「これまで阪神には色々な助っ人外国人が入団してきたけど、やっぱりバースを超える選手はまだ現れていないよね。」
その通りです、ランディ・バースは阪神の中で「最強助っ人外国人」と言っても申し分ない選手ですからね!
ランディ・バースは「最強」の名にふさわしい成績を残し、「2年連続三冠王獲得」を達成し、「1985年の阪神の日本一」に貢献しました!
また、ランディ・バースのお陰で阪神が日本一になった際は、どのくらいの阪神ファンが道頓堀に飛び込んだのでしょうか(笑)
「そうだよな、バースのおかげで阪神ファンが道頓堀に飛び込むようになったんだから。そのおかげで警察は大変だけど、阪神は『バース様ありがとうございます』って感じなんだろうなぁ。」
確かに阪神はランディ・バースに感謝するべきだったんですが、実は円満退団とはいなかったみたいですね(悲)
また、それが原因かどうかは不明ですが、2017年現在ランディ・バースは野球とは関係無い、とある職に就いているみたいです。
もし、ランディ・バースがいなかったら阪神は「絶対」に日本一は取っていませんし、ランディ・バースは阪神タイガースが消滅するまで「称え続けるべき存在」なのです!
私がその称賛に値するランディ・バースの活躍を、野球ファン及び阪神ファンのあなたにお伝えしていきますよ!
まずは、阪神を日本一に導いたランディ・バースの成績から見ていきましょう!
目次
ランディ・バースの成績は阪神を日本一にさせる為の絶対条件だった!!
果たしてランディ・バースを超える助っ人外国人選手は現れるのでしょうか・・・
そんな「唯一無二」の存在であるランディ・バースの経歴を
- 実はクビ候補だった、プロ1年目からプロ2年目
- 三冠王と日本一、プロ3年目からプロ4年目
- 衰えは見えなかった、プロ5年目から6年目の現役引退
の3つでお伝えしていきます。
まずは、ランディ・バースのプロ1年目からプロ2年目を見ていきましょう。
実はクビ候補だった、プロ1年目からプロ2年目
守備力の低さが仇となりました・・・
ランディ・バースは、プロ1年目(1983年)で「打率.288、35本、88打点」2年目(1984年)には「打率.326、27本、73打点」と両年で好成績を残しました。
その成績に反して、阪神の首脳陣は「新しい外国人投手を獲得したいし、バースは守備がヘタだから、クビにするか?」みたいな「判断を見誤っている」判断を取ろうとしていました(恐)
しかし、首脳陣の最終的な判断は「バースは人格者だし、監督も使いたいと言っていたから、クビは見送ろう」と賢明な判断をしました(偉い)
もし、これで本当にランディ・バースをクビにしていたら、本当に阪神は「ダメ虎」として後世まで語り継がれることになってましたよ(笑)
逆に、上記のような成績を出していたランディ・バースを、クビ候補までにしてしまう守備とは一体どんなものか見てみたかった部分はありますね・・・
三冠王と日本一、プロ3年目からプロ4年目
ランディ・バースの年と言っても問題ありません!!
プロ3年目(1985年)の4月上旬、バースは打率.100台と調子が上がらず、4月17日の巨人戦を迎えました。
この試合であの伝説の「バックスクリーン3連発」が誕生し、ランディ・バースはこの試合のホームランを機に一気に成績を上げていきます!
ランディ・バースの成績は上へ向かって加速していき、それと並行して阪神の勝利数も増え、最終的に阪神は初の「日本一」を達成しました!!
また、ランディ・バースの成績は「打率.350、54本、134打点」という驚異の数値で「三冠王」を獲得し、プロ4年目(1986年)も「打率.389、47本、109打点」で2度目の三冠王を獲得しました!!
いやー凄いですね、1985年は本当にランディ・バースがいなかったら、阪神はBクラス辺りにいたんじゃないでしょうか(笑)
このバースの牽引力を他の選手に例えると「オリックス時代のイチロー」「巨人時代の松井」などが挙げられますね。
衰えは見えなかった、プロ5年目から6年目の現役引退
あまりにも、無情な判断でした・・・
ランディ・バースのプロ5年目(1987年)の成績は「打率.320、37本、79打点」と三冠王達獲得時と比較すると若干見劣りしますが、それでも好成績ということには変わりありませんよね。
このいい流れでランディ・バースのプロ6年目(1988年)が始まったのですが、出場試合は22試合止まりとなり、阪神を退団することになりました・・・
退団の原因は、阪神がランディ・バースの息子の治療費を支払うと契約していたにもかからわず、阪神側が支払いを拒否し、それに不服を申し立てたランディ・バースを「解雇」したからです(無情)
うーん、酷いですね・・・私がランディ・バースだったら暴れまわりますね(凶暴)
この件の詳細に関しては先の項でお伝えしますので、こちらも合わせて読んでみてください。
阪神に大貢献したランディ・バースですが「金の問題」で無情な解雇を突き付けることになってしまいました。
もしランディ・バースが「外国人じゃなかったら・・・」と考えてしまう結果でしたね(悲)
でも、ランディ・バースが残した記録というのは今後語り継がれるものですし、阪神とのトラブルも含めて、風化させないようするのが私たち野球ファンの使命だと思っています!
そんな偉大な記録の持ち主であるランディ・バースですが、実はホームラン以外の成績も凄いことはご存知ですよね。
では、その記録をどうやって出したのかを確認する為、ランディ・バースの打撃スタイルを一緒に見ていきましょうか!
ランディ・バースはパワーだけの典型的なホームランバッターではない!!
日本の野球に順応したいという気持ちから生まれた結果!
ランディ・バースの日本での通算打率は「.334」と2000打数以上で2位の成績となりました!
また、ランディ・バースは1986年に「.389」という「プロ野球最高記録」の打率も記録しました!
上記の打率を残せるランディ・バースの打撃の秘訣は「左右に打ち分けること」だと私は思っています!
ランディ・バースは、「掛布雅之」に「甲子園の強い浜風に対抗する打撃を教えてくれ!」と話を持ち掛け、掛布はランディ・バースに「流し打ち(自分の打席と逆方向へ打つこと)」を伝授しました。
元々研究熱心だったランディ・バースは、ものの見事に流し打ちを習得し、甲子園や他の球場で風が左方向に吹いている場合は、レフト方向へのヒットやホームランを量産していきました!
また、メジャー時代に「ニューヨークからロスまで飛ばす男」と呼ばれていたランディ・バースのパワーが流し打ちと合わさり、逆方向への打球でも勢いが落ちることなく、打球の多くがホームランに繋がったと私は見ています。
こうやって、左右に打ち分ける打撃をする外国人選手は、ランディ・バースと元横浜の「ロバート・ローズ」ぐらいしか思い出せません。
それだけ外国人選手が、思いっ切り力任せに引っ張る打球が多いということですよね。
その中でランディ・バースは掛布から伝授された流し打ちを上手く使い、イチローでも達成出来なかった「.389」という打率を記録出来たのでしょう(凄い)
ランディ・バースは「力だけでは勝てない」と日本の野球に溶け込もうとして、掛布からアドバイスを受けたことを見ると「プロ野球(日本)での活躍」を常に考えていたのでしょうね(偉い)
そんな考えも阪神にうやむやにされてしまったランディ・バースですが、プロ野球を辞めて母国アメリカに戻って、現在、何の仕事に就いたのかご存知でしょうか。
これは意外な職だったので、野球ファンのあなたにいち早くお伝えしなければなりませんね!
ランディ・バースの現在は意外な職に就いていたことが判明!!
政治家として活躍しています!!
ランディ・バースの数奇な人生とは「プロ野球選手から政治家に転向した」ということだったんですね!
ランディ・バースは2004年から「オクラホマ州議会上院議員」として政治家に転向し、2017年で13年目に突入しています。
ランディ・バースの政治家としての活動は「農業と野生動物の問題」や「退役軍人および軍事問題」などの解決に取り掛かっています。
プロ野球の経歴が6年で、政治家としてが13年以上ですからね、ランディ・バースって野球センスより「知力」の方が高かったんじゃないかと私は感じました(汗)
ランディ・バースは他の助っ人外国人選手より「知力」があったからこそ、歴史に残る成績を達成出来たんじゃないですかね。
ランディ・バースの知力が目立った、とあるプロ野球の試合の話なんですが、ランディ・バースが打席に立ち、2球連続で空振りしてしまうんですよ。
これで相手投手は「なんだ、今日のバースは調子が悪そうだから、さっきと同じ球で問題ないな」と思い、空振りしたボールを同じように投げたんですよね。
そしたらランディ・バースがその球をホームランにしてしまったのです!!
要は、ランディ・バースは調子の悪いように演技をし、相手投手を油断させて、同じボールを投げさせる作戦を行ったと私は思っています!
流石、政治家になるような選手の行いは一味違いますね(笑)
以上のことから、ランディ・バースはプロ野球選手時代から「政治家の素質」がある人物だったんじゃないかと私は「オクラホマ州議会」に伝えたいですね!
しかし、ランディ・バースが政治家に転向した理由は、阪神が見放したことも関係していると私は思っています。
では、阪神がランディ・バースにやってしまった「冷遇」とは一体何だったのか見ていきましょうか。
ランディ・バースの成績は素晴らしかったがそれでも阪神は冷たかった・・・
契約時には、目に見える何かを残す必要がありますね!
事の発端は、ランディ・バースと阪神の間に交わされた「契約」の問題でした。
ランディ・バースは阪神に「事故などの場合には私だけでなく、家族の場合も面倒をみること」と約束したみたいです。
ただ私の予想では、この約束事が書面上のやり取りでは無く「口頭」でのやり取りだったことが全ての原因となったのではないかと考えています。
ランディ・バースのプロ6年目(1988年)に、バースの息子が「水頭症」と呼ばれる脳の病気を患ってしまい、数回の手術を行って、なんとか克服することが出来ました。
ランディ・バースはその際の手術にかかった費用を阪神側に請求したところ「そんな約束はしていない」とバースの意見を突っぱねました(恐)
何故、阪神がこんなことを言ったかというと、こういった病気になった際の「保険」に加入していないことが原因であり、それでもランディ・バースは必死に訴えましたが、阪神側は要求を飲むことはありませんでした(悲)
結果、ランディ・バースは「阪神にゴネた選手」と報道されてしまい、阪神もバースにクビを言い渡し、家族と一緒にアメリカへ帰国することになってしまいました(泣)
その後、この出来事の責任かどうかはわかりませんが、当時の阪神の球団代表が「自殺」してしまい、最終的には阪神がランディ・バースに「示談金」を支払うことでこの件は収束したのでした・・・
プロ野球選手は「個人事業主」ですから、大事なことを契約する際には必ず「書面」などの目に見える物を残すべきだと私は強く訴えます!!
結局、阪神に裏切られた形になってしまったランディ・バースですが、これで日本が嫌いになってしまったと思いきや、ちょくちょく日本に来日していたそうです。
あくまで嫌いなのは阪神ということで、ランディ・バースの日本での活動を一緒に見ていきましょうか(笑)
ランディ・バースは実は日本が好きだった!?
ランディ・バースは親日家で問題ありません!!
これまでにランディ・バースが野球を辞めてから、日本で活動した内容の一部をご紹介しますね。
- 1995年から開催されているサントリードリームマッチには毎年必ず出場している
- 1997年にめちゃ×2イケてるッ!のTHE STAMP SHOW!!というコーナーに出演
- 奈良県で2010年に開催の「平城遷都1300年祭」への支援として奈良県に100万円を寄付した
- 2012年にクイズ☆タレント名鑑という番組で「掛布と2者連続でホームラン(アベックホームラン)が打てるか?」という企画に挑戦
- 2013年12月に梅田阪急百貨店のクリスマスイベントでサンタの恰好して登場
他にもあるんですが、これだけ出てればランディ・バースは「日本大好き」で問題無いですよね(笑)
ちなみに上記の「めちゃイケ」出演時に、当該のコーナーではハリセンで芸人をシバくという役だったんですが、ハリセンを食らった「濱口勝」が鼻血を出してしまい、そのコーナーは打ち切りに追い込まれたらしいですよ(笑)
ランディ・バースのパワーはハリセンでも衰えることは無かったみたいですね(笑)
また、そのうち日本のテレビに出演してくれることを期待しています!
ランディ・バースの成績と現在は何してる?最強助っ人の数奇な人生を追跡!のまとめ
最後まで読んで頂きありがとうございます。
ランディ・バースの数奇な人生はプロ野球で一山あり、一旦下降しますが政治家としても活躍しているので、現在はプロ野球と同じぐらいの高さにいるのではないでしょうか。
人生というのは、沈んだ時にどうするかが一番重要だと私は思っておりますので、ランディ・バースの数奇な人生はプロ野球選手としてはもちろんですが、野球から退いてからも素晴らしい内容だったのでしょう。
私もこういった「偉人」を見習って、「前に進む日々」を目指していきたいと思っています!
ランディ・バース氏の活躍をこれからも応援しております!!