「ほら、西武が強い時に眼鏡をかけた外国人選手居たよね?秋山、清原、なんちゃら、みたいなフレーズでお馴染みの選手なんだけどわかる?」
うん、デストラーデですね、秋山、清原、デストラーデと並んで「AKD砲」なんて呼ばれていましたから、なんとなく記憶にあったのでしょう(汗)
もちろん、デストラーデは眼鏡だけが取り柄の選手では無く、3年連続「本塁打王」を獲得していますから「超打撃特化型選手」と言っても問題無いと私は見ています!
このデストラーデがいたからこそ、90年代前半の「西武黄金時代」があったと私は太鼓判を押しますね!
「んー、そん時の西武は本当に強かったよなぁ。他のパ・リーグのチームがおまけに見えるぐらいの強さだったし、今の西武とは比べ物にならなかったなー」
確かにそうですね、今の西武は例えるなら「東芝」や「シャープ」のような状態になっていると私は思っています(悲)
しかし、今回は現状の西武の話では無く、西武黄金時代にいたデストラーデの活躍をお伝えしますので、とりあえず暗い話はやめましょうか(汗)
活躍もそうですが、デストラーデが現在何をしているのかも気になるところですね。
そういった点も含めて、まずはデストラーデが西武黄金時代に築いた実績を、野球ファンのあなたと一緒に見ていきましょう!
目次
西武デストラーデの成績は黄金時代のチームにどれだけ価値を与えたのか!?
長打力は誤算だったと当時の監督「森祇晶」はつぶやきました・・・
その誤算が西武を支えました!!
そんな嬉しい誤算だったデストラーデの球史を、
- 転機!メジャー時代からプロ1年目
- 最強時代!プロ2年目からプロ4年目の退団まで
をお伝えしていきます。
まずは、メジャー時代の様子から見ていきましょう。
転機!メジャー時代からプロ1年目
西武のスカウトに手を差し伸べてもらいました!
デストラーデはメジャーの「ヤンキース」と「パイレーツ」と2球団渡り歩き、その通算成績は「打率.181、1本、4打点」と2年間の実績とは言え「ショボすぎる」内容でした・・・
そんな成績だった男の「潜在能力」に目を付けた西武のスカウトは、デストラーデと「約3250万円」という、契約金にしては安い額で契約を果たしました(買い物上手)
その結果、デストラーデはプロ1年目(1989年)に83試合の出場にも関わらず「打率.257、32本、81打点」という、私だったら合格点として認める活躍を見せました!
特にホームランに至っては「9.13打席に1本」というペースで「ランディ・バーズ」が54本打った「9.20打席に1本」という数字を超えていたのでした!
私が西武のスカウトだったら「あの眼鏡は日本でも成功しないから無視しよう」と節穴っぷりが発揮されてしまうところでしたね(笑)
デストラーデが「最強選手」と呼ばれるには、いいスタートを切ったプロ1年目だったのではないでしょうか!
最強時代!プロ2年目からプロ4年目の退団まで
デストラーデはとにかくホームランを打ちまくりました!
デストラーデは、プロ2年目(1990年)から3年間は「42本、39本、41本」と1シーズンあたり約40本のホームランを打ち、全て「本塁打王」を獲得しました!
デストラーデの活躍もあり、西武は1990年~1992年で「リーグ優勝3回、日本一3回」という成績を残し「最強チームに最強打者在り!」とデストラーデの存在感も引き立てました!!
絶頂期だったデストラーデは、プロ4年目のオフにメジャーの「マーリンズ」からのオファーに応え、約4億4000万円(当時のレート)の2年契約で、西武を去ることになりました(悲)
私はデストラーデがアメリカに戻りたいという気持ちは尊重しますし、日本で実績を掴めたので「もう一度メジャーで挑戦するか!」という思いが生まれたのでしょう。
しかし、メジャーは出戻り選手が活躍出来るような「甘い」環境でないことは私も知っていますし、日本で70本ぐらいホームランを打たないとそれなりの活躍は難しいんじゃないでしょうか・・・(汗)
結果、デストラーデがメジャーに戻って、西武時代と同じ活躍をすることは出来ず、何故か1995年にまた西武に戻ってくるのでした(驚)
デストラーデがメジャーに移籍した理由は「地元フロリダの球団だったから」ということでしたが、生まれ育った場所に帰りたいという気持ちは、野球選手に限らず誰もが持っている「純粋」な気持ちですよね。
そんな純粋だったデストラーデですが、何故「純粋にすげーな」という成績を西武時代に残すことが出来たのでしょうか!
私はその秘密を知ることに成功しましたので、野球ファンのあなたにこっそりとお伝えしますので、急がす次の項へお進みください・・・(静)
西武デストラーデの成績はスイッチヒッターと集中力で積み重ねた結果!!
伊達に眼鏡をかけている訳ではない!!
デストラーデと言えば「ミスター・コンセントレーション」と呼ばれ、集中力に長けた選手だったのです!
その上でデストラーデはスイッチヒッターだった訳で、右打者左打者と相手投手に合わせて打席に立つことができました。
しかし、スイッチヒッターは、普通の打者の2倍以上の負担がかかるのではないかと私は見ています。
つまり、スイッチヒッターでホームランを量産する為には、常人の考えられない程の集中力が必要であり、デストラーデはそれを維持することが出来たので、西武の歴史に残る成績を残したと私は思っています!
また、デストラーデの集中力が高いと言われる理由の一つに、
「必ず日本シリーズの初戦の第1打席にホームランを打つ!しかも3年連続で!!」
という驚異的な結果があります!
デストラーデの趣味は、読書やパソコンいじり、映画鑑賞となっており、いかにも「眼鏡をかけた奴の趣味」ですが、この趣味って集中力が無いとなかなか没頭出来ない内容だと私は思っています。
私は昔DVDを借りて「ターミネーター2」「マトリックス」などの名作映画を鑑賞するのが趣味だったのですが、現在は30分観るのが限界となってしまい「集中力が無くなってきている・・・」というのが不安の種になっています(大汗)
デストラーデは、私生活から集中力を養っており、その集中力を最大限に活かすスイッチヒッターを全うし、西武黄金時代を支えた選手だったと私は確信していますよ!!
私のような散漫野郎とは違うデストラーデですが、現在は何をしているんでしょうか。
集中力を使った「ハンドパワー」的な何かをやっている可能性が高いので、果たしてデストラーデに「超能力」があるのか一緒に探っていきましょう!
西武デストラーデの現在は何をしているのか探るしかない!!
FOXスポーツで解説者をやっています!
うーん、私の「超能力者」という予想は外れてしまいましたが、デストラーデのこれまでの経験が活かされる職に就いていて安心しました(笑)
実際にデストラーデの実況を聞いたことがない(聞いても分からない)ので、現在の仕事っぷりを評価することが出来ませんでしたが、彼は知的なんでそつなくこなしているでしょう(汗)
これはプロ野球あるあるなのですが、野球解説者を経由して監督になっている元プロ野球選手って結構いるので、もしかしたらデストラーデも監督を目指す為に解説者になったのではないかと私は予想しています。
またそれを裏付けるデストラーデの発言があり、実は2015年に来日しておりその際にマスコミのインタビューに応じていました。
インタビューの中でマスコミがデストラーデに対し「自身の将来は?」と質問したところ、
「絶対に日本で監督をやってみたいという気持ちがある。」
という答えを貰いました!
2017年、西武はまだ「黄金時代」には突入していないので「2018年はデストラーデ新監督!!」なんて十分にあり得る話なのではないかと私は予想しています!
上記が本当に実現したら私の「超能力」である「予知」が成功したということで、野球ファンのあなたからお祝いなど頂けると有り難いです!!!!
最後に余計なことを言ってしまいましたが、それ以上に余計だったのは、デストラーデのプロ5年目だったのではないでしょうか。
果たして西武戻ってきたデストラーデの成績はどうだったのか見ていきましょう!
西武デストラーデのプロ5年目は蛇足だったのではないか!?
何しに来たデストラーデ・・・
1992年に一旦西武を退団したデストラーデは、メジャーでの再挑戦に挑みましたが、成績が伸びず2年で終了することになりました・・・(泣)
そこで西武のオーナーが手を差し伸べる形となり、1995年、デストラーデのプロ5年目が始まったのでした!
全盛期のような活躍は難しいけど「打率.250、25本、75打点」ぐらいの活躍はあると期待していた私を含めた野球ファンですが・・・
「打率.245、6本、23打点」という成績で、同年の6月9日に退団してしまいました(驚)
理由は「妻との離婚や子供の養育について話し合う為」という私情にまみれた理由で、西武を去っていったのでした(絶句)
これは、デストラーデに喝ですよ!!喝!!!
こんな理由で西武から居なくなったら、監督なんて一生なれないですよ、本当に!!
いや、私だって鬼じゃないですから、デストラーデが奥さんや子供のことを常に考えているのは分かるんですよ!
でも、そういう「身辺整理」をしてから西武に戻ってくるのが筋なんじゃないですかね・・・
デストラーデが「日本の文化も凄くリスペクトしている。」と言っていましたけど、リスペクトしている割には、道から外れた行動をしてしまったのではないかと、私は大きな声で訴えたいですね。
私が日本人を代表して言いますが、日本人はそういった所、すげー見てますよ!!!
と、デストラーデに激怒してしまいましたが、ここまで言ったら私に呪いをかけてくるんじゃないかと心配しているのです(心配性)
・・・あ!呪いと言えば「デストラーデの呪い」について語らなければなりませんね!
次の項を読んで、呪いにかかる訳ではないので安心して次も読んでくださいね☆
西武デストラーデの呪いとは一体何だ!?
東尾修が悪いのかもしれません・・・
デストラーデの呪いとは、まあ「都市伝説」レベルなので、肩の力を抜いて見てもらいたいのです(笑)
これは、デストラーデのプロ5年目(1995年)の5月9日の対オリックス戦での出来事でした。
この試合は8回裏までに0-9とオリックスに滅多打ちにされた西武だったのですが、当時の監督「東尾修」が「ピッチャー、デストラーデ」となんだかよくわからない交代を行ったのです(謎)
実はデストラーデは高校時代に投手の経験もあり、東尾監督も「ファンサービスの為に出した」ということも合わさって登板することになったのですが、打者1人にヒットを打たれて降板となりました(笑)
本来だったら「オールスター戦でやれよ」と私はケチを付けたくなるのですが、まあギリセーフということで、この件については波乱もなく終了しました。
しかし、1995年の西武の順位は「3位」となり、1990年から続いてきた「連続1位」の記録が途絶えてしまいました・・・
3位となった原因に「デストラーデを登板させたから」という噂が流れ始め、それが「デストラーデの呪い」となったのでしょう(怖)
でも、このくらいの順位で「呪い」とか言っていたら、今の西武の順位は「呪い以上のなにか」に憑りつかれているに違いありません・・・・・(呪縛)
本当にそうであったら、私がお祓いしてやりたいぐらいなんですが、西武からはいくらぐらい貰えるんですかね(金)
・・・・・という「お前の足がのろいのは、呪いがかかっているからだー!!」と同じぐらいの与太話でしたね☆
西武デストラーデの成績と現在を見る!最強チームの最強打者は獅子を超えた!
のまとめ
最後まで読んで頂きありがとうございます。
デストラーデについて見てきましたが、西武での大活躍、監督になりたい思い、それに反する行動があったことを確認することが出来ましたね!
もし、西武の監督になったときは「身辺整理」だけはしっかりとしてくださいね(願い)
日本の大臣じゃないんですから、就任してから色々と問題が出ても西武ファンが許しても私は許しません!!
もしかして、デストラーデが「西武黄金時代」を再建してくれるかもしれないので、私はオレステス・デストラーデ氏を応援していきます!!