「横浜ベイスターズは、ね、1998年の日本一を境に、徐々に下へ沈んでいった感じなんだけど、これから浮上することはあるのかねぇ・・・?」
そうですね、横浜ベイスターズの歴史を見てみると、日本一を達成したからといって翌年以降も強くなるのかといったらそういう訳ではなく、いきなり「最下位」に落ちてしまうパターンも存在していました(1960年~1961年)
でも、リーグ優勝すると(過去2回)必ず日本一になっていますから、セ・リーグさえ制覇してしまえば横浜ベイスターズのターンになる訳なんですよ!!
「うーん、でも、横浜ベイスターズがそのターンになるのが極稀で、ほとんど首位争いにかからわず過ごしてきた球団なんじゃねーのかなーって思うんだけど、2位とか取ったことあるの?」
そりゃあ・・ありますよ・・・ただ、万年Bクラス球団と言われてしまえば反論は難しいので、横浜ベイスターズは優勝争いから一歩引いた球団だと私は思います・・・
しかし、横浜DeNAベイスターズとなった2017年8月現在では3位を維持しており、CSを使って優勝争いが出来そうなぐらい強くなっているんですよ!!
そんな横浜ベイスターズを私は心から応援して欲しいと思っておりますので、横浜ベイスターズを好きになってもらえるように、球団の歴史をプレイバックしてみましょう!
まずは、横浜ベイスターズの歴史の中で一番星のように輝いている、3つのエピソードを一緒に見ていきますか!!
目次
横浜ベイスターズの歴史の中で特にこのエピソードは胸に刻んでおこう!!
特に90年代の横浜は本当に星のように輝いていました!
そんな輝かしい横浜ベイスターズのエピソードは、
- 横浜ベイスターズはマシンガン打線を駆使して、日本一を勝ち取った!!
- 横浜ベイスターズの最強守護神はハマの大魔神!!
- 横浜ベイスターズの黒歴史!荒川事件!!
の3話になります!
まずは、球団史上最強だったマシンガン打線について見てみましょう。
横浜ベイスターズはマシンガン打線を駆使して、日本一を勝ち取った!!
「攻撃は最大の防御」を見事に再現しました!
マシンガン打線とは、1998年から1999年頃の横浜ベイスターズの打線を指しており、特に日本一を達成した1998年の1試合の平均得点は「4.72点」という驚異的な数値を記録していました(打ちすぎ)
マシンガンという名前の通り、連続安打でチャンスを広げ「10試合連続二けた安打」を達成する等、とにかく出場選手全員が打ちまくったという、打ち出の小槌のような打線なのです!
また、マシンガン打線の主軸を担っていたのは「ロバート・ローズ」であり、彼の存在無しでは横浜ベイスターズのマシンガン打線を語ることは出来ません!(本当に)
1998年の横浜対西武の日本シリーズ第5戦では、横浜ベイスターズが「1試合20安打」という日本シリーズの記録を作り上げ、マシンガンの勢いは大一番でも劣化することが無い程、強力だったのです!
この当時の横浜ベイスターズは本当に強かったですよ!
連日スポーツニューズで「マシンガン打線!!」って連呼していたと記憶しています(汗)
これからの横浜ベイスターズにも、マシンガン打線に匹敵する打線が生まれることを私は期待しております!
横浜ベイスターズの最強守護神はハマの大魔神!!
大魔神のフォークはほぼ魔球です!!
ハマの大魔神と言えば「佐々木主浩」であり、もの凄い落差のあるフォークボールを武器に次々と抑え投手として記録を樹立し(4年連続最優秀救援投手など)横浜ベイスターズの救世主となっていました!
また、大魔神佐々木の力は強力であり、1998年9月19日に「ハマの大魔神社」が設置され、撤去される1999年1月17日までの間に「約1660万円」のお賽銭が集まったと言われてます(驚)
勝利と金を呼ぶ男、佐々木主浩がいなければ、1998年の横浜ベイスターズの優勝は「確実」に実現出来ていなかったでしょう!
横浜ベイスターズが日本一となった1998年の成績は「51試合、1勝1敗、45セーブ、防御率0.64」という類を見ない内容であり、プロ野球の抑え投手として「最強」の証です!!
ただ、そんな佐々木主浩から「通算打率.444」を記録していた「落合博満」も覚えておいて欲しいです!
横浜ベイスターズの黒歴史!荒川事件!!
実に悲しい事件ですね・・・
1969年のドラフト会議で注目選手となっていた荒川尭(たかし)は「巨人・アトムズ(ヤクルト)以外お断り」と明言しており、結果、交渉権を獲得した大洋ホエールズ(後の横浜ベイスターズ)には「入団拒否」を貫いていました。
この態度が癇に障ってしまった大洋ファンは、荒川尭に対して「カミソリを送り付ける」「脅迫電話」などの嫌がらせをやっていましたが、荒川本人は相手にしていませんでした(我慢強い)
この態度にしびれを切らしてしまった二人組の大洋ファンは、散歩をしていた荒川尭に「棒状の武器を持って襲い掛かった」のです!!
襲撃によって、荒川尭は「後頭部および左手中指に亀裂骨折」と診断され、選手生命に影響が出るくらいの「後遺症」が残ってしまいました・・・(プロ5年目で引退)
以上の一連の出来事を「荒川事件」と呼び「江川事件」に匹敵する事件だと私は思っています。
今回の場合は、荒川尭の「頑固さ」によって発生してしまいましたが、いくら大洋ファンだからといって襲うことはないだろう!と私は思いました・・・
しかも犯人は捕まっておらず、事件は時効となってしまい、荒川尭には後遺症(視力の低下)だけが残る形となってしまいました・・・
マシンガン打線とハマの大魔神は明るい歴史でしたが、荒川事件は一部のファンのせいで、球団のイメージを低下させてしまった暗い歴史でしたね・・・
暗いと言えば、横浜ベイスターズの過去の順位についてなんですが、とにかく「1位」は少ないです(汗)
巨人が勝ち過ぎている理由の一つとして、横浜ベイスターズのように負け過ぎている球団がいたからだ!ということを覚えておいてください!
しかし、万年Bクラスだからこそ、横浜ベイスターズに活路があるのかどうか私と一緒に確認してみましょう!!
横浜ベイスターズの順位は低空飛行であるからこそ何かが見えたはず!!
沈んだら後は浮くだけです!!
横浜ベイスターズのこれまでの順位をまとめましたのでご覧ください・・・
※1950年から2016年までの67年間の順位の合計
1位:2回(日本一2回)
2位:4回
3位:10回
4位:9回
5位:15回
6位:22回
うーん、やっぱり6位(最下位)が多いですね・・・
横浜ベイスターズは「1950年から1959年」と「2006年から2015年」は、どちらも「10連続Bクラス」をやっちまっているので、自然とAクラスの回数が少なくなってしまったのでしょう・・・
しかし、第1回10年連続Bクラス後の1960年に、横浜ベイスターズは「リーグ優勝と日本一」を達成しています!!
つまり、横浜ベイスターズの順位は、10年ほどBクラス居たあとの順位は上位に食い込む、または「優勝出来る!」というジンクスがあるんじゃないかと見ています。
現に、第2回10年連続Bクラス後の2016年は「3位」に浮上していますので、2017年以降の横浜ベイスターズは優勝出来るチームに昇華しているかもしれないのです!
そのカギとなっているのが、現横浜DeNAベイスターズの監督「アレックス・ラミレス」なのです!!
私は、横浜ベイスターズに対しては他球団より「若干」ひいきしている部分があるので、本当に頑張って欲しいなぁ・・・という想いがあります。
現在の横浜ベイスターズに浮上のきっかけを作ったのは、第2回10年連続Bクラス時代を支えてきた投手「三浦大輔」の存在が大きいと思っています!
そんなハマの番長は準永久欠番に指定される程の活躍を残したので、再度、その雄姿を振り返ってみましょう!
横浜ベイスターズの準永久欠番三浦大輔の横浜愛を感じ取ろう!!
トマトは嫌いですが、横浜ベイスターズは愛しているはずです!
横浜ベイスターズの準永久欠番となっている背番号18の投手三浦大輔ですが、1991年、横浜大洋ホエールズにドラフト6位として入団しました!
その際の三浦大輔の背番号は「46」でした。
プロ入り後は、3番手4番手を任せられる先発投手であり、なかなか頭角を現すことが出来ませんでした。
1998年のシーズンから三浦大輔の背番号が「18」にかわり「12勝7敗、防御率3.18」の成績を収め、背番号に見合った結果を残しました!
その後の三浦大輔は、2005年に「最優秀防御率(2.52)」を獲得し、プロ14年目にもかからわず、横浜ベイスターズのエースとして活躍していました!
勝利数こそ横浜ベイスターズの無援護が多かったことがあり、逆に負け越ししてしまうシーズンもありましたが、防御率は平均して3点台をキープし、1992年から2016年の通算25年は横浜ベイスターズで投げ続けました(えらいっ)
成績こそ飛びぬけた部分はありませんでしたが、三浦大輔は「弱かった」横浜ベイスターズを見捨てずに、自分の野球人生を全て懸けた功績は、準永久欠番より「永久欠番」の方が相応しいと私は思っています!!
三浦大輔の踏ん張りがあったからこそ、2017年現在の上昇気流が発生した訳ですが、過去の横浜ベイスターズには、それすら感じさせないような「ぶっちぎりの最下位」を記録してしまったシーズンをご存知でしょうか?
まさに暗黒時代の横浜ベイスターズの監督は、一体誰だったんでしょう!?
横浜ベイスターズの歴史で首位と61.5ゲーム差もつけてしまった当時の監督は誰!?
もちろん「61.5ゲーム差」はプロ野球記録です!!
1955年、当時大洋ホエールズだった横浜ベイスターズは、首位の巨人に「61.5ゲーム差」も付けられてしまい、ぶっちぎりの最下位を記録してしまいました。
「31勝99敗」という記録を収めてしまい「いやー100敗しなくてよかったねー」という所しかフォローする部分がありません・・・(悲)
また、この時の首位巨人が「92勝37敗」というぶっちぎり優勝の成績を記録してしまったので、最下位の大洋とのゲーム差が露骨に出てしまったのです。
いくら巨人が強いからとはいえ、当時の大洋の監督は何をしていたんだ?と私は怒りを感じてしまうのです!!
・・・その男の名は「藤井勇」であり、プロ野球の公式戦で「初めて本塁打を記録した選手」として知られています。
1950年には大洋で「打率.327、34本、122打点」を記録し、強打者としても知られていますが、藤井勇が「選手兼任監督」となった1955年に異変は起こりました。
藤井勇が兼任監督ということは、満足に試合に出れないことが確実なので、チームの戦力がダウンすることは目に見えています。
その結果が「61.5ゲーム差」を生んでしまった一番の要因と言われていました・・・
1955年の大洋ホエールズは「選手、監督」両方で藤井勇に依存してしまったことが、大きな敗因だったのでしょう。
やっぱり、現役の成績と監督の成績は「一致」しないことが多いんだなーと、横浜ベイスターズの「61.5ゲーム差」を通して、改めて知ることが出来ました。
昔から、巨人にやられてきた横浜ベイスターズですが、実は「横浜銀行」なんて呼ばれていたのです!
なんでそう呼ばれていたのかは、最後の項を見れば全て解決するので、とりあえず見てみましょう。
おい!ベイスターズよ!他球団から横浜銀行なんて呼ばれてていいのか!?
今度は読売銀行から貯金してやろうぜ!!
1980年代、横浜大洋ホエールズは「横浜大洋銀行」と呼ばれていました(苦笑)
これは長年Bクラスに居続けた為、他球団のファンから「横浜なら、弱いから沢山勝利(貯金)出来る!」という理由により、横浜大洋ホエールズと銀行と呼ばれるようになってしまいました・・・
また2012年には横浜DeNAベイスターズとなったので「横浜銀行」と呼ばれており、たまに当時の監督中畑清をもじって「中畑銀行」とも呼ばれていました(不名誉)
でも、2017年8月現在は「横浜銀行」から貯金するのは至難の業ですよ、だって3位でAクラスですからね(笑顔)
4位でBクラスの「読売銀行」の方が、まだ貯金させてくれますよ!他球団の皆さん!!(笑)
これからの横浜ベイスターズは「横浜銀行」がら脱却して、「広島銀行」以外からは貯金しまくる予定なんで、よろしくお願いしますッ!!!(広島はまだ強い)
横浜ベイスターズの歴史は不遇!だが一番星を目指し手を伸ばし続けている!のまとめ
最後まで読んで頂きありがとうございます。
横浜ベイスターズの歴史を見てきましたが、確かに弱かったですけど、今まで弱かったからこそ、これからは優勝のチャンスあり!という歴史の流れで問題無いと思います!
やっぱり人生と同じで、チーム順位も上下するタイミングってありますよね?
私は、今の横浜ベイスターズは「上に突き進む」タイミングだと本気で思っていますので、2017年はCSで広島を倒して日本シリーズ出場だ!と考えていますからね!!
そして、2018以降は「横浜ベイスターズ黄金時代」が到来すると私は大胆予想します!!