「最近カープが強いから、ミスター赤ヘルと言われていた山本浩二の成績を見てみたんだけど、松井秀喜並みに打っていたんだな!・・・ということで真の赤ゴジラは山本浩二で決まりだな!!」

いいっすね!「シン・赤ゴジラ」は山本浩二にしましょう!!

と、広島には「赤ゴジラ、嶋重宣」という選手がいましたけど、その選手より山本浩二の方が活躍していたのは、広島市民なら誰でも知っていますよね!

山本浩二は「首位打者」「本塁打王4回」「打点王3回」「MVP2回」など、広島の打者で最もタイトルに愛されていた選手であり、また「広島県民栄誉賞」を受賞し、広島県からも愛されていた選手なのです!!

「うーん、やっぱり山本浩二は広島のスーパースターだったんだな。同じ広島の前田智徳もケガさえしなければ、山本浩二以上の成績は残せたのに残念だったなぁ・・・」

前田のケガはプロ野球ファンであれば誰もが悔やむべき出来事でしたけど、山本浩二は腰痛持ちという以外では大きなケガも無く、引退まで毎シーズン「110試合以上」出場していましたからね(丈夫)

つまり、山本浩二は体の丈夫さと豪打が相まって、長年に渡り広島カープを支えてきた「カープ一筋の漢(おとこ)」なのです!!

では、その山本浩二の活躍ぶりを、カープ女子を中心にしっかりとお伝えしていきますよ!!

・・・あ、もちろん、野球ファンのあなたとカープ男子のあなたにもお伝えしますのでご安心ください(笑)

まずは、現役時代の山本浩二の素晴らしい成績からです!!

山本浩二の現役の成績は主砲として広島を長期に渡って支え続けた!!

広島カープの初優勝、初の日本一に必要だった人物が山本浩二だったのです!!

赤ヘル旋風時代の立役者だった山本浩二の球史を、

  • 何かが足りなかった、プロ1年目から6年目まで
  • ミスター赤ヘル誕生!プロ7年目から18年目の現役引退

の2つで見ていきます。

まずは、山本浩二のプロ1年目から見ていきましょう!

何かが足りなかった、プロ1年目から6年目まで

高水準の成長が必要でした!!

山本浩二(本名:浩司)は、プロ1年目(1969年)から一軍スタメンで出場を果たし「打率.240、12本、40打点」という、新人にしては及第点かなーという成績を残しました。

その後、山本浩二はクリーンナップを中心に一軍で活躍していき、プロ6年目には「打率.275、28本、74打点」という成績を残しますが「広島最強」と言われるには、何か物足りない成績でした(汗)

同年のオフに山本浩二は「姓名判断」を行い「山本浩司から山本浩二」に登録名を変更し、7年目以降の「大活躍」のキッカケを作ったのです!!

山本浩二のプロ6年目の成績は決して悪くない成績ですし、この成績を維持してくれたら広島だって大喜びだったんじゃないですかね?

この成績がさらによくなるなんて、山本浩二は広島を背負って立つ、成績の持ち主だったことになりますね(広島の化け物)

ミスター赤ヘル誕生!プロ7年目から18年目の現役引退

広島の「初」に大きく貢献しました!!

姓名判断を経て、心機一転となった山本浩二のプロ7年目(1975年)は「打率.319、30本、84打点」で「首位打者」「MVP」を獲得し、また「広島初のリーグ優勝達成」の大きな原動力となりました!

この功績に対し、山本浩二は広島の英雄と称して「ミスター赤ヘル」の称号を広島ファンから授かることになったのです!!

その後山本浩二は、プロ9年目から13年目までに「5年連続40本塁打以上」と「5年連続100打点以上」の偉業を達成して、さらに「本塁打王」と「打点王」と3度ずつ獲得し、英雄に恥じぬ活躍ぶりを体現しました!!

そして、プロ11年目(1979年)には「打率.293、42本、113打点」の成績を残し、山本浩二は「広島初の日本一達成」の第一人者となったのです!!

広島カープに大きく貢献した山本浩二は「40歳」となったプロ18年目(1986年)に「打率.276、27本、78打点」の好成績を記録しましたが「山本浩二は幸せな男です」と言葉を残し、現役引退となりました・・・(泣)

成績を見る限りでは、山本浩二あっての「広島初優勝、初の日本一」でしたね!!

また、広島カープが山本浩二の背番号「8」を永久欠番にしましたが、私は黒田博樹の「15」より価値があると思っています(メジャー行きがあったからなぁ)

40歳でね、30本近いホームランを打てる選手なんて、まぁ居ませんからね、本当に。

これもある意味、山本浩二の偉業だと私は思っていますが、本当に持病の腰痛さえなければ、あと3年ぐらいは出来そうでしたね・・・

プロ野球ファンのあなたも「山本浩二の現役時代ってこんなにすげーんだ!?」と思ってもらえたんじゃないですかね?

うん「ミスター赤ヘル」って凄いんですよ!!

山本浩二は「鉄人衣笠」の上を行っていると、私は声を大にして言いたいですね!

衣笠超えを達成した山本浩二ですが、では、あなたが気になっている山本浩二の「姓名判断」について、噛み砕いていこうじゃないですか!

山本浩司から山本浩二に変えた漢の歩みを見ていきましょう!!

山本浩二 現役 成績

山本浩二の現役の成績は名前を変えたら成績もより良い方向へ進むようになった!!

姓名判断なんて関係なし!!

偉大なる成績は山本浩二の「努力」の成果です!!

山本浩二は、現役中に「姓名判断」をやって、登録名を「山本浩司」から「山本浩二」に変更したことは前項でお伝えしましたよね。

では「山本浩二」に変えたことにより、どういった姓名判断が出たのかといいますと・・・

「『社交下手、薄幸、別離』であり、成功しても次につないで行くのが下手なタイプ!」

・・・悲しい姓名判断の結果が出ているのですが山本浩二の成績は、そんな結果にはなっていませんでしたよね?

「『才能、順調、人気』であり、30歳辺りから努力の結果が実を結び、一時代の英雄となるタイプ!」

が、正しいですよね!?(上記の結果は私の独自判断です)

つまり、山本浩二は姓名判断を行い「あえて、いばらの道」を選び「姓名判断なんか関係ねーよ!!」と己の豪打で証明したことになったと私は思っています!!

通算本塁打歴代4位(536本)の山本浩二は、己の定められた運命に打ち勝ち、姓名判断だけでは想定できなかった未来を切り開いた「広島の人生開拓者」になりますね!!

私から凄まじい肩書きを受け取った山本浩二ですが、打撃が素晴らしいことはもう知ってもらえたので、今度は守備について見ていきましょうか。

全盛期は華麗な外野の守備を披露していた山本浩二ですが、実は「珍プレー殿堂入り」並みのエラーをやらかしてしまったのです!

広島の英雄山本浩二の「唯一」の失敗談も私と一緒に噛みしめていきましょう・・・

山本浩二の守備は宇野勝に匹敵するほどの伝説のエラーを記録していた!?

「弘法も筆の誤り」といったところでしょうか!?

山本浩二は、外野手のセンターとして素晴らしい守備力の持ち主であり、外野手として以下の記録を保持しています!

  • ゴールデングラブ賞10回(セ・リーグ歴代1位)
  • 通算4637刺殺(セ・リーグ歴代1位)
  • 通算154補殺(セ・リーグ歴代1位)
  • 通算4830守備機会(セ・リーグ歴代1位)

・・・しかし、名手山本浩二が、上記の成績からは考えられないエラーをやってしまったのです!!

これは、1981年4月19日の広島対巨人戦での出来事ですが、7回裏巨人の攻撃で「中畑清」がセンターフライを打ち、センターの山本浩二が打球の目測を誤り・・・

「山本浩二のデコにボールが当たってしまい、ボールを見失う!!」

という珍プレーが発生してしまい、結局、中畑の打球は三塁打になってしまったのです(笑)

これは「宇野ヘディング事件」に匹敵する出来事だと私は思っていますし、しかもこの事件は同年の8月26日に発生していますから、1981年は「ヘディングイヤー」だったのでしょう・・・

山本浩二のヘディング事件があまり有名になっていないのは「星野仙一」のようにブチ切れた選手がいなかったから、宇野ヘディング事件より印象が薄くなったと私は予想しています。

星野仙一の現役の成績は巨人キラーの鏡!燃える男の闘魂投球は感情の爆発!

こういった山本浩二の「お茶目な一面」も、ミスター赤ヘルの魅力だと思っていますので、寛大な気持ちで受け止めてあげてくださいね☆彡

珍プレーにも精通していた山本浩二ですが、広島ファンから受けた応援は凄かったらしいのですね。

しかもその凄さの中には、現在のプロ野球の応援スタイルに繋がっていく「とある出来事」が起きていたのです!!

山本浩二 現役 成績

山本浩二はファンの応援方法を変更させるほどの大選手だった!!

選手専用の応援歌の始まりは、山本浩二だったのです!!

山本浩二がミスター赤ヘルと呼ばれるようになってから(1978年頃)「コージ!コージ!」と連呼する「コージコール」で大声援を受けるようになりました!

またコージコールは「トランペットの演奏」と組み合わせるようになり、次第に「かっ飛ばせ!コージ」に変化して、これがプロ野球初の「選手専用の応援歌」になったと言われています!

この広島の応援方法が別のチームにも広まって、様々な選手の応援歌が球場で歌われるようになり、現在のプロ野球の応援スタイルに変化していったのです!!

うーん、この出来事は凄いですねぇ~広島での山本浩二の活躍があったからこその「広島ファンのひらめき!」ということになりますね!

私は、中学時代「よくベンチスタート」だったので、応援に徹していたのですが、結構応援もしんどいもので「負けゲーム」の応援程、キツイものはありませんでした(悲)

なので、私の中学時代にも山本浩二のような選手がいたら、応援もさぞ楽しかったでしょうね・・・

あと、応援で思い出したんですけど、これはとあるマラソン大会に出場した時に「女性から応援を受けるとスピードアップする説」は、私の中では「立証」されているのですが、あなたはどう思いますか?

・・・では、最後に山本浩二と「腰痛」について、語っていきたいと思います。

プロ入り前から腰痛持ちだった山本浩二は、腰が爆発寸前でもとんでもないことをやってしまった「偉大なる選手」だったのです!!

果たして、その偉大なる功績とは!?

山本浩二は腰が曲がっていても野球に対する信念を曲げることは無かった!!

これこそが「怪我の功名」なのです!!

腰痛持ちと言ったら山本浩二だということはもうお分かりかと思いますが、腰痛にまつわる「伝説の一打」が起きていたのです!

これは、1975年8月7日広島対ヤクルト戦の試合前の練習で、山本浩二は「ギックリ腰」になってしまい、当時の広島の監督「古葉竹識」に「試合を休ませてください」とお願いをしますが・・・

「いいから試合に出ろ!!」

と山本浩二のお願いを却下し、その試合は4番センターで出場することになってしまいました(無慈悲)

その試合は腰の痛みもあってほとんど振ることが出来なかった山本浩二ですが、8回に「ツーランホームラン」を打ち、ギックリ腰なんかなかった位の一撃を見せ付けたのです!!

また、山本浩二はこの腰痛を逆手にとり「腰に負担をかけないように逆方向へ打つようにしよう」と心掛け、右方向への本塁打を増やしたと言われています!

ちょっと広島の古葉監督が厳しかったですね(笑)

このギックリ腰になった年に山本浩二は「130試合」全てに出場していますから、腰痛による休みは本当になかったみたいですね・・・(酷使)

しかし古葉監督の「鬼起用」によって流し打ちの名手となった山本浩二ですから、古葉監督を恨むに恨み切れないかなーと私は思いました(汗)

野球ファンのあなたも、山本浩二のような腰痛を他人事だと思わずに、今の内に「腹筋」とか「スクワット」などをやって足腰を鍛えておいた方がいいですよ!

杖あっての老後に、私は「楽しみ」を想像することが出来ませんでしたから・・・

山本浩二 現役 成績

山本浩二の現役の成績は広島最強!ミスター赤ヘルの偉業は広島市民の誇り!のまとめ

最後まで読んで頂きありがとうございます。

山本浩二の現役時代をさかのぼってみましたが、広島最強選手という肩書きが相応しいということは、あなたの記録にインプットされたでしょうか?

合わせてヘディング事件も覚えてもらえると、山本浩二が人間味あふれる人物だと言うことが見えてくるでしょう(笑)

ヘディング事件ばかりイジっていると、本物のカープ女子から抗議を受けそうなので、この辺で止めておきますが、とにかくミスター赤ヘル山本浩二は「広島の宝」ということなんですよ!!

カープ女子になったばかりの方にも「山本浩二の偉大さ」が伝わることを私は懇願しております!!