「選手時代の王貞治は凄いことは分かってんだけど、監督時代ってなんか微妙なんだよね。ダイエー時代はそこそこ良かったみたいだけど、巨人時代はどんな感じだったの?」
王貞治の巨人時代の監督成績は全て「Aクラス」だったので、成績は悪くなかったのですが監督しては「ワンマン」だったらしいですね(汗)
また、ホークス時代は監督に就任してからの数年は王貞治にとって「屈辱」の期間だったと私は見ています。
しかし、その苦い経験をバネに王貞治は「3度のリーグ優勝」「2度の日本一」に輝いていますから、決して監督として「駄目」だった訳ではありません!
「あの王貞治でさえも、監督という重役はなかなかやり遂げることが出来なかったんだな。やっぱり人を動かすってのは、監督の過去の実績だけではダメなんだなぁ・・・」
そうですね、王貞治というネームバリューは素晴らしいものがありますが、その本人が監督に適しているかどうかは別問題ですからね。
指導者という立場は難しいものです・・・(泣)
しかし、王貞治はいくつもの困難に負けることなく、チームを強くした実績がありますから、まずはその一部始終を私と一緒に見ていきましょうか!
果たして、王貞治は監督としてどのような結果を残してきたのでしょうか!?
目次
王貞治の監督の成績は我慢の日々が続いた石の上にも三年だった!!
「世界の王」であっても、人の言うことは聞き入れなければいけません!
人としての成長が必要だった王貞治の監督時代を、
- 王の意見は絶対!巨人時代!
- 自分が変わる決意を!ホークス時代!
- 川上哲治(1992年)
- 長嶋茂雄(2005年)
- ときには嵐のような逆風が人を強くする。
- 僕の役目はホームランを打つことだ。
- 今までの僕の記録は、みんな耐えることで作られてきた。
- 我々は勝つしかない。勝てばファンも拍手で迎えてくれる。
- 人間もサイクルみたいなものがあって、調子がいいときもあれば、悪いときもある。
の2つでお伝えします。
まずは、王貞治監督の巨人時代から見ていきましょう!
王の意見は絶対!巨人時代!
自分の力を過信していたのかもしれません・・・
1981年から3年間、王貞治は「助監督」を経験し、巨人の名将「藤田元司」から「強い巨人を引き継ぐ」形になり、1984年から巨人の「監督」となりました。
しかし引き継いでからは巨人は「リーグ優勝」することが出来ず、Aクラス止まりとなり4年目(1987年)にリーグ優勝を達成しますが「日本一」を逃す形となりました(惜)
そして5年目(1988年)の王貞治監督は「2位」止まりとなり、監督を辞任することになりました・・・
毎年優勝を狙えるような戦力で王貞治監督が一度しかリーグ優勝出来なかった一番の理由は「頑固」というところであり、コーチ及び選手の意見を取り入れることがほとんどなかったそうです・・・(汗)
「俺は王貞治だぞ!?俺の言うことを聞いてりゃいいんだよ!」という姿勢が強かったのではないかと私は思っています。
それでチームが勝てれば問題無いのですが、あまり勝利には結びつかなったみたいなので選手の中でも「反王貞治派」みたいな派閥があったのでしょうかね(中畑とか)
巨人時代は「なんで俺の言うこと聞かねーんだよ・・・ちくしょう・・・」と思ったまま、監督から足を洗ったのでしょうね、きっと。
自分が変わる決意を!ホークス時代!
球団社長の一言が王貞治を昇華させました!
1995年からダイエーホークスの監督となった王貞治ですが「5位、6位、4位、3位」と就任して4年間は「苦汁を飲む」結果となりました(苦)
しかも1996年5月9日の試合終了後には「お前らプロか?」と言う罵声と共に「生卵」を選手たちが乗っているバスに次々と投げつける事件が発生してしまいました(いわゆる生卵事件)
そして王貞治監督5年目の開幕直前に、オフシーズンの際にホークスの球団社長から選手に対して、
「今では『世界の王』と言われているが、昔はラーメン屋のせがれだったんだ。お前達と何も変わりゃしない。そう思ってやりなさい。」
という言葉をもらい、王貞治監督は巨人時代から引きずっていた「ワンマン」を見直し、監督、コーチ、選手との溝を無くしていき、この年は「リーグ優勝、日本一」を達成したのでした!
その後、王貞治監督は常にAクラスを維持し「巨人時代とは違う」チーム作りに成功して、14年目に監督としてホークスのユニホームを脱ぐことになりました!
うん、まさに「鶴の一声」ですね、この言葉をしっかりと受け止めた王貞治監督も、褒めるべきだと私は思います。
やっぱりね、当時60歳近い男が「他人の一言」で自分の考えを改心させるなんて、なかなか出来ないことですよ、王貞治は「プライドの塊」なんですからね!!
でも、そこでしっかりと「反省」出来たことは、やっぱり「世界の王」なんだな、と私は思いました。
王貞治は選手時代から積み上げてきた「結果と自信」を、巨人時代の監督では「崩す」ことが出来なかったんでしょう・・・
巨人のような「常勝軍団の監督」をやるにはまだまだ勉強不足だったということですね。
ホークスの監督では、なんとか巨人での監督っぷりを反省して「チーム一丸」という言葉を王貞治は体に染み込ませることが出来たと私は思っています!
では、ホークスを強くすることが出来た王貞治の「監督手腕」とは、どのようなものだったのでしょうかね?
王貞治がやってきた「王采配」について一緒に見ていきましょう!
王貞治の監督の成績はどのような王采配でチームを勝ちに導いたのか!?
選手、コーチの会話、そして「カリスマ」を駆使していきました!
ここでは、巨人時代の王貞治監督は「ダメだった」ということで、ホークス時代の王貞治監督を中心に紹介していきますね(汗)
私は、球団社長の言葉で心を入れ替えた王貞治は「ちゃんとコミュニケーションをとる」人物になったのではないかと予想しています。
やっぱり、監督というのは率先してコーチや選手に対して「調子はどうだ?」「そこはお前に任せる」などの声かけをしてもらい、いい塩梅で「褒める」「叱る」を取り入れて、チーム全体を「鼓舞」していくべきだと思います!
王貞治はその辺を徹底的に見直して「コーチまたは選手から」監督に対して発言出来るように「距離感」を縮めていったのではないでしょうか?
結果、王貞治の目的がチーム全体に浸透し、チーム全員が同じ方向に向かって進むことが出来たからこそ、ホークスの5年目以降はAクラスを維持したのだと私は思っています!
また、王貞治は仮にも「世界の王」ですから、やっぱり出ているんですよね「カリスマ」が(魅力)
特に選手に対する言葉は「至高の一言」だったのではないでしょうか?
「あの王貞治がオレにアドバイスしてくれたぞ!頑張って結果ださねーと!」と選手が奮起するはずです!
またホークスの選手だった「城島健司」には、高校時代に習字で「王」と書くほど尊敬されており、時には王貞治に対して「手厳しい意見」を言うこともありますが、王自身は「将来の監督」として期待していたそうです!
監督として見事に成長することが出来た王貞治ですが、では、成長しきった状態で臨んだ「WBCの監督」は成功したのでしょうか?
世界の王が世界相手にどんな手腕を発揮したのか、早速見ていきましょう!
王貞治の監督手腕はWBCでどのように発揮されていたのか!?
代打「福留」が全てを物語っていますね・・・!
王貞治は第1回WBC(2006年)の「日本代表監督」として、チームを引っ張っていきました。
私が印象深かったのは「3度の韓国戦」でした。
第1ラウンド、第2ラウンドと韓国に負けてしまい「マウンド上に韓国の旗を立てられる」などと、韓国にやりたい放題やられていました(悔)
準決勝で韓国と対戦することになった日本ですが、正直なところ「また負けんのか・・・」という諦めムードが流れていたような気がしました・・・
しかし、7回の表に「松中信彦」がツーベースを打ちランナー二塁となり、王貞治監督が「代打、福留」と言ってしまったのです・・・(絶望)
私は「何故、打率.105の奴を使うんだ王貞治!!」とブチ切れ寸前でしたが、結果は先制点となる「ツーランホームラン」を打ち、この一発を機に日本は7回に「5点」を入れることに成功します!
結果、韓国には6-0で勝利し、決勝のキューバ戦も10-6で優勝を勝ち取り、日本は「第1回目のWBC王者」に君臨したのでした!
王貞治の采配に罵倒していた私ですが、福留が「打たなかったら」「代打で出なかったら」日本の優勝はなかったんじゃないかと「今」は思っています(大汗)
多分「王の勘」が働いたんでしょうね!
で、なければあの場面で「代打福留」はあり得なかったですから(笑)
結果、王貞治の采配が日本を優勝に導いた訳ですが、そういった功績もあって王貞治は「文化功労者」になれたのでしょうか?
国民栄誉賞とはまた違う、文化功労者を王貞治の功績から見ていきましょうか!
王貞治から見る文化功労者とは!?
巨人が一つの文化だった!?
そもそも文化功労者とはどんなものかといいますと、
「日本において、文化の向上発達に関し特に功績顕著な者をいう。」
という定義らしいのですが、王貞治の前に「野球界」から授与されている人は、
となり、王貞治は「2010年」に授与されています。
野球界の人選は全て「読売ジャイアンツ関係者」となっていることから、私は改めて「巨人の影響力ってスゲーな」と思いました(汗)
「巨人、大鵬、卵焼き」と流行語の最前線にいた巨人ですから、そりゃあ、そこで活躍した選手が「文化功労者」として称えられなければいけないですよね(汗)
また、王貞治が授与された一番の功績は「第1回WBCで優勝し『世界の王』を名実ともに、世界へ知らしめたこと」ではないかと私は思っています。
確かに王貞治の「868本塁打」の記録もありますが「アメリカとの関係性を考えて」あまり、考慮されなかったのではないでしょうか?
・・・スポーツに「政治」を絡めると格段にツマらなくなりますからね、無粋な考えはやめましょうか(陳謝)
私のような「邪念まみれ」とは程遠い王貞治ですが、最後は監督を経験して一段と磨きがかかった人格から生まれた、王貞治の名言を見ていきましょうか!
王貞治の名言は自分に絶対の自信があったからこそ発言できたのだ!!
芦田愛菜が好きな名言は出てきません!!
しかし、代わりとなる名言は沢山あります!!
では、四の五の言わず、王貞治の名言を見ていきましょう!
うーん、なんですかね「僕の役目はホームランを打つことだ。」なんて普通の選手は言えませんよ、本当に。
これは王貞治が「絶対の自信」があったからこその発言ですよね、その自信が結果となって出ている訳ですから、凄いとしか言いようがないですねぇ~
また「調子がいいときもあれば、悪いときもある。」って言葉もいいですよね。
いつもの道をいつもの速度で走っていたら「警察の取り締まり(いわゆるネズミ捕り)」に捕まっちゃうことだって、あるじゃないですか、たぶん・・・
これは、昔会社にいた人から聞いた話なんですが「1日に2回、しかも同じところでスピード違反で捕まった人がいる」という伝説級の話なんですが、王貞治の監督時代の当初はそんな「不運」な感じだったんですかね・・・
私はまだゴールド免許なので、王貞治の「名言」を思い出しながら、スピード違反には気を付けたいと思います!!
王貞治の監督の成績は意外!?過信と低迷そして昇華を味わい再び王に君臨!のまとめ
最後まで読んで頂きありがとうございます。
王貞治の監督時代を見てきましたが、最初から実力のある監督ではなく、まずは選手より王貞治自身の成長が必要だったことがわかりましたよね。
あの「世界の王」だって、監督として一人前になるには様々な苦難を乗り越えて、答えを見出すのに時間がかかった訳ですから、私たち野球ファンも「すぐにファンを辞めたり」などしないように気を付けるべきですね(汗)
私は、全ての野球選手を応援しているつもりでいますので、これからも王貞治に匹敵する選手をどんどん紹介して、それ以上にプロ野球の応援を続けていきたいと思っています!!
あと、王貞治の現役時代の活躍はこちらの記事で書いてます!
王貞治の現役の成績は王者の証!巨人最強四番打者の力は世界一の本塁打数!
ぜひ、あわせてお読みくださいね!(懇願)
王貞治氏の長年に渡る野球界への貢献、大いに感謝致します!!(ファン代表)