「昔、西武に郭泰源っていう投手がいたと思うんだけど、なんか速球がめちゃくちゃ速くて、キレのある変化球も持っていたっていうのはホントの話なの?」
はい、本当の話であり「西武黄金時代」を支えてきた「最強投手陣」の一員であるのが郭泰源なのです!!
郭泰源の持ち味と言えば、156km/hの速球とキレのあるシュートとスライダーであり、この三球種を中心に勝ち星を重ね、毎シーズン高い勝率を収めてきました!
もし、郭泰源が西武にいなかったら黄金時代は成り立っていなかった可能性が十分にある程、重要な投手だったのです!
「ずいぶんベタ褒めだけど、郭泰源は優秀な成績の反面、ケガばっかりしていたみたいだから、実際の選手生命は短かったんじゃねーの?」
確かに郭泰源はケガばかりしていましたが、ケガが原因でプロ野球を去ることはせずに、なんと「13年」も西武一筋で活躍し、「助っ人外国人投手」としては歴代1位の勝利数を飾っています!
現役時代はバリバリ活躍していた郭泰源ですが、現在でも野球に携わっており、指導者という肩書きでも活躍しています。
そんな華やかな人生を送っている郭泰源のこれまでを、野球ファンのあなたと私で追ってみるのはどうでしょうか!?
・・・ええ、もちろん賛同してくれると思いましたので、まずは郭泰源の現役時代からチェックしていきましょう!!
目次
西武郭泰源の成績は西武最強投手陣の一角を担う結果だった!!
プロ野球生活13年の記録は、西武の歴史に刻まれました!
そんなスーパースターだった郭泰源の球史を、
- メジャーからも注目されたアマチュア時代
- 期待に恥じぬ活躍の西武時代
でお送りしていきます。
まずは、アマチュア時代の郭泰源を見ていきましょう
メジャーからも注目されたアマチュア時代
プロ入り前から注目されていました!
プロ入り前の郭泰源は1983年に台湾代表として、日本代表との「ロサンゼルスオリンピックアジア地区代表決定戦」で「9回2安打1四球の完封勝ち」を収め、世界各国のスカウトの注目を集めました!
プロ野球の球団はもちろんでしたが、メジャーからは「カージナルス」「メッツ」「ドジャース」などが獲得に意欲を見せていました(凄い)
また、1984年の「ロサンゼルスオリンピック」にはチャイニーズタイペイ代表として出場し、予選リーグの対アメリカ戦では最速158km/hを投げたことにより、郭泰源の凄味が増すことになりました!
その後、郭泰源は西武へ入団が決まり、プロ野球での活躍を期待されるのでした!
凄いですね、158km/hを出すなんて当時の「アジア人投手最速」なんじゃないですかね(汗)
プロ入り前からポテンシャルが非常に高かった郭泰源ですから、「台湾の英雄」として西武に入団したのではないかと私は思っています。
期待に恥じぬ活躍の西武時代
13年通して、出来る限り勝ちを提供し続けました!
郭泰源は、プロ1年目(1985年)から西武の先発投手として活躍見せ、シーズン途中に「肩のケガ」があり、登板数が減ったものの「9勝5敗、防御率2.52」という期待通りの活躍を見せました!
その後の郭泰源は、プロ4年目(1988年)で「13勝3敗、防御率2.41」、プロ10年目(1994年)で「13勝5敗、防御率4.98」に筆頭されるように、毎シーズン高い勝率を残してきました!
しかしプロ12年目(1996年)になると、ケガの影響と自身の衰えもあり「0勝6敗、防御率7.39」という勝ちを提供出来ない結果となってしまい、翌年の13年目(1997年)を最後に「現役引退」を決めました(泣)
郭泰源の成績で凄いのは、プロ3年目からプロ11年目の9年間は「負け越したことがない」というところですね!
郭泰源が多くの勝利数を生んだ背景には、当時の西武が強かったことが挙げられます。
しかし、打者だって投手がしっかりしていないと「点を取りに行く意欲」が薄れてしまいますら、郭泰源の投球術もしっかりと西武の勝利数に貢献したと私は見ています!
アマチュア時代から注目されていた郭泰源が、13年間の西武時代で残した成績は「期待以上」の内容だったのではないでしょうか。
普通の助っ人投手だったら、3、4年投げ続ければいい方ですが、郭泰源はそれを上回る13年という長い間西武一筋で全うしたのです!
その結果が、通算成績「117勝68敗18セーブ、防御率3.16」という内容であり、13年間「助っ人」として投げ続けた郭泰源しか残すことが出来ない成績ではないかと私は思っています!
西武に勝ちという価値を提供し続けた郭泰源ですが、どんな投球術で勝ちを重ねていったのか気になりますよね。
郭泰源の持ち味を全てぶつけるつもりで、野球ファンのあなたにお伝えするので、私の「豪速球」を受け取ってください!!
西武郭泰源の成績はオリエンタル・エクスプレスの名に恥じぬ投球術だ!!
速球、制球、変化球と投手に必要なものを全て備えていました!
郭泰源と言えば「オリエンタル・エクスプレス」という異名を持つ、速球派の投手として知られていますが、もちろん速球だけで結果を残してきた訳ではありません!
プロ時代最速156km/hを叩き出していた速球に、低めへのコントロールが加わっているので郭泰源は投手として大成したのです!
低めにボールを投げることによって長打を防ぎ、打者も飛ばないと分かっているのでなかなか手を出してきません。
そういった「きわどい」所にコントロール出来るのが、郭泰源の最大の武器であると私は見ています!
また、郭泰源の変化球のキレも一級品であり、特に「シュート」を一番得意の球種としており、調子の良い時のシュートはほとんど打たれなかったと言われていました!
シュートの他にも、速球と間違えるような速さの「スライダー」も使用しており、郭泰源は左右の変化球を低めにバンバン決めて、相手打者を翻弄していきました!
こうやって郭泰源を見直すと「恐ろしい投手」ですね・・・(汗)
私の言葉だけでイメージが出来ないそこのあなた!!
郭泰源は「コントロールがいい、全盛期の松坂大輔」とイメージしてもらうといいかもしれません。
そうイメージすることで「手の付けられない感じ」が伝わってくる、と私は自信を持って言いますよ!!
そして「三冠王を3回」も獲得しているあの落合博満に、
「あのストレートとスライダーは同じ球速でくるから、あれは打てない!」
と言わしめる程の逸材なのが、郭泰源なのです!!!
と、べた褒めし続けましたが、そんな調子で現在の郭泰源は指導者としても成功しているに違いありませんね!
成功者、郭泰源の華麗なる現在に私と一緒に飛び込んでいきましょうか!
西武郭泰源の現在は野球人の指導者として歩み続けている!!
指導者としてはまだ大成していないのです・・・
郭泰源の現在は、台湾球界の「富邦(ふーばん)ガーディアンズの「顧問」をやっているみたいです。
私の顧問のイメージは、選手に直接アドバイスとかいう訳ではなく、監督やコーチにアドバイスするような感じだと思っています(汗)
そんな肩書きを貰った郭泰源ですが、実はそれまでの指導者としての成績はイマイチな内容が多かったのです・・・
2007年には「北京オリンピック」の台湾代表監督して手腕を振るいましたが「予選落ち」となってしまい、2013年にはソフトバンクの一軍投手コーチとなりましたが「チーム防御率4.14」という成績を残してしまいました・・・
また、2016年には台湾球界の「統一セブンイレブン・ライオンズ」の監督に就任しましたが、就任1年目でクビになってしまうような成績を残してしまったのです(悲)
こうして指導者しての郭泰源の成績を見ると、やはりイマイチであることは郭泰源ファンのあなたでもわかってくれるはずです!
では、ここで野球ファンと郭泰源ファンのあなたに質問ですが、郭泰源が指導者として活躍する為にはどうしたらいいと思いますか?
・・・うーん、なかなか難しい質問だったので、私から「一刀両断」の答えをお伝えしましょう!
指導者には「縁」が無かったと思い、今後は「顧問」という立場で身を固めていった方がいいと私は箴言(しんげん)します!!!
西武で活躍しまくった郭泰源とはいえ「見切り」は必要ですから、結果が出ないものに無理して固執する必要はないと私は思います!!
と、前項と比べると辛辣なまとめになってしまいましたが、次はもう一度栄光の「西武時代」を振り返って見ましょうか(汗)
西武時代、やけにケガが多かった郭泰源ですが、どれだけケガをしていたのか振り返り、なぜそんな状態の郭泰源がしっかりと成績を残すことができたのか、ちゃんと確認していきましょう!
西武郭泰源のプロ野球生活はケガと隣り合わせだった・・・!!
本当にケガに泣かされました・・・
郭泰源は公害にやられていないのにも関わらず、ケガの多さから「イタイイタイ病」とヤジられることが多かったそうです(痛)
実際にケガが多かったので、郭泰源のケガ年表をまとめてみましたのでご覧ください。
- プロ1年目(1985年)、肩を痛め2年目には一旦抑えに転向する
- プロ4年目(1988年)、夏場にひじを痛めるが「最高勝率」を獲得する
- プロ6年目(1990年)、肩とひじを痛める
- プロ8年目(1992年)、腰痛によりオールスター戦辞退
- プロ11年目(1995年)、シーズン終盤に右手首を痛め、その後衰退のキッカケとなる
投手で大事な所、全部やられていますよね(笑)
まず、1年目の肩のケガですが「原因不明」とされており、私は単純に「投球による肩の酷使」が原因ではないかと思っています(汗)
そして注目してもらいたいケガは、4年目の「最高勝率(.813)」を獲得した時なんですが、私はこの年にケガをしなければ「20勝5敗」という成績を残せたのではないかと思っています!
郭泰源はケガに対して、オフシーズンに当時のチームメイト「森繁和」と一緒に台湾へ行き、漢方薬や温泉などで対策を取っていました。
森繁和の監督としての成績は優秀か!?中日を下位から上位へ昇竜させろ!
また郭泰源の普段の練習は、昔ならではの「死ぬまでやる」みたいな練習法は取っておらず、なるべく体に負担をかけないような練習内容だったそうです。
ここまでやっておいて、ケガをしてしまう郭泰源は本当に「イタイイタイ病」という病魔に侵されていたのかもしれません・・・
当時の西武監督「森祇晶」も、
「彼に肩やひじの不安がなかったら、今以上に歴史に名を残す投手になっていたでしょう」
と言っていたぐらいですから、本当にケガが郭泰源の球史の足かせになっていたのですね・・・
しかしケガの多さに対して、郭泰源は「勝ち星」も多かったのではないかと私は思っています。
ケガをしても郭泰源の通算成績は勝ち越しを決めているので、その要因を私の独自目線で解明していきましょう!!
西武郭泰源の成績が勝ち運に恵まれた理由とは!?
ケガを使って独自の方法で体を休めていた!?
郭泰源が所属していた時代の西武は「黄金時代」と呼ばれていたので、投手野手共々、球界最強といっても問題ない強さでした。
その中で郭泰源が、多くのケガをしながらも勝ちに恵まれた要因は、「西武打線が強いから援護してもらった」という理由に行きつくと私は思っています(汗)
しかし、ここで郭泰源の勝ちに関する調査を打ち切る訳にはいかず、私はもう少し色々と調べてみたらあることがわかりました!
これは「プロ8年目(1992年)、腰痛によりオールスター戦辞退」と前項の郭泰源ケガ年表でお伝えしたのですが、実はこの「腰痛」に関して「仮病では無いか?」と憶測が飛んでいるのです!
しかもこの件を謝罪するかのように、オールスター終了後の試合から「10試合」郭泰源をベンチから外しているのです!
これは、郭泰源の仮病は「本当」だった!
と言っているのと同じだと私は受け取りました!!
そうなると、他のケガに関しても実は・・・
「ケガなのか微妙な所だけど、無理せず休ませてもらおうかなー」
という考えが郭泰源にあったのではないかと私は予想しています!!
この為、郭泰源は体の負担を少なくし、大きく崩れることなくコンスタントに勝ちを刻んでいったのではないかという仮説を立てることができました!
この考え方が「その通り!!」または「嘘中の嘘」と意見が分かれると思いますので、あとの判断は野球ファンのあなたに託しますので、野球議論のネタとして使ってみてください!!
西武郭泰源の成績と現在を追跡!13年のプロ生活は最強助っ人投手の証だ!!のまとめ
最後まで読んで頂きありがとうございます。
郭泰源の成績を振り返ると、本当にケガをしていなかったら、球史に残る結果を叩き出していたんじゃないのか、と悔やむばかりでしたね。
また、厳しいようですが指導者としては芽を出すのが難しいと判断したので、今後は陰ながら野球界を支えていった方がいいと私は思いました(辛辣)
それでも郭泰源は「台湾の英雄」であることには変わりないし、現役時代の栄光が廃れる訳でもないので、郭泰源の功績は今後も語り継がれると私は確信しております!
郭泰源氏の人生に今後はケガがないことをお祈りしています!!