「ふと思ったんだけど、鉄拳制裁が公になっている監督って星野仙一ぐらいなんじゃないの?あと乱闘要員の選手も居たって噂されているけど、そんなケンカ野球をどう思ってる?」

まあ、星野仙一本人は公にしたつもりはないと思いますが、試合中の様子を見てると「こりゃ、やってるな」と思われてもしょうがないですね(笑)

ただ、それはあくまでも「中日の監督」だった時の話で「阪神」と「楽天」の監督では、星野仙一は「鉄拳封印」をしていたように私は見えました(汗)

「確かにそれはあるかも・・・ただ、ベンチを蹴っ飛ばしたり、扇風機を破壊したりは楽天の時でもやってたように見えたなー・・・闘将の血はなかなか抑えられないのかねぇ。」

やっぱり、野球のことになるとついつい熱くなっちゃんですよ、星野仙一は。

ほら、ゲームをやってて「自分の思う通りに進まないと」コントローラーを叩きつける人っているじゃないですか?それと同じです!

・・・しかし、プロ野球というのはプロの選手を束ねて「勝たせない」といけない仕事ですから、星野仙一は「全身全霊で向き合ったこそ」の熱血指導だったと私は思いました。

では、その熱血指導を持って星野仙一は、監督としてどのような結果を残してきたか見ていきましょうか!

私たち野球ファンは闘将の「真の実力」を知ることになるかもしれませんっ・・・!

星野仙一の監督としての成績は必ずチームを優勝させている!!

何としても「優勝するぞ!」という思いが出ています!

優勝へのこだわりを全面に出した星野仙一の監督時代を、

  • 闘将の中日時代!監督1年目から11年目
  • 闘将の阪神、楽天時代!監督12年目から17年目

の2つでお伝えします!

まずは、星野仙一の中日監督時代から見ていきましょう!

闘将の中日時代!監督1年目から11年目

2度に渡る中日の監督で、リーグ優勝を達成しました。

星野仙一の監督1年目(1987年)は、5月に「乱闘時広島のコーチに回し蹴り」をしてしまい「退場処分」を食らってしまうなど闘将らしいスタートでしたが、順位は「2位」と今後期待できる結果を出しました!

監督2年目(1988年)は、期待通りの「リーグ優勝」を達成しますが、その後は「3位、4位、2位」となかなか優勝には結びつきませんでした。

一旦健康上の都合により監督を辞めることになりますが、1995年のオフに復帰し星野仙一監督の第二次中日監督6年目がスタートしました!

復帰後の結果は「2位、6位、2位、1位、2位、5位」と9年目に再び「リーグ優勝」を達成し、11年の通算成績は「Aクラス8回、Bクラス3回」と闘将星野仙一監督は好成績を残すことが出来ました!

この11年の間には「多くの乱闘(退場4回)」が記録されていますが、それでも星野仙一監督は上記のような成績を出しましたから、やることはキッチリやっていたのでしょうね・・・

この時の星野仙一監督は「試合中はいつもキレていた」というイメージしかありませんでした(怖)

「すぐ暴言を吐く」「抗議の際は高速でベンチから出てくる」「ベンチ裏では選手に鉄拳制裁」など、とりあえず本能的に動いていましたね(鬼)

でもこのやり方で成績を残しているんですから、中日の選手には悪いですが、成績に関しては星野仙一監督を褒めるしかないと私は思いました・・・

闘将の阪神、楽天時代!監督12年目から17年目

野村克也が耕して種をまいた畑から、星野仙一監督が収穫することになりました。

2001年のオフ、星野仙一監督は「暗黒時代の阪神」から監督就任の打診を受け、応じることとなり前任の「野村克也」から引き継ぐことになりました!

星野仙一は監督として12年目(2002年)は、阪神を開幕7連勝(阪神史上2回目)に導き「優勝出来るか!?」と期待されましたが「4位」に終わってしまいました(泣

翌年の2003年は広島からFAした「金本知憲」を獲得し「井川慶」「赤星憲広」「ジェフ・ウィリアムス」などの活躍があり、阪神念願の「リーグ優勝」を達成することが出来ました!

この年で監督勇退となった星野仙一監督ですが、2010年には楽天の監督となり、監督16年目(2013年)には「田中将大の大活躍」などがあり「リーグ優勝」を達成しました。

そして、日本シリーズでは星野仙一監督の「宿敵」巨人に4勝3敗で勝利し「初の日本一」を達成することとなり、翌年の監督17年目で「成績不振(最下位)と持病の悪化」により監督辞任となりました・・・

これは、全て星野仙一監督の「手腕のみ」という評価が一般的だと私は思っていますが、この成績を残せたのは「野村克也の育成」が大きく関係していたと予想しています!

まず、阪神についてはすぐに野村から引き継いでおり、楽天は野村が退任してから1年空いた後に星野仙一は監督を引き継いでいます。

つまり、星野仙一監督は「いい状態でチーム」を引き継いだ形になっているのです!!

私は両チームの優勝に大きく貢献した選手「阪神:井川慶」「楽天:田中将大」の活躍は星野仙一監督ではなく、野村克也の育成があったからこそ、星野仙一監督はチームを優勝に導くことが出来たのではないかと思っています!

ただ、星野仙一監督は「選手獲得」の面では優れていたと言われいますので「阪神の優勝、野村5:星野5」「楽天の優勝、野村9:星野1」という割合が適切だと私は見ています(汗)

中日時代は「鉄拳で優勝」し、阪神楽天時代は「人脈で優勝」というのが、星野仙一の監督人生ではないでしょうか?

良くも悪くも「結果」が全てのプロ野球ですから、闘将星野仙一は長年に渡って監督を続けてこられたのでしょう・・・

そんな星野仙一の「監督としての理念」はどういう中身なのか気になりますね・・・

何故、星野仙一は鉄拳制裁をするのか!?・・・

次の項ではその重要部分が見えてくるはずです・・・

星野仙一 監督 成績

星野仙一の監督理念は己の本性をむき出しにすることから始まる!!

赤紙を受け取った日本兵の心境に似ていますね・・・

星野仙一は最初の中日監督の要請を受けたときに「召集令状がきた」と感じたらしいのです。

また、監督就任時にカメラマンから「笑ってください」と言われると、

「これから戦場へ行くのだ。笑えるか。」

と真剣にブチ切れ(マジギレ)したみたいなのです・・・

つまり、星野仙一は監督就任時から「野球は戦争だ!!」という意志があったからこそ、自分が陸軍の「大尉」になったつもりで、選手を指揮していこうと誓ったに違いありません!!

という考えがなければ「鉄拳制裁」という指導法は「ただの暴力」になってしまうので、星野仙一の「鉄拳制裁」は「確固たる意志」の元でやっていたのです!!

また「私が怒る時は、常に本気で怒る。叱るときは全身で叱る。」と自分の著書で述べていたので、星野仙一は「本気=鉄拳」という考えだったんでしょうね・・・

・・・しかし、こんな話もあります。

よく、審判に激しく抗議していた星野仙一ですが実は試合前に「激しくいきますんで」と審判に詫びを入れて行っていたので、これまでの激しい抗議は「ファンへの見せ物」だったらしいのです!!

例えるなら、ダウンタウンの浜田雅功が大御所にツッコむことが出来るのは、本番前の挨拶、普段からの付き合いが出来ているから!

ということが、星野仙一にも出来ていたのでしょう!!

で、あれば、制裁を食らわした選手に対しても「あの時はスマン、これで美味いもんでも食ってくれ」と「飴」の部分が星野仙一にあったのではないかと私は予想しています!

とは言え、これまでやらかした「鉄拳制裁」が全てチャラになる訳ではないので、私が墓から掘り返すつもりで「鉄拳制裁エピソード」を野球ファンのあなたにお伝えしますよ!!

星野仙一の原動力となった鉄拳制裁エピソードを拳を振り上げて紹介!!

フィクションであってほしいなぁと思いました・・・

星野仙一の「鉄拳制裁エピソード」は、ほぼ「中日監督時代」なので、阪神、楽天時代は「鉄拳制裁は封印した」と思ってください(笑)

まず、中日投手のレジェンド「山本昌」が若手の頃、不甲斐ない投球をしてベンチ裏に戻ってくると、何故か星野仙一がついて来ており、山本昌の顔に往復ビンタを食らわせたそうです(痛ッ)

しかし、投手に手を出すのは比較的少なかったらしく、一番の被害者は当時の中日正捕手「中村武志」だったらしいのです・・・

  • 顔面に付着した血が固まった状態で、出てきた
  • 顔が変形するほど殴られ、キャッチャーマスクを無理やり被った
  • 中村が星野仙一に呼ばれるとマスクを被って来た

という恐ろしい逸話があります!

こんなことを行う星野仙一は「鉄拳制裁」に関して、こんな発言をしていました!!

「育てるという意味の中で、その中には愛情があるのだから、殴るのを全部否定するのはいかがなものか。」

・・・なんとも一方通行な想いだなーと私は思いました・・・

プロ選手なんで、時には殴られる場面があっても私は仕方がないと思っていますが、星野仙一の場合はやりすぎではないでしょうか!?

とある国で、忠告を無視してミサイルをバンバン打ち上げているのと同じだろ!星野仙一!!と思いました!

また、星野仙一は殴ることによって「指導のショートカット」を行っているように私は見えました。

そんな感情表現がへたっぴな星野仙一ですが、実は、様々な病魔と闘っていたのです!

「鉄拳制裁のツケか?」と思っている方もいると思いますが、次の項では星野仙一を労わってあげましょう(お願い)

星野仙一 監督 成績

星野仙一は強気の裏で様々な病気と闘っていた!?

流石の闘将星野仙一も病気には悪戦苦闘していました・・・

星野仙一は監督時代から「高血圧症」を患っており、阪神監督時には試合終了後に何度も倒れてしまったこともあったそうです。

また、星野仙一が阪神監督を退任した際は「糖尿病」「胃潰瘍(いかいよう)」などの病気も患っていました(大変)

しかも、楽天監督退任時には「黄色靱帯骨化症」という聞きなれない病気も星野仙一は患ってしまったのです!!

これは「足のしびれ」を発生させ、日常生活に影響を出してしまう骨の病気なのですが、一応薬での回復は可能なので、私は大事には至らないかなーと思いました(楽観)

これらの病気を見てみると星野仙一の「熱血指導」が仇になっているような気がするのですが、プロ野球ファンのあなたはどう思いますか?

ただ、プロ野球の監督と言うのはものすごい「圧力がかかる役目」なので、自分の身を粉にして星野仙一はチームの為に戦っていたのでしょう!!

では、最後に星野仙一の名言を見てもらって「鉄拳制裁」だけの人物ではないことをわかってもらいましょうか!

星野仙一の本音はこれまで残した名言から読み取るしかない!!

その姿勢が無ければ言葉にすることは出来ません!

では、星野仙一の選りすぐりの名言をご覧ください!

  • 当たり前の事を当たり前にやるだけ、ただし本気で。
  • 大変という意味は大きく変わるということ。ピンチはチャンスの前触れ。
  • 失敗してもチャンスは与える。
  • 強気は弱気を制していく、強気は強気を押し退ける。
  • 自分だけでは何もできないというのは自覚しています。

うーん、やはり名言も闘将らしさが、にじみ出ていますねぇ。

私は星野仙一の名言で「失敗してもチャンスは与える。」は「鉄拳制裁」の目的じゃないかなーと思いました。

「わしは、お前を殴るけど、これは『次は頑張れよ!』という激励なんじゃ!だから殴るんじゃ!」

という星野仙一の言葉が伝わってきますね!!

確かに、星野仙一に殴れるのは嫌ですけど「殴れる理由がわからない奴はプロ失格!!」という捉え方をしろってことでしょうね、きっと。

・・・中田翔あたりにそんな指導をしたら「超一流」に成長出来ますかねぇ・・・(期待)

日ハムの中田の成績が今ひとつ!日ハムを背負う若き主砲の今後に期待!

星野仙一 監督 成績

星野仙一の監督の成績は闘将の軌跡!選手に拳と鞭は熱血監督の流儀だ!のまとめ

最後まで読んで頂きありがとうございます。

星野仙一の監督時代でしたが「鉄拳制裁」の裏ではキッチリとチームに勝利をもたらしていましたよね!

ちゃんと「鉄拳制裁」を行う理由も持っていましたから、星野仙一は「信念に忠実」な人間だということがわかりました!

このやり方で結果が出ていなかったら星野仙一は早急に「球界から追放」されていたんじゃないかなーと悪寒が走りましたね・・・

「勝てば官軍」それがプロ野球ですから、結果を出せば「ある程度のことは正義」になることを星野仙一を通して知ることが出来ました!

これからは体に気を付けて、星野仙一氏には治療に専念して頂きたいですね!!