「んー思い出せないなー、ほら、あの、外国人選手初の三冠王って確か、ブルドーザーみたいな名前だったような・・・」
・・・ブーマーですね、元阪急ブレーブスの助っ人外国人のブーマーですよ!
ブーマーは、外国人選手初の「三冠王」選手であり、その他にも「最多安打」や「MVP」を獲得している球界の歴史に名を残した助っ人選手なのです!
来日直後の春季キャンプで、場外ホームランを連発するブーマーを見て気絶してしまったお年寄りが出るぐらい、ブーマーのインパクトが強かったと言われています(汗)
「そりゃすごいね・・・助っ人外国人というか、助っ人バケモノみたいな感じだね(笑)だったら三冠王を取ってもおかしくないって思えるよ。」
阪急入団時のブーマーの体格は「200cm、100kg」というプロレスラーに近い体形をしていましたから、バケモノと言われても仕方ないような気がします・・・(汗)
もちろんこの体系を活かしてホームランを量産しましたし、かといって打率が極端に低いわけでは無く、むしろブーマーは打率の高さを売りにしていた部分もあります。
打率が高いからこそ三冠王に繋がった訳ですが、では、三冠王を取ったブーマーが果たしてどのくらい阪急に貢献していたのでしょうか!
まずは、ブーマーの成績を振り返る必要があるので、野球ファンのあなたと一緒に見ていきましょうか!
目次
阪急ブーマーの成績はどれだけの愛情(貢献)を捧ぐことが出来たのか!?
プロ野球に馴染むのは早かったですが、新監督には馴染めませんでした・・・
そんな阪急から離れたくなかったブーマーの球史を、
- 阪急とブーマー、プロ1年目からプロ8年目まで
- 監督とブーマー、プロ9年目から現役引退のプロ10年目まで
の2点をお伝えしていきます。
まずは、ブーマーのプロ1年目からプロ8年目までを見ていきましょう。
阪急とブーマー、プロ1年目からプロ8年目まで
とにかく阪急の勝利の為に打ちまくりました!!
ブーマーのプロ1年目(1983年)は、「打率.304、17本、62打点」と悪く無い成績なのですが、周囲の期待通りの結果を出すことが出来ませんでした(泣)
しかし、プロ2年目(1984年)にはブーマーのプロ野球への順応が早かったおかげもあり、「打率.355、37本、打点130」を記録し「三冠王」の獲得と同時に、阪急のリーグ優勝にも大きく貢献しました!
その後のブーマーは、「阪急」から「オリックス」に変わってからも、プロ8年目(1990年)までに「首位打者」「打点王3回」などと打撃に衰えを見せることはありませんでした。
こういった成績の背景には、ブーマーが高校時代に「体操選手」であったことが関係していると私は思っています。
ブーマーは体操選手をやっていたからこそ、柔軟な筋肉を持ち合わせ、変化球が多いプロ野球の投球にもすぐに対応することが出来たのでしょう。
ブーマーが「200cm、100kg」という巨体でなければ、走攻守揃った「スーパー助っ人」が誕生したかもしれませんね(汗)
監督とブーマー、プロ9年目から現役引退のプロ10年目まで
土井正三とは上手く行きませんでした・・・
ブーマーのプロ9年目(1991年)、チームの監督は「土井正三」に代わり、チームの方針も「打撃中心」から「守備力中心」に変更になりました。
土井監督が求めるチームカラーに合っていなかったブーマーは、4番を外されたり、試合後のミーティングが長かったりと前任の「上田監督」との違いに嫌気がさしていました(汗)
結局、ブーマーは土井監督に耐えきれることが出来ず、プロ10年目(1992年)にはダイエーへ移籍してしまい「打点王」を獲得する活躍も見せますが、本人の体力の限界もあり「現役引退」となりました。
うーん、これはどっちが悪いとか決めることは出来ませんが、プロ野球の順応が早かったブーマーにとっても、野球に対して妥協を許さない「土井正三」は難敵だったのでしょうか・・・
監督との確執はよくある話ですし、ブーマーが外国人選手だったから土井監督が「特別」に圧力をかけた訳ではないと私は思っています(汗)
それでもブーマーの打撃力は阪急とオリックスに大きく貢献しましたし、プロ野球生活10年間での通算打率「.317(歴代4位)」は素晴らしい結果ですよね!!
そんな高打率を記録したブーマーですが、実はそういった打撃を心掛けるキッカケがあったと私は予想しています。
その予想結果をとにかく野球ファンのあなたに見てもらいたいので、是非次の項もお願いします!!
阪急ブーマーの成績での高打率は阪急愛から生まれた結果だ!!
ケガからチームプレイに変わっていったのでしょう!!
ブーマーはプロ1年目に、親指のケガをしてしまいました。
そのおかげてバットを強く握ることが出来ず、ミートバッティングに徹する他ありませんでした。
これが功を奏し、ブーマーは力まずにヒットを量産することが出来たので、親指のケガが治ってからもミートバッティングに徹したんだと私は思います。
その結果が「最多安打4回」という成績を残したのでしょう!!
また、当時のチームメイトの「山田久志」が、
「フォア・ザ・チームの選手だった。ホームランを狙えばもっと打てたけど、チャンスではライト方向に軽くヒットを打つことが多かった。」
と語っていたこともあり、ブーマーは「チームプレイ」にも徹していたのです!
ブーマーのチームプレイは「上田利治監督」の存在も大きかったと私は思います。
ブーマーは恐妻家であり、一日の小遣いは「2000円」しか貰えず、プロ野球選手から見たら「雀の涙」程度ではないでしょうか(泣)
そんな状況を見かねた上田監督は、ブーマーに「たまには牛も食わんとあかん」とステーキを何度かご馳走したり、試合以外でも面倒を見てもらっていました。
上田監督に親身になって接してもらったブーマーは、試合で恩返しするのが一番だと思ったはずなので、自分の記録より「チームの勝利」を優先したと私は思っています。
ブーマーは「阪急ブレーブス」という恵まれた環境の中でプレイできたからこそ「三冠王」等を獲得することが出来ましたし、それに対する「恩」を忘れることがなかった「阪急愛」が強い選手だったのでしょう!
阪急を溺愛していたブーマーですが、現在はどんな職に就いているのでしょうか。
「200cm 100kg」という体格駆使した仕事をやっているのかどうか見ていきましょうか!
阪急ブーマーの現在の仕事は野球に関係しているのか!?
野球代理人(エージェント)の職に就いていました!
現在のブーマーは、アメリカと日本の野球の仲介者として「野球代理人」の仕事をしていました。
主な実績といえば「ウィルソン」という選手を日本ハムに送り込んだことです。
ブーマーがウィルソンを送り込んだ理由の一つに、当時の日本ハムの監督「上田利治」に阪急時代の「恩返し」をしたかったことが挙げられます。
ブーマーの恩返しの結果は、ウィルソンのプロ1、2年目(1997年、1998年)に「本塁打王2回」と「打点王」を獲得したので「成功」ということで問題無いでしょう!
ちなみにブーマーの体形についてですが、あるテレビ番組で引退後のブーマーの体付きをみたらお腹がパンパンになっていたので「幸せ太り」だなーと解釈しました(笑)
野球代理人に体形なんて関係ないと思いますし、むしろ太っていた方がアメリカの代理人のイメージにピッタリなので、あとは片手にハンバーガーがあれば問題ないでしょう!!
また、私からブーマーに対する要望ですが、2017年現在、オリックスは相変わらずBクラスをさまよっているので、古巣を助けるつもりでウィルソンのような使える助っ人外国人を派遣してください!!
私のお願いを快く引き受けてくれるはずのブーマーですが、実は先ほどから「ブーマー、ブーマー」と呼んでいましたが、本名は「ブーマー」ではないことはご存知でしょうか。
「そんなはずがある訳ない!」と思っているあなたに真実をお伝えしましょう!
ブーマーという名前は実は偽名だった!?
ブームを呼ぶ男になって欲しいという願いでした!
ブーマーの本名は、「グレッグ・ウェルズ」という名前でブーマーの「ブ」の字も無い名前ですよね(笑)
実は、阪急入団時に登録名を「よし、ブームを呼ぶ男になれよ!」という願いが込められ、「ブーマー」が誕生しました!
登録名が本名で無い場合は珍しいことではなく、例を挙げますと、
- 本名「ダグ・ジェニングス」、登録名「D・J」
- 本名「ジェレミー・パウエル」、登録名「JP」
- 本名「岡田貴弘」、登録名「T-岡田」
- 本名「鈴木 一朗」、登録名「イチロー」
とオリックスの選手だけでも4人以上いますよね。
阪急及びオリックスは登録名をいじるのが好きな球団ということがわかりましたね(笑)
もちろん、ブーマーを始めとするこういった選手たちは「期待の表れ」の登録名であり、面白おかしく登録名を決めている訳ではありませんし、その期待に応えた選手も多いはずです!
また阪急は、ブーマーをブームを呼ぶ男にする為、「ブーマーパン」というパンを、ブーマーが「場外ホームラン」を打ったら観客に抽選でプレゼントするという企画を立てました(笑)
しかし、プロ1年目のブーマーから場外ホームランは出ることが無く「ブーマーパン」の企画は、1年で終了してしまいました・・・
その「ブーマーパン」ですが、ブーマーの身長に合わせた「2メートル」のパンだったらしく、もしプレゼントされても「いらねぇなぁ・・・」と思っているお客さんが多かったのでは無いでしょうか(笑)
そんなパンをプレゼントしなくても、ブーマーは阪急に多々「勝利」をプレゼントしたはずなので、ブームを呼ぶ男にパンの力は必要ありませんでしたね!
当時の阪急にブームを呼んでいたブーマーですが、実はチームにとって「マイナス」な出来事を引き起こしてしまったことはご存知ですか。
あの「門田博光」に起こった悲劇の事件の真相にブーマーの影が・・・
阪急ブーマーにハイタッチを受けた門田の運命は如何に!?
門田は脱臼してしまいました(笑)
これは、1989年9月25日のダイエー対オリックスの試合での出来事でした。
3回の裏にホームランを放った門田が、ベンチに戻りチームメイトからハイタッチを受けていて、ブーマーとハイタッチをしたら、なんと門田が「右腕の脱臼」をしてしまいました(驚き)
門田は登録抹消にはなりませんでしたが、結果1週間の休場となってしまい、罪悪感に包まれたブーマーは、翌日の日本ハム戦でホームランを放ち「門田の分」という形で報いました(汗)
この脱臼の件は「ブーマーの怪力が悪い」というのが一般論ですが、実は門田は元々脱臼癖があり、1984年4月14日の日本ハム戦でも、ホームラン後のハイタッチで同じ右肩を脱臼していました・・・
上記の話であれば、プロ野球ファンのあなただったら知っていると思いますが、ではブーマーとハイタッチした際に門田は本当に脱臼したと思いますか?
私は「実は脱臼してないんじゃないか」と大胆予想しております!
理由は、シーズン終盤であることと、門田が当時「41歳」であることを考慮すると、
「脱臼では無いけどなんか肩いてーし、シーズン残りすくねーし、ブーマーには悪いけど今年は無理するのやめるか・・・」
という門田の思惑があったのではないでしょうか!!
・・・こんな言ったら、門田ファン及びブーマーから「お叱り」を受けそうですけど「独自目線」ということでお許しください!!
阪急ブーマーの成績と現在に注目!元祖助っ人三冠王が魅せた偉業と阪急愛!!のまとめ
最後まで読んで頂きありがとうございます。
ブーマーは、もっと成績が伸びる可能性があった選手でしたけど、チームの勝利を第一に考えていた選手であり、その姿勢が阪急に「ブームと勝ちを呼ぶ男」にさせたのでしょう!
現在は、のんびりと野球代理人の仕事をやっていると私は思っておりますが、阪急というチームは現在でもオリックスとして残っています!
ただ、ブーマーがいた頃と比べると「弱く」なっているので、昔培った「阪急愛」で優秀な選手の派遣を本当によろしくお願いします!!
そうなることを願って、ブーマー改めグレッグ・ウェルズ氏の仕事を応援しております!!