「前回、金田正一の現役時代を紹介してもらったけど、なんか、現役引退後は監督をやってみたいだけど、うーん・・・どこの監督やってたんだっけ?」

ロッテですよ、ロッテ、1970年代と90年前半の二期に分けて金田正一は監督として指揮を執っていましたね。

金田正一の監督しての成績は「400勝投手」にしては、イマイチな感じでしたが「日本一」を達成したりしていたので、とことんダメだった訳ではないですね・・・

また、金田正一はロッテの観客動員数には大きく貢献し「エンターテインメント」を強くした試合作りにも注目されていましたね。

「え?エンターテイメントって、もしかして・・・八百長試合を組んだとか、わざと乱闘させたりとか、なんかギリギリなことばっかりやってたの?」

八百長試合は完全にアウトなので、金田正一はそんなことをやっていないと思いますが、乱闘に関しては、一旦審判に詫びを入れてから怒鳴り散らす、といった特殊なことをしていました(演出)

つまり、金田正一はまずチームの勝敗より、ロッテを含むパ・リーグの人気を回復させる為にはどうしたらいいのか!?

という視点で、監督業に尽くしていたと私は見ています!

もちろん、ロッテを強くするために監督しての指導も一生懸命取り組んできたと思いますが、選手にはちゃんと伝わっていたんでしょうかね・・・

とりあえず心配なんで、私と一緒に金田正一監督の成績を見ていきましょうか。

果たして金田正一らしい「型破り」な指導法は、どのような結果を生んでいたのでしょう!?

金田正一監督は人気を集めることに成功したが肝心のチーム成績が良くなかった!!

困った時の振る舞いこそが、監督として一番大事なことなのです!!

それが金田正一には出来ていませんでした・・・

徐々に求心力を失っていった金田正一の監督時代を、

  • 最強タレント監督はわし!監督1年目から5年目
  • やっぱり勝ちより人を集めたわし!監督6年目から7年目

最強タレント監督はわし!監督1年目から5年目

八つ当たりはよくない!!

金田正一は、現役引退後はタレントとしてテレビに出ており、知名度抜群の状態で、1973年からロッテオリオンズの監督に就任しました!

「天皇に監督なんか出来んのか?」という世間の声に反して、金田正一監督は1年目(1973年)に「2位」2年目(1974年)はなんと「リーグ優勝と日本一」を達成してしまいました!

強くて人気があるロッテの監督金田正一は、連日超満員の客入りで、マスコミの注目の的となっていきました!

しかし、そんな客寄せとは裏腹に、金田正一監督の3年目以降の成績が「4位、3位、3位、4位」とイマイチな感じとなっていました(汗)

しかも5年目(1978年)に「15連敗」を記録してしまい、その責任を選手に押し付けるような態度を取ってしまった為、チームの輪は乱れ「金田更迭」の見出しが新聞に出てしまい、金田正一監督はクビとなりました・・・

やっぱり、チームがキツい時には「監督が責任を取るべき」だと私は思っていますので、金田正一監督が選手に八つ当たりすることは「無責任」だと思いました!

「わしは悪くない!!」という態度が、監督しての器ではなかったんでしょうね・・・

やっぱり勝ちより人を集めたわし!監督6年目から7年目

コミュニケーションを大切にするようになりました!

1990年、再びロッテの監督に就任した金田正一監督ですが、審判に暴行を働いたり、ロッテの観客動員数を増やしたりなど、話題が尽きませんでしたが、2年間の結果は「5位、6位」となりました・・・

ロッテ側は「チームの勝利より客寄せ」が必要だと思ったので、金田正一監督にオファーと出したと私は見ています・・・

しかし、金田正一はちゃんとロッテを勝たすつもりで監督をやっていたみたいで(当たり前)「選手の為を思って」練習を組んだり、豪華な食事を振り舞ったりして、やや良くなったように見えたらしいです・・・

また審判に対して抗議する際も、金田正一は審判に小声で、

「すまんがこれから怒鳴るから、悪いがしばらく黙って聞いててくれ。」

と言った上で怒鳴る場面が多かったらしいです(驚)

少しは丸くなったように見えましたが、それでも審判に暴行してしまった金田正一ですから、やっぱり監督には向いてないなーと改めて私は思いました・・・

金田正一の監督時代を見てきましたが、エンターテイメントが強すぎて、肝心の指導力が「草野球チームの監督レベル」だったんじゃないのかなーと私は思いました(汗)

ロッテというチームを使って金田正一本人に対する関心を、多くのファンに向けさせようとしていたのでしょうかね・・・

何故、私がここまで金田正一の指導力を批判するのかと言うと「選手の立場になって指示が出来ていない!」ことが問題だと思っているからです!

では、その問題となる金田正一の指導法を野球ファンのあなたにも知ってもらいましょうか・・・

金田正一 監督 成績

金田正一監督は選手の心を上手く掴むことが出来ていなかった!?

人の心を動かすことは400勝より難しい・・・!

金田正一の第一次ロッテ監督時代は、3年目以降は成績が下降してしまい、しかも金田正一は孤立するようになってしまいました。

金田正一が孤立してしまった一番の原因は「チームが弱くなった原因は、選手にあると責任逃れをしてしまった!!」ことだと私は思っています!!

これは「八木沢荘六」という投手陣のリーダー的選手に、金田正一が、

「お前はもう限界!」

と言い放ち、八木沢を引退させようとしたことがキッカケでした。

これによりチーム内に金田正一に対する「不信感」が募ってしまい、チームの士気が暴落した状態で試合に臨んでも、勝てる試合も勝てませんよね?

そんな状態ではチームは「15連敗」してしまいますし、それがキッカケで優勝出来ないとわかってからは、金田正一は「ゴルフに行って試合に遅刻するザマ」だったのです!!

また「レロン・リー」という助っ人外国人とも、度々衝突しており、

「お前が三冠王を逃したから優勝出来なかった!」

と「打点王」と「本塁打王」の二冠に輝いたリーに金田正一はとんでもないことを言っていったのです!

つまり、金田正一は「自分の態度を変えようとせずに、周り(選手)に変化を求めてしまった!!」ということになります!!

最終的には「もう、金田にはついてけねぇな・・・」となり、金田正一の第一次ロッテ監督時代は「選手全員の総意」として、ロッテを追い出されたのです・・・

「金田正一に監督をやらしたらこうなるよな。」というのが、ロッテには分かっていなかったのか「知ってて監督をやらせたのか」気になりますが、400勝投手でも人心掌握は難しいということですね!

やっぱり監督でもワンマンだった金田正一ですが、乱闘でも「一線を越えた」ことをやってしまいました!

「金田キック」と呼ばれた、伝説の乱闘事件を振り返って見ましょう・・・

金田正一は監督としての最大の乱闘事件は金田キックが審判に炸裂した時だった!!

あの「金田キック」ではありません・・・

金田正一の金田キックと言えば、スパイクを履いた金田正一が「ジム・トレーバー」という近鉄の外国人選手の「顔面に蹴りを入れた」乱闘で有名ですよね!

しかし、この金田正一のキックが審判にも炸裂していたことはご存知でしょうか?

これは1990年6月23日の西武対ロッテ戦で、7回裏ロッテの「園川一美」がセットポジションの静止が無かったとしてボークと判定した球審の「高木敏昭」は、金田正一から抗議を受けました(怖)

金田正一は抗議中に高木の胸付近を殴り「退場を宣告」されますが、宣告後も「蹴る等」の暴行を加えてしまい、金田正一は・・・

「パ・リーグから罰金100万円と出場停止30日」

という重い処分を受けることになりました・・・

また、これをキッカケに高木は「こんな人間がいるところで審判ができるか!」と本音をブチ撒け、シーズン途中にも関わらずプロ野球の審判を辞めてしまいました!!

引退後、高木は「どいつもこいつも退場だあ~!審判しか知らないプロ野球」という本を出版したらしいのですが、現在では絶版となっているので、お見かけの際には是非購入してみてください(笑)

と、審判の人生を狂わせてしまった金田正一の「金田キック」の威力は、ハンパなかったですね(笑)

審判にも容赦なかった金田正一ですが、プロ野球名球会の設立者だったのはご存知でしょうか?

この名球会はどのような活動をして、金田正一のポジションはどうだったんでしょうね・・・(不透明)

では、金田正一の「名球会での手腕」を見ていきましょう!

金田正一 監督 成績

金田正一が設立したプロ野球名球会とはどのような会だったのか!?

予想通り、ワンマン経営でした(苦笑)

1978年7月24日に「日本プロ野球名球会」は発足され、1981年には「株式会社化」し、2009年末までは「金田正一」が代表を務めていました。

「社会の恵まれない人達への還元と、日本プロ野球界の底辺拡大に寄与する。」

ということが、名球会の目的であり、金田正一の「私腹を肥やす」団体ではないことがわかりますよね?

しかし「カネダ企画」という金田正一の個人事務所を通して「名球会の仕事を請け負っていた」と言われており、名球会主催の野球教室やグッズ販売などの収入は全てカネダ企画に入っていたと噂されています!

また、名球会の会計報告もされておらず、本来名球会に入ってくる収入が「カネダ企画」に入っているんじゃないかと、金田正一は非難され、2009年9月に名球会の代表を辞任することになったのです・・・

あくまでも「疑惑」のレベルなので、金田正一が実際に私腹を肥やしていたかどうかは不明となっていますが、限りなくグレーでしょうね(怪しい)

現在では体制を変えて、カネダ企画との関係も断ち切り、新理事長には「山本浩二」が就任し、プロ野球界の為に尽力しているはずです!!

私も名球会という名前は聞いたことがあったんですが、金田正一がトップの頃は色々裏でやっていたんだなーという「意外な疑惑」を知ることが出来ました。

「落合博満」は金田正一と確執があったので、名球会に入ることはありませんでしたが、落合は金田正一の「ワンマン」を見越して、入会拒否をしていたのでしょうか・・・

落合博満の現役の成績は凄すぎ!!伝説の三冠王は有言実行が出来る天才だ!

球場外でも「わしが一番」を貫き通した金田正一ですが、最後に、心にグッとくる「暴言」と「名言」を見ていきましょうね!

暴言と名言!!金田正一はこれを無くしては語れない!!

暴と名、どちらも球史に残すべき言葉です!!

では早速ですが、金田正一の暴言から見ていきましょう。

  • 最近のヤツらのカーブは酷いな。ションベンカーブばっかりだ。
  • (星野仙一に対して)名前が先行しているだけで、大監督なんかじゃないんだよ。
  • (審判に対して)お前は、大学出てるんだってな。そりゃ、バカヤローってすまんかったあ。ヘタクソ!って言えばよかったと。

うーん、凄いですねぇ・・・次は名言を見ましょう!

  • (GMについて)やるなら5年間修行して、銀行で学んで、選手の年俸、採算、観客どうか、そこまで考えて。
  • スランプと言っていいのは、王、長嶋、金田までです。
  • 選手は金だけでは育たない。

実は、上記6つの言葉で、金田正一が発言した言葉ではないものがありますが、野球ファンのあなたはどの発言かわかりましたか?

・・・簡単でしたよね?

そうです「選手は金だけでは育たない。」という「名言」です。

実はこれ、金田正一がロッテの監督時代に、ドラフトで交渉権を得た選手から「ロッテ入団を拒否」され「裏金」で説得しようと、その金を選手の野球部の監督に渡そうとしたら、上記の名言を言われてしまったのです(恥)

とりあえずわかったことは、金田正一は「言葉」と「手段」を選ばない人物だということですね(悲)

金田正一 監督 成績

金田正一の監督の成績は今一つ!だがチームの人気の為に試合と乱闘を演出!のまとめ

最後まで読んで頂きありがとうございます。

金田正一の監督時代を振り返ってきましたが、監督しての振る舞いと名球会代表としての振る舞いを見て、意見が変わってしまいました・・・

それは、以前記事として書いた「金田正一の現役時代」での「老害キャラは演技」という説が「実は自然体だった?」という、一般的な考えに変わってしまったことです!

金田正一の現役の成績は記録更新不可!伝説の400勝投手の勝ちへの執念!

・・・まあ、どっちにしろ、金田正一が唯一無二の存在であることは確かですし、金田正一の生き方に対して「意見」する人も存在しているので、プロ野球界が金田正一に独占されていなくてホッとしました・・・

テレビの画面を通して観る分には魅力的なんですけどねぇ、実際には関わりたくないなーというのが私の本音です(笑)

でも、たまにテレビに出てプロ野球に対して文句を言う姿は「流石400勝投手金田正一!」と拍手したくなっちゃうので、これからも長生きして楽しい余生をお過ごしください!!