と呼ばれるようになり、現在の日本の天皇陛下とは真逆の存在だったと私は思いました・・・(独裁)

また、この特権を利用し金田正一は、自ら審判に対して「ピッチャー金田」と伝えて、あと少しで「勝ちの権利が付く投手」の出番を奪ったりして、とにかく「自分の勝ち」を優先していたのです!!

流石にこの金田正一の「独裁政権」にブチ切れてしまった人物も出てきてしまい、とある試合で「佐々木重徳」というチームメイトが試合でエラーをしてしまい、その時登板していた金田正一が「下柳の如く」キレてしまいました(大変)

そうすると佐々木が、

「お前一人で野球をやってるんじゃないんだよ!!!」

と、金田正一にド正論をブチ撒けて、佐々木も同じように「下柳の如く」グラブを叩きつけました!

そうすると金田正一が「試合が終わったら待ってろ。」と言い、試合終了後、佐々木は殴られるのを覚悟で待っていたら、金田正一は佐々木に「食事をご馳走」し、佐々木を懐柔したのです!!

これは「金田天皇」だから出来る技ですよね!(餌付け)

とりあえず金田正一のやり方うんぬんは置いといて、心のどこかでは「悪かったな」という気持ちは国鉄時代にもあったんだろうと私は「鬼の目にも涙」か、と感動しました!!

金田正一に感動したところで、何故、現在「老害」と呼ばれるような老人になってしまったのでしょうか・・・

金田正一は現役時代の生き方を見ると現在老害になった理由が見えてくる・・・!

金田正一は炎上商法にも精通していた!?

金田正一はよく現役時代に麻雀をやっており、野村克也や長嶋茂雄などの大選手と卓を囲んだりするなど、金田正一は「5歳」から麻雀をやっていた「麻雀エリート」だったのです!

私も麻雀はたまにやりますが「勘と運」だけでは、どうにもならない場面が出てきたりするもんで、結構考えたりするんですよね(長考)

と、なると、麻雀エリートだった金田正一が考えも無しに「みんながカチンと来るような発言はしない!」と私は思ったので、現在の金田正一の老害キャラは、

「現役時代の偉大なる成績を武器に、色々とわけわからんことをブチ撒けて、いつまでも世間の注目をわしに集めるようにしていこう!!」

と、麻雀で活かした「考える力」を「今後の生き方」に反映させたのです!!

・・・したがって、金田正一の

「180km/h出ていた。」

「450勝いっていた。」

「(メジャーで)ストレートだけで勝負して、年俸30億はくだらんよ。」

などのビックマウス発言は「全て注目を集める為の計算」だったのです!!!

また、金田正一は麻雀好きな勝負師だったからこそ、常に「自分にリスクがある生き方」が大好きなんじゃないでしょうか!?

金田正一は、生涯「勝負師(老害)」という新たな事実がわかりましたよね!!

金田正一 現役 成績

金田正一の現役の成績は記録更新不可!伝説の400勝投手の勝ちへの執念!のまとめ

最後まで読んで頂きありがとうございます。

金田正一の現役時代を見てきましたが、偉大なる成績であったことと、ビックマウス発言は計算だった!?ということが分かってもらえたでしょうか?

金田正一の現役時代に残した成績は、今後更新されることはありませんし(投手分業制になってしまった為)そう簡単に超せるような内容でもないので、これからも後世に語り継がれていくことでしょう・・・

私は、この記事が後世まで語りづかれていけばいいなーと思っていますので、野球ファンのあなたの偉大なる口コミを私は期待しております!!