「やっぱり巨人の四番打者の中で、最強といったら長嶋茂雄より王貞治だよな。実際の試合を観たことは無いけど、今でも王の偉大さは伝わってくるもんな。」
うーん、そうですね、王貞治は巨人の歴代最強四番打者といっても過言ではないですね!
王貞治の記録というのは、野球ファンだけでは無く「国民全員」が知っているぐらいの内容で「868本」という本塁打数は、今後も永久不変の記録になることでしょう!
また、王貞治は「一本足打法」を習得することによって驚異的に本塁打数を伸ばし、王貞治=一本足打法というイメージは、プロ野球ファンでは鉄板のネタですよね。
「うん、王貞治の一本足打法を見て最初に思ったのが『打ちづらくね?』だったからなぁ。一本足は王貞治にしか出来ない、奇跡の打法だと俺は思ったよ・・・」
その奇跡と思わせる打法の裏には、一般人では耐えがたい「努力の上の努力」を重ねて完成させた証がありますから、王貞治の力がいかに凄かったのかが伝わってきますね。
もちろん、王貞治は一本足打法で本塁打のみを量産した訳では無く、他の打撃成績も凄まじい記録となっていますから、実際の記録が気になりますよね?
でも、まずは、王貞治が本塁打と一本足打法で積み重ねた「勝利の証」をプロ野球ファンのあなたに見ていってもらいましょう!
果たして、プロ野球界の最高峰に位置する王貞治の成績は、巨人にどう貢献していたのでしょうか!?
目次
王貞治の成績は巨人V9時代には欠かせない最強の攻撃力だった!!
王貞治は「努力の天才」だったのです!
圧倒的継続力で培った王貞治の成績と球史を、
- 奥義!一本足打法習得!!プロ1年目から6年目
- 超圧巻!868本塁打までの軌跡!!プロ7年目から22年目の現役引退
の2つの伝説でお伝えしますね。
まずは、王貞治の一本足打法習得から見ていきましょう!
奥義!一本足打法習得!!プロ1年目から6年目
最初から「王の素質」があった訳ではありませんでした・・・
王貞治はプロ1年目(1959年)に「投手」として巨人に入団しましたが、当時の監督「川上哲治」から「投手としては大成しない」と言われ、打者へ転向しました。
打者に転向した王貞治は、プロ3年目(1961年)までに本塁打がシーズン20本超えることが無く、周囲の期待に応えることが出来ませんでした・・・
しかし、3年目のシーズンオフから「荒川博」打撃コーチのマンツーマン指導により「一本足打法」を習得し、プロ4年目(1962年)の夏場から成績が急上昇し「本塁打王(38本)」と「打点王(85打点)」の二冠を達成しました!
そして、王貞治の一本足打法はプロ6年目(1964年)には「打率.320、55本、119打点」という「当時のシーズン本塁打1位を記録」し、その時の王貞治の年齢は「24歳」でした(驚)
王貞治は、巨人に入団してから3年は芽が出なかったことになりますね。
私も社会人1年目の時、会社で「3年間はがむしゃらにやれ」と社長から言われたことを思い出しました。
要は3年間で色々なことを吸収して、4年目からは会社の利益になれ、というお言葉だったらしいですが・・・(洗脳)
もしかしたらこの「3年待てば、活躍する」というのは、王貞治の活躍がきっかけに世の社長さん達へ広がったのではないでしょうか・・・
ちなみの私の24歳時は、車のローンを返すのに精一杯でした(笑)
超圧巻!868本塁打までの軌跡!!プロ7年目から22年目の現役引退
超大量の本塁打を量産し、王貞治の名を世界にとどろかせました!
王貞治は、プロ4年目(1962年)から16年目(1974年)までに「13年連続本塁打王」に輝き、本塁打に関しては「独壇場」となっていました!
また、巨人V9時代と呼ばれる「9年連続日本一」は1965年~1973年となっており、全て王貞治が「本塁打王」に輝いていました!
この爆発力とチーム貢献度を引っ提げて、王貞治はプロ19年目(1977年)に本塁打数の通算記録を「756本」とし、世界記録だった「755本」を更新しました!!
そして、プロ22年目は「打率.236、30本、84打点」という成績ながら「現役引退」を選び、王貞治の通算本塁打は「868本」となったのでした・・・
ちなみに2位の通算本塁打数は「野村克也の657本」で、野村は26年やっていましたから、王貞治のシーズン本塁打数のペースは、他に類を見ない勢いでしたね(平均約40本)
「王貞治」の「王」が偽名に見えるぐらい、誰も寄せ付けない「王者の記録」を樹立しましたよね(汗)
名前にふさわしい記録は、私が死んでからもずっと伝わっていくと確信しております!
本当は、王貞治の成績に関する情報はもっとあったんですが、泣く泣く割愛させてもらいました(号泣)
ただ、割愛しても王貞治の「偉大さ」は伝わったと私は確信しています!
無限に湧き出る「油田」のような王貞治の成績でしたが、では、一本足打法について深堀りしていきましょうか!
王貞治は一本足打法を習得して、何を見出し何を得たのか!?
その答えは次の項へ行けばわかるのです・・・!!
王貞治の成績は一本足打法という揺るぎない技術があったからこその結果だ!!
一本足打法との出会いは「王貞治の野球人生を変えた」出来事だった!!
前項でもお伝えした通り、王貞治はプロ3年目のシーズンオフに「荒川博」打撃コーチから指導を受けるのですが、最初から一本足打法を習得する為の指導ではなかったのです!
王貞治のスイング時の「手足の動きが不安定、簡単に打ち崩される」という弱点を克服する中で「一本足打法」が候補としてあっただけで、一本足については2、3日程しか練習しなかったらしいです(驚)
そして「足を大きく上げて投球タイミングをとるぞ!」というところから王貞治の一本足打法の実践投入が始まり、結果、成績が爆発的に伸び、王にとって「不変の打撃フォーム」となっていったのです!
王貞治は一本足打法習得後は、通算で「822本塁打」を記録し、一本足は王貞治の代名詞に変わっていきました!
私は、てっきり最初から一本足を習得する為に、荒川コーチと二人三脚で練習してきたと思いきや、あくまでの候補の一つだったんですね、これにはビックリでした。
また、王貞治は飲みに行っても「夜10時」には帰宅して、荒川コーチと共に練習に取り組んでいたみたいですね・・・
酔っぱらった状態で出来んのかなーと、私は無粋な意見を放つ訳ですが、とにかく王貞治自身が納得いくまでひたすら練習し続けた訳ですね!
だからこそ王貞治は、
「努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない。」
という名言を世に放つことが出来たんですね、素晴らし過ぎです!!!
私は、一本足打法とは「ラーメン屋で派手に麺を湯切りするぐらい」のパフォーマンスかと思っていたのですが、色々と王貞治を調べていく内に考えを変えることが出来ました!
決して、ラーメン屋の湯切りと比べてはいけない一本足打法ですが、本塁打以外にはどういった成績を残していったのでしょう?
本塁打ばかりに目がいってしまう王貞治の成績ですが、他の項目も凄かったぜ!というところを私と一緒に確かめていきましょうか!
王貞治の成績は本塁打以外もめちゃくちゃ凄かった!!
打者の「王」として主要な成績は網羅していました!!
王貞治の「本塁打」以外の通算成績を見てみると、
「打点」「四球」「敬遠」「出塁率」「長打率」「OPS」の全てが「歴代1位」なのです!!!
しかも「四球」「敬遠」に至っては、2位との「差」が凄まじいことになっています。
- 四球「1位:2390個」「2位(落合博満):1475個」
- 敬遠「1位:427回」「2位(張本勲):228個」
この成績を見て私は「王貞治に投げると打たれてしまう!」という投手の「悲痛な叫び」が聞こえてくるような気がします!
逆に、これより少ない四球と敬遠数だったら、もっと「本塁打」を始めとする打撃成績が伸びていた可能性大!ということですよね?
・・・なんていうんですかね「戦わずして勝つ!」「目で殺す!」というのが王貞治のオーラには含まれていたのでしょう・・・
昔「オーラの泉」という、なんとも不思議な番組がありましたよね。
もしも、そこで王貞治が出演し自分のオーラを見てもらったとして、三輪さんが「私と同じ意見」を言えるくらい正確なオーラ判断ができれば、オーラの泉は「打ち切り」になることはなかったんでしょうね・・・(泣)
しかし、この成績をアメリカはどう捉えているんでしょうかね?
「サダハル・オーのキロクはムコウだ!」なんて言ってないとは思うのですが、心配なので見てみましょうか・・・
王貞治の成績はアメリカから見たらどんな結果だったのか!?
王貞治の活躍は、まだまだ賛否両論ですね・・・
王貞治は1970年の日米野球で1試合で2本塁打を打つ活躍を見せ、相手の投手が「敬遠」するほどの迫力だったらしいです(すげぇ!)
メジャーリーガーも脱帽状態だったら、アメリカ本土でも王貞治の成績は認められているはずかと思いきや「世界の王」ではなく「日本の王」と称されていました・・・
また、アメリカのメディアは当時のプロ野球の「球場の狭さ」「投手のレベル」をメジャーと比較して王貞治の「756本塁打」の記録は「無価値」と位置付けていたのです(残念)
しかし、評価してくれる声もアメリカには多く、代表的なのは「ハンク・アーロン」が王貞治に「フラミンゴのはく製」を贈ったりして記録に対する「敬意」を表しました。
私は、このアメリカの王貞治に対する評価は「正しい」と思いました。
理由は、メジャーやプロ野球以外の選手が「王貞治のシーズン55本を超えた」というニュースを聞いたときに「それは違うだろう」と私は直感的に思ってしまったからです!
やはり記録を出した「土俵」が違いますから、比較するのは「おかしい」と思わないといけないだろうと私は思いました。
ただ、真っ向から否定するのでは無く「おめでとうございます。参考記録して認知させて頂きます。」という姿勢は欲しいかなーと思いました。
王貞治は、こういった謙虚な姿勢を持っているので現在でも「プロ野球界の王」として名高いですが、実は「大食い」として名をとどろかせていたのはご存知でしょうか?
食べることにも貪欲だった王貞治の食いっぷりを一緒に見ていきましょう!
王貞治は巨人最強のフードファイターだった!?
腹が減ったなら、食った方がいいと思います。
王貞治は現役時代は「大食い」として有名だったらしく、おやつには「ラーメン」や「かつ丼」などを食べ、夜食には餃子を何人前も平らげていたみたいです(空腹)
また、昼食を食べた後には夕食のことを考えてしまう程、食べるのが大好きだった王貞治ですが、これは野球をやっていた人なら「あるある」話ではないでしょうか?
野球の練習って結構動くんですよね、私は中学時代野球の練習のおかげて「15kg」ぐらい痩せましたからね(ダイエット)
しかも「気付いていたら痩せていた」という「いつの間にかダイエット」だったんですが、現在では立派に体重が戻って増えました(リバウンド)
とにかく中学時代の代謝は王貞治と似ていて、家に帰ってきて「5人前」ぐらいのラーメンを食べても満腹にならず、夜食にはポテトチップスばかり食べていましたからね。
それでも太らずに痩せていくんですからね、野球の練習って相当ハードですよ、痩せたいあなたは今から猛特訓だ!!
現在でもたまに野球の練習をするんですが、全然効果が無いですね・・・あ、すぐに弱音を吐いて練習を抜け出すからか(笑)
王貞治は食べた以上に、ボールをスタンドへ運んでいたんですから、もっと食べてもっと本塁打を増やしてほしかったですね(貪欲)
・・・私は体重を減らさないといけないですね(贅沢病)
王貞治の現役の成績は王者の証!巨人最強四番打者の力は世界一の本塁打数!のまとめ
最後まで読んで頂きありがとうございます。
世界の王貞治の現役時代を見てきましたが、誰もが知っている成績を残した「野球界の王様」ということが分かって頂けたでしょうか!?
王貞治を超えるプロ野球選手が誕生することは、正直難しいと私は思っています。
ただ、決して「無理」ではないので、王貞治を超える野球選手の誕生を願って、私はプロ野球を応援し続けますよ!!
そして「王貞治を超えた!!この選手がプロ野球をけん引する最強選手!!」という記事を書けることを、私は願っています!!