「俺はヤクルトにいたペタジーニが印象深くてさぁ~毎年もの凄い成績を残していたような気がするんだけど、どうだったか覚えている?」
そうですね、記憶通りヤクルトのペタジーニは素晴らしい成績を残した素晴らしい助っ人外国人選手でした!
ヤクルト時代(4年間)の通算成績は「打率.321、160本、429打点」という、とんでもなく恐ろしい成績を残しており、当時の「松井秀喜」以上の実力だったのではないかと私は思っています!
「そんなペタジーニが巨人に移籍してしまうんだもんなぁ・・・ヤクルトも高年俸を払いたくないという理由があったからこそ巨人に移籍したんだけど、当時の巨人はペタジーニを使いきれてなかったんだよな・・・」
当時の巨人は「史上最強打線」という「色んな球団から4番を集めてきました打線」を展開しており、そこでペタジーニの良さが埋もれてしまい、巨人での活躍はイマイチだったんですよね(悲)
その後、メジャーに移籍したのですが果たしてペタジーニは活躍出来たのでしょうか!?
また、愛妻家と呼ばれていたペタジーニの現在は奥さんとラブラブなのでしょうか!?
野球ファンのあなたが知りたいことでいっぱいのペタジーニですが、まずはヤクルト時代の成績から一緒に見て、ペタジーニの凄さを再認識しましょうか!
目次
ヤクルトペタジーニの成績は豪打でヤクルトを日本一に導いた!!
ヤクルト史上、最強助っ人ではないでしょうか!
そんな最強助っ人の球史を、
- 豪打のヤクルト時代、プロ1年目からプロ4年目
- 不遇の巨人時代、プロ5年目からプロ6年目のメジャー移籍まで
をお伝えします。
まずは、ヤクルト時代のペタジーニを見ていきましょう。
豪打のヤクルト時代、プロ1年目からプロ4年目
成績と年俸がヤクルトにとっては規格外となってしまいました・・・
ペタジーニのプロ1年目(1999年)の成績は「打率.325、44本、112打点」という内容で、来日1年目の助っ人外国人選手史上初の「打率.300、40本」以上を達成しました!
またペタジーニは、プロ3年目(2001年)に「打率.322、39本、127打点」という成績で「本塁打王」「打点王」に輝き、ヤクルトのリーグ優勝と日本一に大きく貢献しました!
そんなペタジーニですが、プロ4年目(2002年)も「打率.322、41本、94打点」と豪打を発揮しましたが、ひざのケガと「高年俸(約4億5000万円)」がネックとなり、ヤクルトから巨人へ移籍することになりました(泣)
確かに、ヤクルトにとっての4億5000万円は「大金」ということで間違いないですから、ペタジーニは「すげー美人だけど金のかかる恋人」みたいな存在になってしまったのでしょう(汗)
私がヤクルトの球団オーナーの立場になって考えてみると、超好成績も場合によっては、色々と考えさせられますよね・・・(金欠)
不遇の巨人時代、プロ5年目からプロ6年目のメジャー移籍まで
年俸に不釣り合いな成績に変わっていきました・・・
ペタジーニのプロ5年目(2003年)は、年俸「約7億2000万円」という「やりすぎ」な金額を手にしました(大汗)
ひざのケガにより、出場試合も100試合止まりとなりましたが「打率.323、34本、81打点」という好成績を残し、ペタジーニは7億円プレイヤーの意地を見せました!
プロ6年目(2004年)は「清原和博」とペタジーニの守備を一塁手として「併用」することとなり、ペタジーニの出場試合は117試合となり「打率.290、29本、84打点」と自己最低の成績となりました(汗)
この成績をもって巨人はペタジーニの年俸を「3億円」と下方修正しましたが、ペタジーニはこの金額に激怒し、巨人を去りメジャーへ移籍するのでした・・・
うーん、ペタジーニは「守銭奴」かなーと私は思いましたね(笑)
確かに、ひざを悪くしながらも高水準の成績を残していますから、私だってそこは評価したいのですが、7億円プレイヤーとしては見合っていない結果だったと思います。
巨人がドラ息子に小遣いを与えるような感覚で、ペタジーニの年俸を提示してしまったせいで、ペタジーニの金銭感覚がおかしくなってしまったと私は思います(汗)
もしかしたら年俸アップの要求は「ペタジーニの奥さんからの指示」だったのかもしれませんね・・・(笑)
愛する妻の為に頑張ったペタジーニですが、もちろん成績も奥さんへの愛情以上に高いと私は見ていますよ!
特にペタジーニの強みはOPS(出塁率と長打率)なので、その凄さを一緒に見ていきましょうか!
ヤクルトペタジーニの成績はOPS(出塁率と長打率)がもの凄い!!
狭い球場と広い知識を有効活用した結果です!!
ペタジーニの最強の武器と言えばOPSなんですよね!
OPSをあまり聞きなれないあなたへ簡単に説明すると「打者の戦闘力」みたいなものです!
ペタジーニのプロ野球での通算OPSは「1.051」であり、この数値は「.9000」以上あれば「素晴らしい」という最高評価なので、ペタジーニは通算記録で「最高」だと言われているのと同じなのです!
また、ペタジーニの通算OPSの記録ですが、歴代1位の通算記録「1.080」を達成している「王貞治」に次ぐ、第2位の成績となります!!
しかし、王貞治の通算記録は「4000打数以上」という条件があるので、ペタジーニは「2830打数」しかないので「参考記録」という形になります。
参考記録であっても凄い記録を持っているペタジーニですが、この記録を叩き出した秘訣とは一体なんだと思いますか?
・・・うーん、そうですね、確かに「奥さんへの愛情」も関係していると私も思っていますが、それだけでは野球でメシを食っていけないので、ちゃんと考えましょうか(苦笑)
私が代わりにちゃんと考えてみると、ペタジーニが「勤勉」であることとヤクルトの本拠地が「神宮球場」であることが挙げられます!
ペタジーニは、ヤクルト時代にスコアラーから提供される投手データを全て頭に叩き込んでいたと言われています(汗)
上記の知識とペタジーニのパワーとバットコントロールを活かし、狭い面積と低いフェンスの神宮球場でホームランを量産したことが、素晴らしいOPSを残した理由だと私は推測しているのです!
また、巨人時代のペタジーニは東京ドームもホームランが入りやすかったこともあり、ヤクルト時代と同じ手法を取っていたと私は予想しています。
このように「奥さんへの愛情」以上に様々な努力をしていたペタジーニですが、奥さんと結婚するにはどのような努力をしたのか気になりますね(笑)
では、野球ファン「待望」のペタジーニと奥さんの馴れ初めをお伝えしていきますので、しっかりとついて来てくださいね!!!
ヤクルトペタジーニと奥さんの馴れ初めを勝手に紹介するぞ!!
デボラ夫人の存在が、ペタジーニをプロ野球で活躍させたキッカケとなっていました!
ペタジーニは「ミッシェル」という「同年代」の友達がいました。
ある日ペタジーニはミッシェルの家に行くと「母です」とミッシェルの母「デボラ」を紹介されました。
この紹介が「ペタジーニの奥さん」となる「デボラ夫人」が誕生する決定的な出来事となり、4年間もミッシェルに内緒にしながら2人は付き合い、ペタジーニとデボラ夫人は結婚したのです!!
「24歳上」の姉さん女房となったデボラ夫人ですが、ペタジーニがプロ野球でプレイすることが決まった際に、
「野球だけではなく、言葉や習慣を理解し、日本の文化を好きになることが大切。」
という言葉をペタジーニに送ったのです。
この言葉が「愛する人の言葉」としてペタジーニの五臓六腑に染み渡り、驚異的な成績を残すことに成功したと私は見ています!
「年俸アップを要求し過ぎると、オーナーに嫌われるぞ」とは、多分教えてくれなかったデボラ夫人ですが、妻であり「母親」でありという所をペタジーニに見せ付けたのでしょう!
妻の言うことを素直に聞き入れたペタジーニですが、現在もその素直さは続いているのでしょうか。
愛妻家の名に恥じないような結婚生活を送っているのかどうか、私は心配していたので、悪い予感が当たらないことを祈り、次の項へ進んでみましょうか・・・
ヤクルトペタジーニは現在も愛妻家として順風満帆な生活を送っているのか!?
なんと、離婚していました・・・
うーん、悲しいですがこれは仕方のないことですよね(泣)
男女の価値観とは「ラーメンと蕎麦」ぐらい違いがあると私は思っているので、離婚は仕方なかったのではないでしょうか・・・
で、詳しい原因ですが知ることは出来ませんでしたし、野球ファンのあなたも知る必要がないと思っていますので、ここはそっとしておいてあげましょう。
代わりにプロ野球を離れメジャーを目指したペタジーニの話をしましょうか!
ペタジーニはメジャーで鳴かず飛ばずの成績が続き、韓国リーグへと渡り好成績を残したのですが「また高額年俸を要求」して拒否られ、2010年にプロ野球へ帰ってくるのでした・・・
ソフトバンクでの成績はペタジーニの衰えは隠せず「打率.261、10本、41打点」という内容で、1年で退団ということになってしまいました(泣)
その後のペタジーニは、野球での活動をしているのかどうかは探ることが出来ず、私の予想としては故郷のベネズエラで婚活でもしているのではないでしょうか(がんばれ)
ベネズエラの物価はビール1本で「0.1ドル」ぐらいの値段なので、日本でガッポリ稼いだペタジーニは裕福な生活を送っているに違いありません!
物価の安さに惹かれて、ベネズエラに住みたいと思ったそこのあなた!!
やめておきなさい・・・
調べればわかりますよ、アメリカドルを「公式レート」と「闇レート」で換金出来る国なんて、私は絶対にお勧めできません!
逆に、ペタジーニのメジャー挑戦はお勧め出来たのですが、何故メジャーでは鳴かず飛ばずの成績だったのでしょうか。
ベネズエラに住みたいあなたも私と一緒に、ペタジーニのメジャー挑戦失敗の原因を探っていこうじゃありませんか!
ヤクルトペタジーニは何故メジャーで活躍できなかったのか!?
ペタジーニを反面教師として見るのもあり?
2005年、ペタジーニは「レッドソックス」とマイナー契約をし、同年8月にメジャーに昇格しましたが、18試合の成績で「打率.281、1本、9打点」という微妙な結果で、レッドソックスをクビになってしまいます(辛い)
2006年「マリナーズ」とマイナー契約を果たしますが、31試合の成績で「打率.185、1本、2打点」という成績でペタジーニのメジャー挑戦は幕を閉じたのでした・・・
プロ野球であれだけの豪打を披露していたペタジーニがここまで成績にブレーキがかかってしまった一番の要因は「プロ野球に慣れ過ぎた」ことだと私は思っています。
ペタジーニはプロ野球の球速の感覚でメジャーに行ってしまったので、プロ野球よりメジャーのほうがボールが速いという「ギャップ」を克服できなかったと私は予想しています!
また、ペタジーニ自身の「全盛期」が過ぎており、メジャーでの活躍を目指していたのならば、ヤクルトを退団したタイミングでメジャーへ挑戦すべきだったと思いました(汗)
このメジャー挑戦というのは、ペタジーニのような強打者でも厳しい結果となる場合が多いのです!
今後、メジャー挑戦を考えている選手、特に打者ですが、メジャーに挑戦する為の準備を日本でしっかりと行ってから挑戦しないと「イチロー」「松井秀喜」以外の打者のような結果になりますよ!本当ですからね!!!
ヤクルトペタジーニの成績と現在は?野球選手と愛妻家は両立出来たのか!?のまとめ
最後まで読んで頂きありがとうございます。
ペタジーニのこれまでを見てきましたが、成績が素晴らしいことはもちろんでしたが、その成績に見合った年俸を提示してくれる球団に、たどり着くのが遅かったように私は見えました。
しかし、ペタジーニの成績は助っ人外国人選手の中では上位であることは間違いありませんし、一時代のヤクルトには大きな支えとなったことでしょう!
奥さんとの関係は残念な結果となってしまいましたが、プロ野球で得た巨万の富を故郷のベネズエラで思う存分に振舞ってもらい、新しい奥さんを見つけてみてはどうでしょうか!
ロベルト・ペタジーニ氏の幸せを心から応援しております!!