「山本浩二って確かWBCの時に、日本代表の監督をやっていたよね?噂では、人望が無くて日本人メジャーリーガーを呼べなかったとか言われていたけど、やっぱり監督としては力不足だったの?」
いや、WBCに関しては山本浩二の人望不足では無く、メジャー側に「NO!」と言われるのがわかっていたので、各選手たちは「不参加」を表明したらしいですよ(噂)
また、山本浩二の監督しての実力ですが、第一次広島時代は「リーグ優勝」を達成しているので、決して力不足の監督では無いと私は思っていますが、第二次広島時代は成績がイマイチでしたね・・・
私は、山本浩二が監督として結果を出せなかったのは「チームの改革」を疎かにしてしまったことではないかと見ています。
「改革?・・・結果が出ない選手は切り捨てて、他球団や助っ人外国人による補強をしろってことかな?一時代の巨人みたいな・・・」
うーん、そこまで露骨な改革は必要ではなく、要は山本浩二は「我慢しすぎた!」ってことですね!
私は、監督というのは基本「選手を信じる」ことが一番必要だと思っているのですが、プロ野球というのは「結果」も大事なので、選手を見切る判断も必要です!
見切る時期を誤ってしまった山本浩二の監督としての成績はどうだったのか、私と一緒に見ていきましょう!
目次
山本浩二の監督の成績は長期に渡って赤ヘル旋風を巻き起こすことが出来たのか!?
チーム戦力に勝敗を左右されてしまうのが、監督の辛い所です・・・
しかし、悪い時は良い方向へ軌道修正するのも監督の役目なのです!
監督として動くのを我慢してしまった山本浩二の球史を、
- 強い広島を引き継いだ、監督1年目から5年目
- 弱い広島を引き継いだ、監督6年目から10年目
の2つでお伝えします。
まずは、監督1年目の山本浩二を見ていきましょう!
強い広島を引き継いだ、監督1年目から5年目
踏ん張り所で、踏ん張り切れませんでした・・・
山本浩二監督は、自らも尽力した「赤ヘル黄金時代」の広島カープを1989年のシーズンから引き継ぎ「2位、2位」と好成績を収め、監督3年目(1991年)には「リーグ優勝」を達成しました!
また、山本浩二監督の4年目(1992年)は「4位」に転落してしまいましたが、首位のヤクルトとは「わずか3ゲーム差」であり、ほぼAクラスの4位だったと私は思いました(混戦)
しかし、5年目(1993年)は投手陣の崩壊により首位のヤクルトに「27ゲーム差」をつけられて「6位」となり、山本浩二は最下位となった責任を取る為、監督を辞任しました・・・
第一次監督時代の山本浩二監督は、強い広島を引き継いだので最初の3~4年は順風満帆だっと私は思います。
ただ私は、4年目に引退してしまった捕手の「達川光男」の代わりを、5年目に探し当てることが出来なかった山本浩二監督は、投手陣の崩壊を招いてしまい、その悪い流れを断ち切ることが出来なかったと見ています・・・
ここで、山本浩二監督自身の采配を見直す必要があったのですが、果たしてその失敗を今後に活かすことが出来たのでしょうか?
弱い広島を引き継いだ、監督6年目から10年目
チームの一部のみが、山本浩二監督の我慢に応えることが出来ました・・・
1998年から3年連続で「5位」だった広島を、再び引き継ぐこととなった山本浩二監督ですが、監督6年目(2001年)以降の5年間で「4位、5位、5位、5位、6位」と低空飛行が続いてしまいました・・・
結局10年目には、再び最下位となった責任を取る為、山本浩二監督は監督辞任となってしまいました(泣)
この5年間の間で「黒田博樹」や「嶋重宣」「新井貴浩」の活躍は目立ちましたが、それ以外の選手がパッとせず、それでも山本浩二監督は「我慢」して使い続け、結果「5年連続Bクラス」という辛い結果となりました・・・
うーん、第二次広島監督時代の山本浩二監督は「我慢という名の育成」が裏目に出てしまった5年間だったんですかね。
「弱い戦力でも勝てるようにしろ!」という注文は、山本浩二監督には酷な話だったのかもしれません・・・
山本浩二が勝てなかった原因は「チーム戦力」と「己の采配」が半々ぐらいだと私は思っています(汗)
ただ「チームが弱いから勝てないんじゃ!!」という言い訳は、監督としてはよろしくないので、山本浩二には広島に対してもっと何か出来ることがあったのではないか!!
と私はカープファンの思いを代弁します!
では、具体的に山本浩二の「どこが」良くなかったのかを次の項でお伝えしますので、とりあえず次も見てください(願)
山本浩二の監督の采配はどういった部分が優勝を遠ざけてしまったのか!?
各選手に見合った育成環境を提供出来ていなかったのではないか!?
山本浩二が我慢のし過ぎで、育成に失敗してしまったことはすでにお伝えしましたが、ここで巨人のように選手の補強ばかり行う訳にもいかず、しかも当時の広島にはそんな金はなかったはずです(金欠)
では、そんな金欠球団で山本浩二がどんな育成をすべきだったのかというと・・・
「選手一人一人の個性を活かした、育成法を見つけ出すこと!!」
ではないかと私は思います!!
これは私の独自見解ですが、山本浩二は選手全員に「同じような指導」をしていたのではないかと見ています!
一見、普通の指導法に見えますが、選手は全員「プロ野球選手」ですから「少年野球」のように「指導者に対して実直」な選手って少ないと思うんですよね(プライドがあって)
なので、山本浩二の指導法に「反発」する選手だっていたと思いますし、その「反発」が選手の成長を止めてしまい、山本浩二は「でも、もう少し我慢だ!」と「一生芽の出ない花」の成長を祈ることになってしまったのです!
つまり、この悪循環に気付くことが出来なかったからこそ、第二次広島監督時代は「万年Bクラス」だった、ということになります!!
山本浩二は「なんでコイツは芽が出らんのかなー」ともう少し、選手との「対話」「協調性」を築くべきだったのではないでしょうか!?
そこを怠らずにやっていれば、選手の適性を見つける可能性が高くなりますので、山本浩二は選手に適切な育成環境を提供出来たのかもしれませんね・・・
・・・しかし!!
以上のこと既にを実践しており、それでも選手が開花することがなかったとすれば、山本浩二は球界一の「貧乏くじ」監督であり、私からは、なにもアドバイスができません・・・
貧乏くじと言えば、WBCでの監督としてもそんな節があった山本浩二ですが、本当に自身の監督手腕だけが優勝を逃した原因だったのでしょうか?
では、その真実を探っていきましょうか!!
山本浩二のWBCでの監督手腕は本当に良くなかったのか!?
短期決戦で出来ることは限られています!!
2013年のWBCの日本代表監督となった山本浩二ですが、準決勝で敗退となり「3大会連続優勝」の夢は終わってしまいました(儚)
この優勝出来なかった原因は「山本浩二の采配ミス」や「メジャー選手を呼べなかった山本浩二の人望の薄さ」などと色々と憶測が飛ぶようになりました(悲)
しかし!私は単純に「戦力差」だと思っています!
まず、メジャー選手(イチロー、ダルビッシュなど)の不参加は「メジャー側の圧力」で当たっていると思います(予想)
つぎに、準決勝での盗塁による試合終了は「コーチの指示」ということになっていますので、全てが山本浩二の采配ミスではないように私は感じました。
これらを踏まえて、日本代表の成績を見てみますと「打撃が16チーム中5位」「投手が16チーム中6位」となっているので、この成績では「日本が準決勝敗退」が妥当かなーと私は見ています。
WBCという短期決戦では「チーム戦力」が一番大切であり、短い期間での練習で「選手と首脳陣との絆」なんか期待できないので、山本浩二の采配などはあまり関係ないように思いました!
つまり「山本浩二が監督だったから負けた」という考えは、2013年のWBCの結果には当てはまっておらず、優勝出来なかった原因は「日本代表全員の責任」ということになるんじゃないですかね。
私はWBCの日本代表は「直前のペナントで日本一となった球団が適格!」と思っているのですが、野球ファンのあなたはどう思いますか?
WBCでの全責任を負い苦労したと思われる山本浩二ですが、2014年から「名球会」の理事長となり、こっちでも色々と苦労していると見ています。
しかし、理事長の山本浩二は苦労してなんぼだと私は思っていますので、以前の「ワンマン経営」から脱却することが出来た名球会は、一体何をするべきなんでしょうか!?
山本浩二が名球会理事長としてやるべきことはこれだ!!
野球の普及促進および社会貢献に全力を尽くせ!!
まず、山本浩二が理事長になる前の名球会は、以下の記事に記載してありますので、読んでみてください。
金田正一の監督の成績は今一つ!だがチームの人気の為に試合と乱闘を演出!
で、記事を読んでもらった前提で話していきますが、私は「名球会」というグレーな組織は、もっともっと「社会貢献」をするべきだと思っているんですよ!!
本来であれば、着服していたと思われる人物から色々と徴収すべきですが「球界の天皇」なので、なかなか強く当たれないのが現実です(泣)
では、その足りない分は「行動」で示すしかないと私は思っていて、その先頭に立つべき存在が理事長である山本浩二なんですよね!!
どのくらいのペースで野球教室や寄付をやっているのかわかりませんが、野球教室は「週1回」寄付は「月に1回」でやらないと、物足りないような気がするんですよ。
野球教室は、首都圏や大都市ばかりでは無く「島根県」や「青森県」などの地方を中心にやっていったほうが、いいアピールになるはずなんです!
名球会には引退して暇な選手も結構いると思いますので、山本浩二は理事長として、そういった選手にも野球に携わるチャンスを沢山与えて、
「名球会は野球の為に全力!!」
という「社会貢献」を、山本浩二を中心に展開していって欲しいです!!
私が理事長になったつもりで、山本浩二にアドバイスしましたが、では、最後に皆さんお待ちかねの「山本浩二と堀内恒夫の声が似すぎ説」を見ていきますか!!
野球中継を観たことある人だったら、誰でも遭遇するこの「大問題」ですが、果たして解決の糸口は見つかるのでしょうか・・・
山本浩二と堀内恒夫の声が似すぎ説!!
もう口調で見破るしかない・・・っ!!
これはですね、もう山本浩二と堀内恒夫の声を聴いてもらった方がいいんですけど、あいにく音声サンプルは持ち合わせていないので、なんとかして聴いてみてください!!
例えるなら「ドランゴンボールのクリリン」と「ワンピースのルフィ」ぐらい似てます(笑)
で、私が独自に山本浩二と堀内恒夫の「違い」を見出しましたので、是非、今後の人生に役立ててください!!
山本浩二の特徴
- 話し方はやわらかい。
- あまり否定しない。
- 堀内より若干声が低い。
堀内恒夫の特徴
- 論理的な話し方っぽい。
- 結構、自己主張が強い。
- 「ぼくは~」みたいな表現を使う。
実際聞いてみると分かるんですが「生き別れの兄弟かな?」と勘違いするぐらい似ているので、私の提示した「違い」を駆使しても、山本浩二と堀内恒夫の判別は難しいんじゃないですかね~
・・・もちろん!これは、私の妄想でも幻聴でもなく、ネット上でも密かに噂となっている説ですから、私と同じ考えの同志が結構いるはずなんです!!
山本浩二と堀内恒夫は「日テレ系」の野球中継で遭遇する場合が高いので、野球ファンのあなたも、もし遭遇した場合は意識して声を聴いてみてください!
そして私の説が正しかったことを「立証」してやってください!!!(切願)
山本浩二の監督の成績はBクラス多め!だが長年広島を支えた監督の器とは?のまとめ
最後まで読んで頂きありがとうございます。
山本浩二の監督時代についてですが、我慢という以外にも別の行動を広島に示して欲しかったですね。
WBCの件は、山本浩二が「貧乏くじ」を引いてしまったと思って良いと私は見ています(汗)
また山本浩二は、のんびりしている(鈍い)性格らしいので、監督には向いていないのかなーと思います・・・(厳)
・・・では、名球会で山本浩二理事長は、少年野球などの野球教室に力を注いでもらい、プロ野球発展の為に頑張って頂きたいと、私は声を大にして応援していきます!!