「やっぱり安打製造機って言ったら張本勲が出てくるよな。日本人選手で唯一の『3000本安打』を達成した男だから褒め称えるしかないけど、サンデーモーニングの件があるからなぁ・・・」

まあ、サンデーモーニングの張本勲については別の機会でたっぷりとお伝えしますので、今回は「成績」だけに注目していきましょう(汗)

張本勲と言えば「安打数」ですが、なんと「首位打者」を7回も獲得しており、この記録は「プロ野球歴代1位タイ(イチローも7回)」となっているのです!!

また、盗塁数も通算「300盗塁」を記録しており、張本勲は「走功」揃った選手でもあったのです!

しかし守備については「ざる」状態だったので、張本勲の守備には誰も期待していなかったみたいですね・・・(泣)

「喝だよ!喝ッ!!守備は重要でしょ!?張本勲の守備位置は、相手からしたらラッキーゾーンみたいなもんじゃん!!・・・あ、でもパ・リーグにはDH制があったか・・・」

そうなんですよ!!・・・と言いたいところですが、実はDH制がパ・リーグに導入されたのは「1975年」からなので「1959年」にプロ入りした張本勲にとっては、遅かった出来事だったのです(笑)

張本勲の守備は「喝!!」でしたが、それ以外では歴代に名を連ねるような記録を結構もっていますから私からは「あっぱれ!」を与えてあげたいと思います!

では、張本勲の「あっぱれ!」だった成績を野球ファンのあなたと一緒に振り返っていきましょう!

また、張本勲の守備ついても触れていきますので「喝!!」を入れるチャンスはこれから出てきますから、是非、ご期待ください!!(笑)

張本勲の現役の成績は主に東映で築き上げた規格外の結果だった!!

「打率も残せ、ホームランも打て、盗塁もできる完璧な打者を目指せ!」を忠実に守りました!

その言葉が「安打製造機」完成の元となっていた張本勲の成績を、

  • 安打の稼ぎ場となった東映時代!プロ1年目から17年目まで
  • 憧れの巨人と3000本安打のロッテ時代!プロ18年目から23年目

の2つでお伝えします。

まずは、東映フライヤーズ時代の張本勲を見ていきましょう!

安打の稼ぎ場となった東映時代!プロ1年目から17年目まで

7回の首位打者は張本勲とイチローだけ!!

高卒ルーキー張本勲のプロ1年目(1959年)は、コーチの教えにより「猛練習」を行い、新人ながら4番も務め「打率.275、13本、57打点」を記録し、東映の初めてのAクラス入り(3位)に貢献しました。

2年目には既に「打率.302」を記録し、3年目には「打率.336」で「首位打者」を獲得して、張本勲はこの時から「安打製造機」の片鱗を見せ付けていたのでした!

その後も常に高打率を維持し、特にプロ9年目(1967年)~12年目(1970年)は「4年連続首位打者」を達成し、12年目の成績は「打率.383、34本、100打点」という圧倒的な打率を張本勲は収めました!

そして、プロ14年(1972年)に張本勲は「2000本安打」を達成し、名実ともに「安打製造機」となることが出来たのです!!(ついでに首位打者も獲得)

その後張本勲はプロ16年目にも「首位打者」となりますが、17年目を最後に「球団フロントと揉めて」チームを離れることとなりました・・・

張本勲の安打数は新人時代から「毎年100安打以上」打っており、また「毎年100試合以上」出場していたので「規格外の技術力と丈夫さ」が合致した選手なのです!

張本勲は中途半端な選手にはよく「喝!!」を入れていたので、自分の現役時代と照らし合わせると「今のプロ野球は手ぬるい」と思っているのでしょう・・・

憧れの巨人と3000本安打のロッテ時代!プロ18年目から23年目

ついに3000本安打を達成しました!!

プロ18年目(1976年)に張本勲は、昔からの憧れだった巨人に移籍することが出来ました!

18年目は「打率.355」で「最多安打」を獲得し、19年目は「.348」と張本勲は高打率を残しましたが、1位の選手とは僅差で両年とも「首位打者」を逃してしまいました(惜)

また、プロ21年目(1979年)には流石に衰えを隠せず張本勲は「打率.263、8本、32打点」という成績だったので、シーズンオフにはロッテに放出されてしまいました(泣)

プロ22年目の1980年5月28日に張本勲はプロ野球初の「3000本安打」を達成し、翌年の23年目には「現役引退」となり、最後の安打は「森繁和」から打つこととなりました!

森繁和の監督としての成績は優秀か!?中日を下位から上位へ昇竜させろ!

現役23年での張本勲の通算安打数は「3085本」であり、もちろん「あっぱれ!」ですが、この数字は「794うぐいす平安京」と同じぐらい覚えられている数字だと私は思っております!!

また、40歳近い年齢でも「最多安打」と「首位打者並みの打率」を残していた張本勲は、野球ファンが思っている以上の「安打製造機」であり、その偉業はまさしく「あっぱれ!」です!!

張本勲の現役時代を見てきましたが、とにかく「打率を高水準を維持」しており、年齢による衰え以外では「大きなスランプ」などは見当たりませんでしたね・・・(凄すぎ)

それだけ張本勲は、毎日素振りをして「絶対的な自信をつけていた」ということだと思いますが、次はその自信の軸となっていた打撃について見ていきましょう!

張本勲が見せ付けていた「スプレー打法」とは、一体どんな必殺技なのでしょうか!?

張本勲 現役 成績

張本勲の現役の成績はスプレー打法で左右に安打をバラ撒いた!!

3085安打以外にもまだ偉大なる記録を持っています!!

そして、打撃に対する執念も感じて欲しいのです!!

張本勲は「レベルスイング」と呼ばれるバットを水平にするスイングで、左右に打ち分ける打撃が非常に得意で、その様を「スプレー打法」と呼ばれ、左右の広範囲に安打を打つことからそう呼ばれていました!

張本勲はこの打法を使い「通算猛打賞歴代1位(251回)」「両リーグで打率.350以上を達成(張本のみ)」と、3085安打に匹敵するぐらいの記録を叩き出していました!

さらに張本勲は「通算成績でトリプルスリー(3割300本塁打300盗塁)」を達成しており、トリプルスリーといえば「山田哲人」なので、通算でも達成するとカッコいいなーと私は思いました。

(※ただし、張本勲自身はシーズン中のトリプルスリーは一度も達成していない)

ヤクルトの山田の成績が凄すぎ!トリプルスリーだけじゃない山田の実力!

私は張本勲の偉大なる記録はもっとあると思い、調べてみると「打撃妨害」という成績に辿り着きました。

これは「捕手のミットが打者のバットに当たってしまうと、打者が一塁に進める(四球と同じ扱い)」ということなんですが、張本勲は通算で「10回」も記録していたのです!

打撃妨害10回なんて記録は「狙って」やらないと増えていかないですから、張本勲はどうしても出塁したい場合は・・・

「バッターボックスの一番後ろまで下がって、捕手が捕球する為にミットを出すタイミングでバットをスイング!!」

という具合だったのでしょう・・・

ほぼ「反則」だと私は思いますが「昔ならではの裏技」を、張本勲は己の執念の為に使いこなしていたと見ています!

張本勲は「天才的な打撃センス」と「反則しても塁に出てやる精神」で、プロ野球界を勝ち残って来た「悪魔的」選手だったのです!!

デビル張本勲ですが、安打以外にも「本塁打数」だってガッチリ稼いでいたはずです!!

その真実は、私とあなたで見るしかないんじゃないでしょうか!?

張本勲の現役の成績は安打数だけでは無く本塁打数にも注目すべきだ!!

張本勲の本塁打の裏側には「立ち小便」が関係していた!

張本勲の通算本塁打は「504本」となっており「歴代7位」の記録を持っています。

これだけでも「あっぱれ!」なのですが「通算500本塁打の300盗塁」を達成したのは「張本勲のみ!」となっているのです!!

打って走れる張本勲ですが、この打撃の極意は「雨の日の立ち小便」ということだったらしいのです(?)

打席でおしっこする訳では無く「リラックスした姿勢で打席に立つ」という意味で張本勲は言ったらしく、私は打つ瞬間だけ「全力を出せば問題無い」ということだと解釈しました。

また、張本勲は睡眠時間を削ってまでも素振りをしていたらしく、毎日「午前3時、4時」に起きてブンブン素振りをしていたのです!

こうすることによって張本勲の中にある不安を取り除き、万全の精神状態で試合に臨めるといった効果を得ていたのでした!!

私も「午前3時、4時」ぐらいまで起きてスマホをイジってますが、やっぱり生きているうちは「不安」との戦いって続くものですよ!

なので、私は不安を取り除くために「アレックス・カブレラのホームラン集」の動画を見て心を癒していたりしています・・・

アレックス・カブレラの成績と現在に刮目!超長打力を持つ男の野球道とは?

私はスマホ依存症ですが、張本勲は「野球依存症」だったからこそ、歴代の成績に名を連ねる大打者となったと私は断言しますよ!!

・・・ここまで張本勲の「いいところ」ばかり見てきましたが、お待ちかねの「喝!!」を入れるコーナーに差し掛かりましたので、期待して次の項へ進みましょうか!!

張本勲 現役 成績

張本勲の現役の成績は「守備でも安打製造機」だった!?

野村克也「張本はバッティングだけにしか興味がない。」

張本勲は打撃は「超一流」なんですが、その反動というかツケというか・・・守備(主に外野のレフト)に関しては全然ダメだったらしく「野村克也」が、

「守備なんていないと同然」

と言われてしまう程の「ザル守備」だったみたいですね・・・張本勲は。

張本勲がヘタクソな守備になってしまった原因の一つに「幼少期の手のヤケド」と「高校時代の左肩の故障」が原因だと言われています。

しかし、東映時代は「普通」の守備だったらしく、張本勲の守備が本当に劣化してしまったのは巨人時代だったのです!

巨人ファンからは「守っても安打製造機」と、守備が下手で相手打者に安打を献上してしまうというヤジですが、1976年のシーズン中に張本勲は「7エラー」もしてしまい、ヤジは「事実」となってしまいました・・・

私がイメージしている張本勲の守備は、巨人時代の「アレックス・ラミレス」みたいな感じだったんだと思います(自分の中ではラッキーゾーンだと思っていた)

アレックス・ラミレス監督なら優勝出来る!チームの希望の星はあなただけ!

私はサンデーモーニングの張本勲を見ていると「イチローには負けねーぞ!」オーラが伝わってきますが「守備では完敗しているよ・・・喝ッ!!!!」と感じており、野球ファンのあなたはどう感じていますか?

では、守備ではダメでしたが俳優としての張本勲はどんな感じだったのでしょうか?

俳優としてもヒットをバンバン打っていったのでしょうか!?

張本勲は現役時代に俳優デビューを達成していた!!

広島育ちだったからこその、出演作品でしょう・・・

張本勲は現役時代に俳優デビューを成し遂げており、1966年に球団の親会社「東映」作品の映画「地獄の野良犬」が代表作となり、他の映画には何本か出演していました。

また、俳優の「菅原文太」には「仁義なき戦い」に出演する為に、張本勲が広島弁の指導を行ったとも言われています!!

張本勲は現役引退後も「やくざ映画」を中心に、あなたが思っている以上の作品に出演しており、俳優としてもバンバン飛ばしていたのです!(ヒット作の有無は不明)

張本勲は広島で育っており、昔の広島と言えば「やくざ」なので、張本勲は幼少期からやくざに興味があったと噂されています。

ということで、張本勲は「やくざ映画」ばかり出演するようになったのではないかと私は予想しています!

まあいいんじゃないですか、やくざを「演じる」だけなんで。

昔のプロ野球選手なんて「チンピラ」みたいな人沢山いましたからね・・・

あの「長嶋茂雄」も現役時代は見方を変えれば「仁義なき戦いの菅原文太」みたいな感じでしたから、現代のようにやくざに抵抗がある世の中ではなかったのでしょう・・・

長嶋茂雄の現役の成績が凄い!計算不能な打撃センスと長嶋語録を徹底紹介!

現在の張本勲は見ようによっては「やくざの最高顧問」みたいな風貌なので、俳優時代は結構「サマ」になっていたんじゃないでしょうかね?

(・・・しかし「地獄の野良犬」って作品は聞いたことねぇなぁ)

張本勲 現役 成績

張本勲の現役の成績はあっぱれ!でも安打製造機の粗を探して喝も入れたい!のまとめ

最後まで読んで頂きありがとうございます。

張本勲の現役時代を見てきましたが「プロ野球界の5本の指に入る打者」だったんじゃないかと私は思っています!

まあ、人に「喝ッ!!」っていうだけの成績は残してきましたが、最近の張本勲の発言は物議を醸しているらしいので、ちょっと心配ですね・・・

その心配については、次回「張本勲とサンデーモーニング」でしっかりとお伝えしますのでご期待ください(笑)

そして、張本勲が残した「通算3085安打」を始めとする偉業の数々は、これからもずっと語り継がれていくことでしょう!!